いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

米国リベラルの復活。 resurrection of liberal usa

2018-10-31 20:00:43 | 日記
 (1)28日に「ブラジルのトランプ」(報道)と呼ばれるジャイル・ボルソナロ新大統領が誕生し、29日にはヒト、モノ、カネ自由往来のEUを主導したリベラル政治家のドイツ・メルケル首相が自ら党首を務めるキリスト教民主同盟(CDU)が地方選で大敗(報道)が続いていることを受けて、年末の党首選に立候補せずに任期の21年で引退することを表明した。

 (2)ブラジル新大統領はSNSを活用して、移民阻止など過激な差別的発言で現政権、現状に不満の国民の支持を集めるポピュリズムで頭角をあらわして、その政治手法はトランプ大統領とそっくりといわれている。

 トランプ大統領の保護主義、米国第一の政治的主義、立場にG7で直接トランプ大統領に面と向かって反論したとされるメルケル首相だが、同時期にブラジルに保護主義、ブラジル第一を主張する新大統領が誕生し、メルケル首相退陣が報じられて、時代の変化、移り変わりを強く印象づけるものとなった。

 (3)世界はリベラル主義(政治家)が退潮して、自国(偏向)主義、保守、差別、分断政治社会が台頭するという時代がさらに勢いを増して加速する傾向が強まった。
 メルケル首相が主導するEUは移民受け入れに反発する英国が離脱を決めて、ギリシャ、イタリアなど金融、財政危機国家を抱えて団結、結束が揺らいでおり、極右勢力の台頭も顕著になってきている。

 トランプ大統領、政権に一定の距離を置いてきた独、仏ではあるが、ともに国内の政治基盤は軟弱で政策課題を抱えてきた。

 (4)メルケル首相の退陣表明でEUの結束、方向性がどう変わるのか、変わらないのか、ともにEUを主導してきた仏マクロン大統領も国内政策に国民の反発、批判を抱えてトランプ大統領のイラン核合意離脱、環境効果を守る国際的規制協議からの脱退で米国との対立を深めて政権基盤が揺らいでいるといわれる。

 日本でも保守思想の強い安倍首相、政権が憲法改正、皇位継承による元号公表で保守政治姿勢を鮮明にしており、政治思想の保守化、右傾化は世界的潮流になりつつある。

 (5)来月6日の米国中間選挙での結果がどう出るのかは世界の政治の潮流に決定的な影響力を持つことになるもので注目される。米国がさらに保護主義、米国第一に向かうのか、伝統的なリベラル思想が復活するのかは今後の国際政治の良心、良識、協調、平和への行方を左右するものだけに米国民の判断が重要性を持つことになる。

 仏経済学者のトマ・ピケティがベストセラー著書の21世紀の資本で世界的な格差社会の解消の必要性を唱えたが、まさに格差社会、分断社会が国際政治、社会の地殻変動を誘因して現状へ不満、批判を持つ階層、人たちの反体制、過激思想社会に向かわせて潮流となりつつある。

 (6)この流れの先にあるものは何なのか、EUも危機を迎えて、米国は中露との経済、軍事対立姿勢を鮮明にして、中東、アフリカは紛争、混乱が続く。

 米国のリベラル、良心、良識の復活が大きなポイントだ。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自己責任論。 theory of self-responsibility

2018-10-30 20:17:49 | 日記
 (1)外務省の渡航自粛、退避勧告が出ていた内戦シリアに不法入国したジャーナリストの安田純平さんがその後武装勢力に人質となってから3年5か月ぶりに解放されて帰国した。
 内戦シリアに不法入国したせいか報道では解放された安田さんは現地日本大使館に引き渡されたと報じたものもあった。

 しかしジャーナリストが内戦状態のシリアに入国するのに正規の手続きがあるのか、できるのか疑問だし、それでは目的をもった取材、報道などできないだろう。

 (2)さらに無事帰国した安田さんに対してネットで「自己責任論」が展開されて、賛否両論ある。かってイスラム過激テロ組織ISに拘束されたジャーナリスト後藤健二さんらはISがまだ勢力拡大を誇示する中でみせしめのように映像に露出されて殺害されたが、安田さんの場合も武装勢力の背景によっては生命の保証がなかったこともあり、解放の背後に何があったのかはわからないが何より無事帰国したことは好運だったといえる。

 (3)そこで外務省が内戦で渡航自粛、退避勧告を出していたシリアに入国した安田さんに対して、表に出ない解放の背後関係の高いリスク(カタールが3億円を支払ったとの報道もある)も考えられて、「自己責任論」が話題を集めている。
 今でも世界の紛争、内戦、戦闘地域で命を落とす国際ジャーナリストは多く、しかしそういうジャーナリストの現地活動による報道が紛争、内戦、戦闘の赤裸々な現実、実態を世界に向けて発信する役割、使命も大きく、絶えず死と直面する戦場ジャーナリズムの覚悟、自覚の大きさ、宿命も感じられる。

 (4)渡航自粛、退避勧告がそういう人たち(ジャーナリストなど)と一般市民、観光目的客と同列、意味で論じられるのかは簡単には結論が出るものではなくて、パラドックス(paradox)としてそれはジャーナリズムとしての職務上の「自己責任論」として捉えられないこともない。

 そういう意味での自己責任論であればジャーナリストの覚悟、自覚の範ちゅうのものであり、仕事上の宿命といえないこともないからだ。

 (5)ネットで展開されているものが、外務省の自粛、勧告に反して自らその地に入ったことを指して自己責任論を展開しているとすれば、対象が違うといえる。
 それはたとえば生命の危険がついてまわる職業の警察関係、防衛関係の人たちが職務上危険を承知で任務にあたり被害を被(こうむ)ったとした場合に自己責任論を問われないことと同じ(概念)で、ジャーナリズム、戦場ジャーナリストの役割、使命、社会的必要性があると考えられる。

 (6)自己責任論は専門家によるとそもそも経済用語であり、投資リスクに対する消費者責任の自己責任論をいうのだそうで、ジャーナリストの生命の危険、責任解除に対して国、国民負担リスクの高さを自己責任論にすりかえて論じることは適当な論理展開ではない。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

非現実的な所信表明演説。 unreal belief manifestation speech

2018-10-29 19:55:49 | 日記
 (1)臨時国会が召集され、安倍首相が所信表明演説を行った。これまで安倍首相、政権が何をしてきたのかといえば、13年の特定秘密保護法、15年の安保法制、17年の共謀罪と自らの憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認により、日米軍事同盟の強化をはかり、海外に自衛隊を戦力としては派遣するものであり、そのための国の重要情報は国民に示さずに逆に国民への監視を強める非常に偏屈な政治傾向であった。

 (2)安倍首相はその自衛隊を憲法第9条に明記する改正案の実現をめざしている。一昨年から昨年にかけての国会は安倍首相、昭恵夫人がかかわるとみられる森友、加計問題の疑惑追及に終始して、野党の合流混乱、準備不足に乗じて昨年秋の臨時国会冒頭で解散総選挙に打って出て与党自民党は勝利して、今年9月の自民党総裁選では3選を果たして今回18年の臨時国会を迎えた。

 日本政治にとっては失われた空疎な2年であり、野党がしっかりしていれば政治の流れが変わった節目のものだった。

 (3)今年の安倍首相の臨時国会での所信表明演説(belief manifestation speech)では、強靭な故郷づくり、地方創生と9月の総裁選で対抗する石破茂議員に40%の地方党員票が入り善戦したことを受けてか、地方重視の姿勢を示した。

 経済が好調を示す中で成果を強調してみせているが、4年連続で過去最高の予算規模を続けて国家財政累積赤字が1千兆円を超える中で消費増税分を教育の無償化に充てて、本来増税対策とした課題の財政健全化の実現については触れていない。

 (4)来年のG20日本開催、皇位継承、20年の東京五輪とまさに歴史の転換点にあって、「平成の、その先の時代に向かって日本の新たな国創り」(演説文)をめざして憲法改正に強い意欲を示している。

 安倍首相自らの疑惑がかかわる2年の空疎な政治空白を経て、これから3年で「その先の時代の新たな国創り」が可能なのか、時間はそうはない。

 (5)冒頭にも述べたように、これまでの安倍首相、政権の辿った道は国民の過半数がその重要政策に反対する(世論調査)もので、数の力頼りの強行成立で進めてきた独断政治であり、今所信表明演説では最後に「私もまた、次の3年、国民の皆さんと共に新しい国創りに挑戦する」(演説文)と言われても、この白々しさにはとても信用できるものではない。

