いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

沖縄密約。(判決) secret promise

2011-09-30 19:44:42 | 日記
 (1)沖縄返還(72年)時の「密約(secret promise)」問題。00年5月に米国政府の規程に基づく文書公開法で、同密約の存在を裏付ける米国公文書が発覚していた。
 核兵器を搭載(核の持ち込み)した艦船の寄港と米軍基地維持費の負担増(肩代わり)だ。

 日本政府は同密約の存在を認めていないが、これを調査した外務省の有識者委員会は「広義の密約」はあったと結論付けた。
 これを受けて返還時、新聞記者として密約問題をスクープした元記者ほかが密約文書の開示を求めた訴訟は、1審が国に開示を命じた控訴審(2審)で密約文書の存在は認めながらもすでに文書は廃棄されたと判断して、1審判決を取り消した。

 密約文書が現存しない「訴える利益(lawsuit profit)」そのものが存在しないとして原告側の請求を却下したものだ。

 (2)密約外交という不当に高度な機密性(本来あってはならない機密という本来的不当性)という特殊性の文書は、意図的(秘密裏)に関係者によって許されることではないが当然のようにすでに廃棄された公算(調査結果)が大きかった。

 法解釈上は、調査の信用性から証拠物件の密約文書が廃棄されて現在は存在しないと結果付けられれば、その文書の開示そのものの「訴える利益」も存在しない整合性のある判決ではある。しかし、それでは社会正義のパラダイム(paradigm)は成り立たない。

 (3)事は日米両国の事実を隠ぺいした外交上の問題であり、国益、国民投資(負担)に将来にわたって多大なる影響を及ぼす密約の存在、政治的影響力の大きい事件だ。
 日本側の密約文書の存在(日本政府は密約そのものも認めていない)はなくても、「広義の密約」の存在は第三者調査により広く認知されている。

 政府としては密約文書の「廃棄」を裁判上結論付けられた以上、パラドックス(paradox)としてその密約の「事実」の開示について「政治責任」を負うものだ。

 (4)高度の機密性などと言って、国民に「非開示(non public)」なるものが本来あってはならない民主主義政治だ。
 沖縄は返還されたとは言え、米軍基地の80%近くが沖縄に存在し治外法権化、実質上の米国(軍)の占領政策の中にあるということだ。沖縄の民意、基地の県外移設が進展しない要因だ。
 事実に目をつぶることは許されない。

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首相とメディアの時代。 era of premier and media

2011-09-29 19:28:11 | 日記
 (1)首相の毎日の行事、来客、打ち合わせスケジュールが新聞に載っている。朝から夜まで時にはどこそこの店で食事会まで分刻みの対応で、多忙な業務であることはよくわかる。メディアも使命とはいえ、よくやると思う。
 首相の政治行動をオープンにして密室化でない国民白日のもとに出来るだけ公正で公平、明白な行政運営の姿勢を知らしめて示すためだ。このスケジュール、来客対応でいつ冷静な政治判断をしているのか心配になるほどの過密ぶりだ。
 ついつい他人まかせ、お膳立てに乗った「本意」のわからない政治形式主義に陥(おちい)るのもわかる。

 (2)民主党第3代首相は、内閣、党組織構成にあたっては、党内融和に配慮した配置登用で結果として適材適所とはいかずに、すでに問題発言で辞任に追い込まれた前経産相のように「ほころび」を防ぐために、「余計なことは言わない、しない」など慎重な行動、政権運営の基本原則を徹底していると言われる。

 首相自らも従来の歴代の首相が対応していた移動中の途中での記者の取材(ぶら下がり会見)には一切応じずに、その流れで国会答弁でも慎重でありきたりのこれまた形式的な答弁に終始している。
 この姿勢は先の米国訪問では、米国大統領に実務能力として「仕事のできるパートナー」というレトリック(rhetoric)としての評価を受けたようだ。しっかり、普天間基地移設先の日米合意に添った早期解決の宿題を押し付けられてのだ。

 (3)自ら地味な首相というように現在のところでは党主導(政調会・税プロジェクト)の政策決定(復興増税・予算財源)が先行して表立っており、首相の「声」、本意は国会答弁も含めてよく伝わってこないのが現実だ。

 これまでの民主党2代の首相の問題発言が短命内閣を誘因した教訓なのだろうが、余りに慎重、地味で情報発信の不足が今政治に求められている(国民の80%以上が政治に不足を感じている)リーダーシップ力が見えてこずに、失点(一部閣僚以外)はないけれど危機的政治が活性再生化に向かっているとは到底考えられない、見えてこない。

 (4)報道するメディアには取材、報道内容に「節度」というものはあるが、その取材姿勢には国民の「知る権利」を振りかざしても事実、政策決定の背景としてのリーダーの首相の考え、思いを伝える使命、スキルはある。

 なにしろ唯一オープンの国会答弁を聞いていても、禅問答の領域でまるっきり現実政治の現実観、方向性が見えてこない。
 首相はさすがに今後、定例形式の記者会見を示唆しているようだが、それでは多分国会答弁レベルの領域からは出ない抽象化だろう。多忙の首相には、時の「声」の情報発信として時間制限の「ぶら下がり会見」は活用すべきだ。

