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eラーニングの現状と展望

ネットラーニングHD、ネットラーニング、WIWIW、Phoenix Consulting、各代表取締役 岸田徹

『牛肉と馬鈴薯』

2010-05-16 20:52:45 | 読書/新聞/映画など
『牛肉と馬鈴薯』。
青春のいつのときかに、みんな一度は読んだ本でしょう。

久しぶりに読み返しました。この本も、中学生で読んだときとまったく違う印象です。

もうなくなったという明治倶楽部にある冬の日にあつまった紳士たちの談笑です。大学を卒業して12年、35歳くらいの男たちが、人生をふりかえり、人生観を語る。

「理想に従えば芋ばかし喰っていなきゃアならない。ことによると馬鈴薯も喰えないことになる。諸君は牛肉と馬鈴薯とどっちがいい?」

若いころは、みんな詩人だった。馬鈴薯にあこがれたという。「諸君はみんな詩人の古手なんだ」「その昔はみんな馬鈴薯党なんだね」

しかし、岡本はいう。どちらにもなれない。「出来ないのです」どちらにも決められない。「実をいうとどちらでも可(い)い」

そこから、岡本のせつなく哀しい恋の話がつづく。その少女(むすめ)は、2人で北海道に旅立とうとする直前になくなった。北海道は、理想の象徴でもあった。

近藤が口をはさむ。その少女が死ななければ、「必ず死の悲惨に増すものが有ったに違いない」「何となれば、女は欠伸をしますから・・・・」「生命にうみたる欠伸は男子の特色、恋愛にうみたる欠伸は女子の天性」であると。恋において、「女という動物は三月たつと十人が十人、飽きて了う。」これが近藤の考え方だ。

岡本は、そこで、「若し僕の不思議なる願いというものを聴いて呉れるなら話しましょう。」という。「飽きる」ということから、話は展開していく。

みんな、その岡本の願をいぶかる。想像がつかない。

岡本「言いましょう。吃驚しちゃアいけませんぞ。」早く早くとみんながせかせる。
岡本「吃驚したいというのが僕の願なのです。」

みんなあきれる。

しかし、岡本はまじめだ。宇宙の神秘もなにもかも日常生活のなかで、習慣的になり、あたりまえになり、驚きもなくなっている。

岡本が求めるのは、馬鈴薯でも牛肉でもない。新鮮なおどろき、エキサイティングな人生、輝くいのちだろう。

「古び果てた習慣の圧力から脱(の)がれて、驚異の念をもってこの宇宙に俯仰介立したいのです」
「彼らは決して本物を見ては居ない。」「習慣の眼が作る処のまぼろしを見ているにすぎません。」
岡本の気持ちは、「心霊の叫びである。」
「僕は人間を二種に区別したい。曰く驚く人、曰く平気な人・・・・」

みんな死ぬときはじめて驚く。「マサカ死のうとは思わなかった。」

岡本は、だれにも理解されなかった。

国木田独歩「牛肉と馬鈴薯」







大欲と無欲と

2010-05-16 18:40:16 | 読書/新聞/映画など
無欲には、なれそうもない。あるいは、なりたいとは思わない。

ではなくて、徹底的に欲を拡大したい。欲は、大きくなればなるほど、大勢の人と共有できる。小さな欲は、自分だけのものであったり、自分をふくむ小さなグループのものであったりする。

無限にまで欲を拡大することができれば、すばらしい。それは、ほとんど無欲に近づく。

欲を制限しても、生命力を抑え込むだけに思える。

いまは、ヒンズー教やバラモン教に、さまざまなヒントを探しています。同時に、空海の密教にも関心があり、空海関係の本も集中的に読んでいる。

真っ先に関心を持ったのは、道元です。道元関係は、ずいぶん読んできた。良寛、法然、親鸞と読んで、いまは、空海です。


E=MC・C

2010-05-16 18:24:44 | 読書/新聞/映画など
E=mc・c

エネルギーは、質量×光速の二乗

この式に、宇宙のすべての秘密が隠されているのでしょう。

m=E/c・c

質量はエネルギーであることがわかります。

c=l/t

光速(速度)は、距離を時間で割ればでてくる。

であれば、lを空間と考えれば、

エネルギーと質量と空間と時間は、すべておなじものという結論になります。

と、わたしは考えていますが、それでいいのだろうか。


最初でわかる

2010-05-16 00:10:20 | 読書/新聞/映画など
起業であれ、なんであれ、はじめの出足でほとんどその後の運命がわかる。

おそろしいものだ。

だめとわかれば、軌跡をかえる相当の努力が必要だ。あるいは、見切りをつけてその運命にしたがうかだ。もちろん、リセットもありうる。

少し別の話だが、ものごとのはじめ方は、のちのちDNAといってよいほど、そのプロジェクトの運命に強く影響を与え続ける。これも、おそろしいことだ。スタート時のさまざまな判断は、あまさがあってはいけない。あるいは、あるなら、それにみあった未来の流れを覚悟することだ。




視線を上げる

2010-05-15 22:01:08 | Life in Tokyo
視線を上げなければ、遠くを見えない。

高いところに登らなければ、遠くが見えない。

志と、自分を高めることと。

未来を判断基準にしなければ、ただしい判断ができない。

とくに、大混乱の時期においては。渦にまきこまれておぼれたくなければ。




相手を選べ

2010-05-15 21:31:42 | Life in Tokyo
怪物と戦う者は、怪物になる。

敵も選ぶ。まちがいなく、敵も選ぶ。それが、自分を規定するのだから。

もちろん、友も選ぶ。師を選ぶ。仲間も選ぶ。ビジネスの相手も選ぶ。同志も選ぶ。それが、結局自分を規定するのだから。誰を選ぶかで、自分がきまる。

ネットの時代には、いろんな出会いもある。

結局、自分も、相手と同じになる。コミュニケーションは、そういうものだ。

誰を選ぶのか。ときどき人々をみていると、悲しくなる時がある。

自分を大切にする。人生で、もっとも大切なことのひとつだ。



自由に生きる

2010-05-14 19:14:03 | Life in Shanghai
生まれたときには、一番、人生に可能性をもっている。

しかし、年齢をかさねるにつれて、さまざまな現実に取り囲まれて、次第に自由の幅が小さくなっていく。現状を前提に選択を積み重ねていくと、ますます身動きが取れなくなる。高校生になり、大学生になり、社会人になる。家庭をもち、会社での役職もつく。とともに、その先の人生がみえてしまう。

龍馬の脱藩のように、藩の世界から脱出し、あるいは、武士さえもすてて、新天地を求めるような行動は、すさまじいリセットでもある。と同時に、時代と未来を先取りし、手に入れている。吉田松陰も攘夷論をすてて海外へ密航しようと企てた。親鸞は、比叡山を降りた。空海は、『三教指帰』を書いて、朝廷の教育機関であった儒教の大学をやめて在野の私度僧になった。既存の世界から脱出して、新しい世界をつくった。

先日、朝鮮の革命家の自伝『アリランの歌』を読んでいたら、「革命家は、より広い方に逃げる」という言葉がでてきました。広州コミューンが壊滅し、逃げまどうときの言葉です。  「より広い方へ!」

自由に生きるということは、きわめてむつかしい。過激で根源的だから。

なぜ自由をもとめるのだろうか? ほんとうに、自由をもとめているのだろうか? 自由は、不安定であり、破壊的だ。安定や持続をすてている。

もっとも、大混乱期には、自由でなければ生きのびられないかもしれない。既存の枠組みの崩壊に巻き込まれるのか。脱出して、新しい世界をつくるのか。いま、世界は大混乱期に一直線につきすすんでいる。

結局は、なにをやりたいのか。どのように生きたいのか。
どのように生きるのが、いちばん人間らしくいのちを輝かせることができるのか。どのように生きるのが、いちばん、現実的でリアリティがあるのか。






『武士道』

2010-05-14 11:46:41 | 読書/新聞/映画など
新渡戸稲造『武士道』(岩波文庫、1938年10月15日第1刷、2009年5月7日第94刷、460円+税)

原文は英語で書かれています。翻訳は、矢内原忠雄。名訳です。

この時代に、外国人に日本文化を知ってもらう目的で書かれています。ということから、説明的であり、するどく武士道の本質にきりこんでいるかというと、もの足りなさがのこります。

武士道の本質は、忠義にある。

わずか180ページほどの本なので、機会があれば読むのもいいかなと思いますが、実際に武士が書いたものを読むほうがよさそうです。