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『習近平時代の中国』

2011-10-23 19:50:34 | 読書/新聞/映画など
佐藤賢著『習近平時代の中国』(日本経済新聞社、2011年7月1日、1800円+税)

中国では、江沢民総書記以来、トップが10年で交代するルールが確立されている。5年に1回、来年開催される党大会では、胡錦涛総書記の後継者に習近平が選出されるのは、ほぼまちがいない。

中国の政治状況の概観と、今後10年の日中関係などについて、日経新聞の記者である著者がわかりやすく書いている。

中国の政治状況について、基礎的な知識をえるには、適当な本です。


都江堰=世界文化遺産

2011-10-23 14:30:07 | 旅行
紀元前272年、始皇帝の命令を受けた李氷が、岷江を分水して成都へ流せる治水案を提出。紀元前270年、10万両銀(5000キロの銀)で分水工事に着工。

4年間で分水堤防と岷江を2本の河に分ける魚嘴をつくった。


以下の写真は、展望台の入口です。


峨眉山、楽山、九塞溝、黄龍などに次いで四川省の5番目の世界遺産です。

とおりがかりで、5分ほど見学することができました。

北京から帰国

2011-10-23 01:19:25 | 旅行
15時15分に搭乗し、羽田空港着は、20時35分。時差は1時間。

滑走路まえでずいぶん待たされたので、飛行時間は、3時間強でしょうか。途中、相当ゆれました。

かつては、5時間以上かかっていたことを考えれば、かなり楽です。朝鮮半島の上空を飛ぶようになって、飛行時間が短縮されてからかなりになります。

上海は、この10年くらいにも数え切れないほど行っているので、その変化を目撃してきました。しかし、北京は、たまにしかいかないこともあって、昔見た北京がまるで別の都市のようで、ほとんどその変化を信じられない。

上海の変化から北京の変化を予想していましたが、まったくちがう。

いずれにしても、この変化の激しさは、ただならぬものです。あと10年をまたずに世界一となる強大な国家と経済力がいっきに登場している。それはまた、13億の人口を背景にして、アメリカとはちがう巨大な経済力へと発展していく。アメリカの何倍にもなっていくスケールのパワーをすでに感じさせています。

うすぐらい太陽

2011-10-22 23:24:02 | 旅行
きょうの北京は、薄曇り。というより、スモッグで霞んでいる。

この3日間、毎日発表される北京の大気汚染指数は、過去最悪だったそうです。黄砂の影響が強いのでしょうが、排ガスの汚染もひどいのでしょう。

写真は、王府井の太陽です。午前11時半ごろ。

飛行機が飛び立つとき、滑走路は、霧にかすんでいました。

天安門の前を通りました

2011-10-21 22:53:38 | 旅行
天安門の前を、中南海にむかうバスでとおりました。地方からの観光客が、大勢あつまっていました。

閣僚級の要人と会見のあと、夕方から、国家発展改革委員会のメンバーと質疑、釣魚台国賓館での晩餐会。


公式日程は、すべて終了しました。

学ぶことの多い、成果ある訪中でした。15名の団員をふくむ、総勢35名の訪中団のメンバーから学ぶこともたくさんありました。


朝、太極拳をやっていました

2011-10-21 22:35:55 | 旅行
朝、太極拳をやっていました。

そういえば、いまから35年ほど前に上海にきたときに、朝、バスで走っても走っても歩道上で太極拳をする人の波がとぎれないのにおどろいたことを思い出します。

北京も様変わりです。まえによく来たころには、CITICのビルが、唯一の高層ビルでした。このビルで、自社開発の中国語ワープロのデモをしたこともありました。いまでは、そのビルは、中小のありふれたものに見えてしまいます。


スモッグにかすむ太陽

2011-10-21 08:14:25 | 旅行
北京の空は、スモッグにおおわれていました。写真のように、太陽は、輝きを失っています、

これが、車の排ガスなどによるものか、北京独特の気象なのかはわかりません。

北京に走る車は470万台。毎年70万台ずつ増えているそうです。世界最大の車都市だそうです。規制を強めても、はげしい渋滞もいっこうに改善されないという。

中国自身も、世界最大の車国家になりました。


北京へ移動

2011-10-20 23:11:59 | 旅行
朝5時半に起きて、北京へ移動。3時間あまりのフライトでした。A321にはじめて乗った。満席。

空港貴賓室で休憩のあと、有名な研究所で中国を代表する著名な経済学者から第12次5か年計画の骨子や、人民元の国際化などの話をうかがった。

研究所の建物は、清朝時代に建てられたもので、大変古い。どっしりとした風格がある。清朝の陸軍部と海軍部につかわれたほか、軍閥や日清戦争のときの日本軍の華北駐屯軍司令部などにつかわれた。国民党政府もつかって、共産党政府の対外連絡部がおかれたこともあるそうだ。

夜は、さらに移動して別の公式の晩餐会。