 (5)そもそもメディア、報道とは信頼関係がないとコンプライアンスの範囲内でも、取材を受ける側からはやっかいなものだ。それも仕事の内だが、政治は結果、効果主義とは言え及ぼす影響は多様で広範囲なものだ。
 結果、効果だけの報道では、党主導の政権運営となると尚更国民は知ることにはならない。

 メディアは、政治の政策決定の背景、プロセス、考え、比較、検証を公正、公平に報道することが政治と国民の橋渡しの役割だ。
 政治とメディアはもっと自由に闊達、多様に民主主義に対応する環境、信頼関係を確認すべきだ。それが共に生きる時代の要請だ。

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過去・今・未来に責任。 take the responsibility for past,brand-new,future

2011-09-28 19:37:17 | 日記
 (1)普天間基地移設先問題で、沖縄の県外移設の「民意」が実現されるのかはわからないが、元外務省官僚の話では、県外が米軍基地をあらたに受け入れないのは地元の「民意」が反対しているからで、そういう観点から沖縄には民主主義の原則(民意の意向)が適用されていないと解説している。

 それは理論上の分析であって、沖縄は返還時のハンディ(handicap)な日米密約以来いまだに米国(軍)占領状態が制度上も続いているということだ。日米安保、軍事同盟、治外法権化の解釈拡大で、米軍と住民との不幸な不利益関係は解消されていない。
 沖縄に駐留米軍基地の80%弱が集中している現実も占領状態の実態を示すものだ。

 とても日本の主権が自在に影響している国土とは言い難い現実だ。民主主義の原則適用以前の、沖縄の「主権」回復が実質はかられなければならない。そういう普天間基地移設先問題だ。

 ここで民主主義の原則論から言えば、「国外移設」以外に方法はないことになる。国外移設と言うことは、日本の沖縄主権回復と言うことにもつながる。主権を回復することによる国内防衛体制、日米関係の再構築が必要になってくるが、重要な外交問題、一朝一夕で成し遂げられるものでもなく、今までの政治の有り様、歴史的不作為責任が問われる訳だけれど、「0」からやり直す努力は不可欠だ。

 沖縄返還でのデメリット(demerit)な交渉プロセスも見極めて、政治、国民にも沖縄主権回復には相当の覚悟は必要だ。情報開示による政治と国民の共有する合意プロセスが大事になる。
 この課題の解決なくしては、沖縄の民意の完全実現にはあまりにも障害(国内外情勢)が大きいという現実論だ。

 (2)新内閣の初仕事、諫早湾干拓事業の排水門開閉問題で、実効性よりは賛成、反対派の間を取り持つようなご機嫌伺い行政の問題解決能力、効果のない対応を示して、結果として両派から反発を買うことになった。

 政治の進むべき本来の方向、有り様の大切さを示唆するものだ。政治は結果、効果、過去・今・未来に最大公約数の責任(take the responsibility for past,brand-new,future)を持つ政策理念の基本軸を信念で貫くものだ。

 そこで2年前の政権交代で民主党マニフェストによる公共事業の見直しにより建設中止と判断された「八ッ場ダム」問題が第2ラウンド。
 ここにきて民主党マニフェストそのものの見直し、中止、後退の中で、再び建設中止の見直しがクローズアップされている。

 ここでも沖縄問題同様にかっての強制移転させられた同ダム周辺住民(あるいは建設利益団体)を巻き込んでの戸惑い、不信、思惑が起きている。
 事業目的効果、経費も含めてムダ削減が政策理念だとしたら、事の詳細な成否は不明だが、経済効果的には国交省の検証では建設中止より続行の方が有利だという結果もある。未来への事業目的効果との比較検証もある。

 マニフェストの理念を自ら放棄、否定した民主党政権だ。両派ご機嫌伺い行政対応でない政策理念の基本軸の信念で、過去・今・未来に責任を持つ政策力、政治責任を示すべきだ。民意を生かす主権民主主義の履行だ。

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裁判官の推認。 recognized conjecture of court

2011-09-27 19:32:08 | 日記
 (1)司法からの政治の巨悪(「天の声」)への挑戦の宣告だ。民主党元代表・幹事長の政治資金管理団体の同報告書の虚偽記載(政治資金規正法違反)にかかわって、元秘書3人に有罪判決だ。

 元秘書3人は検察の取り調べに当初、事実(元代表・幹事長への報告も含めて)として認めながら、裁判所がこの取り調べに検察の強圧、誘導、不当があったと認めて裁判の証拠にこの被告の供述調書を採用せずに、そもそも物的証拠のない記述不記載の不作為犯罪にこれがミスなのか意図なのか、「状況証拠」による「推認(recognized conjecture)」だけの積み重ねで有罪判決とした。

