いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

デジタルとデモクラシー。 digital broadcast and democracy

2011-07-24 19:32:27 | 日記
 (1)24日にアナログ放送(analogue broadcast)が終了し、完全地上デジタル放送化(digital broadcast 被災県を除く)される。
 情報過多化社会が続き、地上波は将来的に容量不足が生じてデジタル化により電波圧縮、容量増幅し、対応をはかることになった。

 本日のデジタル対応化したおびただしいテレビ、ラジオ番組欄の編成替えを見て、あらためてこんな情報過多化時代のためにパラドックス(paradox)として視聴率対効果の少ない(没個性化)エネルギーを浪費し、今度はその空虚を克服するために情報システムを改善する非生産性社会を実感して、人間の選別、選択能力の大切さを思い知らされる。

 豊富で多様な情報の共有化は、近代自由国家の基本的権利ではあるが、原発事故、収束不能、安全否定による電力エネルギー問題が大きく影を落としている中での、おびただしいばかりの選択の自由過多のテレビ、ラジオの番組編成だ。

 選択の自由過多とは、パラドックス(paradox)としてあれもこれもの不自由な選択の幅を制限する作用が働き、もはやこの時間帯単位のおびただしいばかりの番組群には一体どれだけの国民的関心が集まっているのか予測不可能で、まさかひとりひとりの単位にまでの情報需要に応えようとするのであれば、エネルギー対効果の極めて低い情報過多化社会と言わざるを得ない。

 電力供給不足問題の夏に完全デジタル放送化がスタートするのも何かの縁(えん)、ただ地上波容量を増やすだけの対応でなく視聴選別、選択の自由のパラダイム(paradigm)の中で、番組編成、時間帯、個性、性質、エネルギー対効果について「情報(個性、性質)」の有り様を腰を据えて考察していいのではないのか。

 (2)謝れば済むと言うものではない。民主党政権は、本格的な政権交代を果たしたマニフェスト、公約がその後財源不足、政策中身準備不足も露見して中止、後退、見直しが相次ぎ、震災前には行き詰まり、勝手に今夏までに全面見直しをはかると表明していた。

 首相の退陣、与野党連携の思惑もあって、ここにきて急に与党責任者(幹事長、政調会長ほか)から政権交代時のマニフェスト(manifest)、公約にツメの甘さ、誤りがあったことを認める発言が相次いで、歩調をあわせて首相も同様の発言をしている。

 圧倒的な民主党マニフェスト、公約支持で政権交代を選択した国民にとっては、今更何を言うのかの思いだ。政権与党自らがマニフェスト、公約の実現を否定するのなら、デモクラシー(democracy)の原則に反してもはや政権担当能力を失って政権不適格者と言わざるを得ない。

 国民をあざむき、裏切る政治行動だ。謝れば済むと言うものではない。現政権は総辞職(1票の格差是正後の総選挙)して、今は、直ちに全国会をあげての復興改革内閣を構成して緊急政治課題に国民と一体となって取組むレベルの問題だ。

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