いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

やる気のない「ヤツ」。(前復興相) do as spiritness fellow

2011-07-05 19:38:00 | 日記
 (1)やる気のない「ヤツ」(do as spiritness fellow)にやらせると、こういうことになる。
 環境相(防災担当)は、首相の退陣は6月中がいいと発言して、当時のその首相から打診された「復興相」をやめるはずの首相からの要請として辞退している。その後、少なくとも8月末までの首相続投がスケジュールとして決まって、再度要請を受けて復興相を引き受けた。

 選挙区の福岡では、資産家の親分肌(報道)として選挙に強い政治家だそうだが、国会議員としてはさして目立った存在でもなくて、環境相としても経験のなさが国内開催の「COP10」議長として不安視されて、同会議共同担当の農相の方が注目されていた位だった。

 報道を見る限りでは、目立ちたがりのパフォーマンス政治家で中身の軽い印象が強い。このタイプは権威主義で使命感は希薄なので、立ち行きが困難な課題には絶えず消極的で他人まかせ、押しつけが行動の基本パターンだ。

 (2)担当相として被災地訪問にあたって、「がんばれ東日本」と書かれたサッカーボールを持参して会談前の地元知事に向かって蹴って見せるパフォーマンスをして見せてた。当人はエールを送ったつもりなのかもしれないが、その光景は責任のない物見遊山で、とても復興相として地元と被災地復興について真面目に協議、連携しようという高い「志」など伝わらずに、まさしく会談は投げやりな態度だった。

 東北被災地各県知事との会談では、震災復興の自前の総論は披露してみせても課題となる具体的な重い各論となると地元まかせ、押しつけに終始して、がぜん「ヤツ」呼ばわりの命令口調でその不見識、不作法が問われて、今日、担当大臣を辞任した。かっての泥酔辞任大臣に匹敵する不見識、不作法だ。
 もはや国民の付託を受ける政治家としても資質不足はあきらかにしたので、当然自ら議員辞職も必然だ。

 (3)首相が自らの手でと思わせぶりに予告までして任命した復興相がこの有り様では、首相ももういくらなんでも「持つ」はずがない。
 元々、やる気のない「ヤツ」がやめても本望なのだろうが、本来所属している「政治」の世界は仮死状態なのだから、その危機意識が首相にも大臣にも、まして担当相に「やる気」がないとすれば、ことは内閣不信任(nonconfidence cabinet)に直結する重大事だ。

 (4)長い間課題としてきた政治の浄化とか政治改革というのは、政治家の自覚に期待する問題ではなくて、それを選ぶ国民(主権)の見識の問題であることがあらためて思い知らされる。

 その国の政治は、その国の国民のレベルのものしか持てないと比喩で言われる。今回の一地方の問題でもなく、政治家の体質に主従意識が根強くあり、だから国民(主権)の声など選挙時以外は聞く耳を持たない、地元の声しか聞かない長年の課題に、見下されている国民(主権)、地元が国の将来、政治浄化、政治改革のために決定的な良識ある意思表示を示さなければならない。

 政治パフォーマンスを見抜き、政治家から信望される国民(主権)の自覚、自立、見識が、政治仮死状態の蘇生には必要条件だ。
 まずは地元から、ことは環境相、前復興相の議員辞職からはじまる政治浄化、改革だ。

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