 元代表・幹事長からの4億円の巨額の収支を同政治資金管理団体の同報告書に記載せずにこれを「単なる記載ミス」とする被告側の主張に対して、多くの国民は心証として推量として、巨額の収支の不記載を子どもだましでもあるまいし、責任ある政治行動理念として単なるミスとしては信じることができない国民感情に添った判断、判決を示したものだ。
 このようなことがまかり通るなら、社会正義のパラダイム(paradigm)は崩壊して、社会全体に信じるものがなくなる影響を及ぼすからだ。

 (2)判決の構成内容は、ちょっと「荒っぽい」ものだった。そもそも人が人を裁く不条理の裁判の中で、「判決」とは裁判、公判の「審議」を通して得た裁判官の「心証」、「推認」を証拠となる供述、物的証拠、状況証拠によって、精度の高いものに固めていく作業だ。

 今回は司法自ら検察の供述調書を不当として採用せずに、不記載という不作為による物的証拠もない中、ミスか意図なのか、公判中の原告、被告の主張と唯一の状況証拠の積み重ねによる裁判官の「推認」だけで判断したものだ。
 当然ながら一部傍聴者からは、裁判官の物語にもとづく根拠のない判断との指摘もある。

 (3)同裁判長は、被告は無罪に足るだけの説明を公判中に十分行えなかったことを重要な判断基準として判決で述べている。そうだとすれば、被告3人が今日即座に判決に納得できずに控訴したと言うのもどちらがどうなのかおかしな話だ。

 控訴するぐらいなら、この公判で納得させるだけの十分な説明をつくすべきであったし、一方裁判長(官)の独断先行の推認であったのかだ。
 人が人を裁く不条理が裁判の中で、物的証拠のない不作為犯罪に対する判断で「判例」を示したものだが、危うさもあり、それだけに国民の心証、推量による判断背景(選挙、国民投票による意思表示)も重要性を増している。

 事態は、10月の元代表・幹事長の「言った」、「聞いていない」の同事件共同正犯(共謀)裁判へと引き継がれていく。

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超高速のマラソン・マン。 ultimate high-speed marathon man

2011-09-26 19:35:02 | 日記
 (1)人間の高い願望、夢のひとつに「より速く」、「より高く」、「より遠く」がある。未知へのワクワクする挑戦力だ。
 遺伝子(genetic factor)、生活環境ですでに人間のモチーブ・パワー(motive power)となるフィジカル・ストレンジ(physical strength)の違いがあるから、単純比較というのもおかしな話だが、速い人は速いものだ。三要素の中で最も重力に影響されない「速さ」の記録更新は目を見張るものがある。

 100メートル短距離走レースではジャマイカのボルトが9秒58の世界新記録を09年に達成したが、果たして8秒台で走ることは条件、理論、可能性としてもあるのか。100メートルレース記録短縮率の比較からは限界も見えてくる。

 (2)これが男子マラソンとなるとここ30年で5分近くも記録を短縮更新して、25日に行われたベルリンマラソンで42.195キロを2時間3分38秒(ケニアのマカウ)の世界最高記録を達成した。

 マラソンは70年代までは2時間10分を切ることが目標の「耐久レース」で、日本人の高い酸素吸収による脂肪分解エネルギー機能化力に適した体質(physical constitution)を駆使して世界トップレベルを維持していた。

 これにトラックレースのスピードを取り入れて、80年初めには記録は2時間8分、7分台でも「高速レース」と呼ばれて、瀬古利彦さんら日本人マラソンアスリートの世界が続いた。

 この時にすでにフィジカル・ストレンジの高い遺伝子のアフリカ勢の台頭で、近い将来にトラック長距離走レースの世界レベルのアスリートがマラソンに挑戦すれば3分台の記録も可能な「超高速レース(ultimate high-speed race)」がレース配分タイムから理論的に予見されていた。

 (3)その通り、トラックレースの長距離1万メートル(10キロ)の世界レベルのアスリートのマラソン挑戦、ペースメーカーの導入で記録は5分台、4分台に突入して、08年には1万メートル世界記録保持者(04年)だったゲブレシラシエ(エチオペア)が初めて4分を切る2時間3分59秒の当時世界最高記録をついに達成し理論の正当性をも証明した。

 当時の3分台の記録には、距離の正確性とかレース条件に疑問の声も一部出たが、もう今ではマラソン3分台も何ら不思議ではない超高速レース時代を迎えている。
 こちら(マラソン)の方は、30年で5分の短縮の実績を考えれば、将来「1時間台」でのマラソンレースも不可能ではない現実だ。
 フィジカル・ストレンジの単純比較では、最早日本人マラソン・アスリートではとても太刀打ちできない「未知のゾーン」、アフリカ(ケニア・エチオピア)の独壇場のステージだ。

 (4)ただし、マラソンレースはトラックレースと違って同じ条件、環境のレースはまずないのが通例だ。ここ8年のマラソン世界最高記録はすべて平たんで気象条件のいいベルリンマラソンだ。

 毎年、世界の有力マラソンアスリートが参加する冬の日本の知られたマラソンレースでは、まだ3分台の記録を見たことがない。
 ここは未知のゾーンの記録は置いといて、勝負の出来るマラソンレースでの日本人マラソンアスリートの驚異の活躍、夢はある。
 

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