いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

面会拒否症候群。 symptomatic crowd of agreement refusal

2011-07-06 19:52:49 | 日記
 (1)国政の低迷、混迷が、まがりなりにも民主主義国家の日本の政治手法にあってはならない、門前払い、面会拒否が公然と使われている(symptomatics crowd of agreement refusal)。

 諫早湾干拓事業の水門開閉問題では、福岡高裁の判決確定にもとづき首相が地元に説明もなく開門方針を決定したことに、地元長崎県が反発して担当大臣との会談を同県知事が頑(かたく)なに拒否している。

 沖縄普天間基地移設先問題では、地元の頭ごなしの辺野古周辺への移設の日米合意を盾にした沖縄防衛局の説明を、これに一貫して反対表明の同市長が拒否している。

 その名護市長を、今度は政府で待ち受ける防衛相がお返しとばかりに「聞く耳をもたないで上京」と批判して面会を拒否するという、いづれも政府の地元への説明責任の手順、段取りの不足によるものとは言え、双方話し合いを閉ざした(拒否)ままの根比べ状態では、事態の進展は望むべきもない大人気ない脆(ぜい)弱な民主主義の政治手法だ。

 問題、課題、対応、展望、代替、影響が「話し合い」の中で分析、検証、比較されてこその「解決(solution)」だ。
 その手法を物理的に門前払い、面会拒否で最初から閉ざすナンセンスは、民主主義国家の政治手法ではない。それだけ信頼関係が崩壊した政府と地方の政治インバランスの実態を示しているとはいえ、大人気ない門前払い、面会拒否ではその改善、解消もおぼつかないではないか。

 (2)政府の説明責任不足が根幹にあるとはいえ、防衛相のお返しとばかりの面会拒否に名護市長が「こんなにかたくなな態度で」と政府を批判しても、それは自らの態度にも跳ね返ってもはや「どちらもどちら」の閉そく感だ。

 レベルは違うが、東日本大震災では東電社長関係者の面会を被災地自治体の首長が拒否するという場面もあって、このケースは心情的には理解も出来るが、直接的な威力抑止力的な見せしめ行為が常態化して、「心」が錆(さ)びれて、寂(さび)れているのが心配だ。

 (3)その最たるものが、首相だ。上記のような民主主義国家にあってはならない「ひとりよがり」の政治、社会低迷、混迷状況をつくりだした責任者だ。
 世論調査(直近内閣支持率19%)の国民意思、政府、与野党からの首相責任を問う進言、批判にも耳をかさずに「ひとりよがり(self conceit)」の政局を行く有り様だ。

 最近の映像からは首相の表情も消えて、すっかりメディアにも登場しなくなって、どうもひとり官邸に引きこもりひたすら荒波を避けて続投に執着、意欲を見せているらしいが、問題外だ。

 安全性の確証もなく原発再稼働方針を表明し、この政府の要請に協力的姿勢の地元、佐賀県知事が首相の意見を直接聞きたいと会談の意向を示したが、これにも首相は「なぜ」か難色を示していると言う。

 国の政治責任を放棄して、地方に責任を転嫁する「ひとりよがり」の面会拒否、判断能力を失った首相の姿だ。当初は首相擁護派だった議員の「一分でも一秒でも早く辞めて」の心情が民主主義、「心」の回復、国益に添うものだ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする