昨年秋に姉がくも膜下出血でなくなりました。昨日は、その夫が、肺炎で亡くなりました。
姉の葬儀の時は、友人や親戚やご近所にもあまり知らせず家族だけで葬儀をしました。
その結果、あとからあとから
見送りたかったという声を聴くことになりました。故人は、まだまだ、死ぬわけにいかないと思っていたし、69歳だったし、介護の必要な家族を抱えていたから、自分の死なんか、考えてもいなかったんだね。
私たちは、姉の死が、あまりに突然で悲しくて、悲しみのなかに、引きこもってしまいました。
姉と別れを言いたかった人から、機会を奪ってしまった後悔がありました。
今回は、知らせられる所に知らせたら、ビックリするくらい沢山の方が別れを言いに来てくださいました。リタイアして、15年も過ぎているから
それほど来ていただけるとは、思いませんでした。
お経を聴きながら、何故か、涙が止まりませんでした。
勝手に、決めつけてごめんなさい。姉の霊にも詫びながらの通夜でした。
ご住職が、法話の中で、命とは何かと問われました。67歳で死んだ人は76歳で死んだ人と比べ、不幸ですか?
命は質ですか?長さですか?
人間と言うのは、勝手なもので、その時々で、命の価値が変わります。
長生きして良かった、
認知症になったから
早く死んでしまいたい、
その時々で価値観がひっくり返ります。
どんな命も大切なのです。