 国創りは3年、5年のスパンで進めれるものでもなく、次世代国民、社会の感性、責任、自覚にまかせるものとして、安倍首相が自らの政権で解決するとした拉致問題解決に方法論(methodology)を考えて、国際的な協力、支援、協力のもとに本腰を入れて解決に向かわせるべき重要課題だ。

 (6)安倍首相も今演説で「次は私自身が金正恩委員長と向き合わなければならない」(演説文)と述べているように、これは今後3年の安倍政権の中で可能なことだ。

 安倍政権はよほどのことがない限りこれからの3年の日本の政治を担うもので、今回の安倍首相の所信表明は多くがこれまで先送りしてきた課題を述べるものだけで実現性に乏しく、そうでなくとも権力集約がむずかしい政権最後の3年間の政治運営に安倍首相が具体的にどうかかわっていくのかわからない非現実的な所信表明(unreal belief manifestation)となった。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明治150年と日中平和友好条約。 meiji 150 years & a treaty of peace & friendsship

2018-10-25 19:54:36 | 日記
 (1)23日は明治150年を迎えて政府主催の記念式典が開かれ、日中平和友好条約締結40年の日となった。明治150年がどういう意味、意義があるのかわからずに、日中平和友好条約40年はこれまで何をしてきて、どう役に立ってきたのかもわからない。

 明治150年は安倍首相の出身山口県の当時長州が明治維新を主導したということで、安倍首相が「私が頑張っていけば、(明治150年の)18年も県出身の首相となる」(15年地元の講演ー報道)と式典開催に強いこだわりをみせたといわれる。

 (2)自民党政権は明治100年も大々的に式典を開いているので、明治維新に強い懐古、郷愁を持っていることがわかる。明治時代は日本の近代化の始まりであり、日清、日露戦争を経験して世界に向けて欧米に対抗する拡張路線を歩み始めた歴史転換期でもある。

 歴史評価の仕方はいろいろあると思うが、鎖国政策から解放された日本、国際情勢と現在のグローバル化、情報化された時代の国際環境はまったく異質なもので、明治時代懐古、郷愁比較が随分と不釣り合いにみえる。

 (3)安倍首相は明治期の近代化で「憲法改正、議会の設置、工業化、義務教育導入など社会の土台が築かれた」(報道)と述べて「今を生きる私たちも、これを誇りに力強く歩んでいかなければならない」(同)と述べているが、「社会の土台」そのものが現在とまったく異なるもので比較しようもなく、明治150年式典は明治時代に憲法が制定されて戦後日本国憲法(平和憲法)のもとに一度も改定されてこなかった憲法改定を自らの手で実現したい意向、意欲のあらわれのように映る。

 明治維新を主導した安倍首相出身と同じ長州が引き合いに出されて、時代感覚の違う明治150年が「今を生きる誇り」にされても国民にとっては時代錯誤にしかみえない。

 (4)日中平和友好条約40年はさらに本当の意味、意義、役割がわからない。政治体制が全く違う近隣国同士として、ないよりはあったほうが良い平和友好条約ではあるが、節目、節目で強調されてきたわけでもなくとりわけ尖閣諸島領有権、歴史認識問題では平和友好条約のある国同士とはとてもみえない敵対関係が続いており、米中貿易戦争で米国から圧力をかけられて不利な立場に立たされた中国がようやくここぞとばかりに日本との接近、関係改善に向かわせているという、パラドックス(paradox)として実質効力性が疑われる名前だけの形だけの日中平和友好条約だ。

 (5)むしろ日中を取り巻く政治、外交、軍事環境をみれば、途中破棄されずによく40年も同条約が続いてきたという不思議な感慨のほうが強い。明治150年式典を開催するよりは日中平和友好条約40年の式典を日中両国で主催することのほうが現在の国際情勢からは必要でふさわしかった。

 トランプ大統領の中国非難のおかげで日中接近、関係改善に向かわせているという副産物であるが、同じアジアをけん引する近隣国同士が協力、理解しあうことは形ばかりの平和友好条約よりは実効性、影響力がある。

 (6)安倍首相が現在中国を訪問しており、どういう話し合い成果をみせるのか、米国トランプ政権の追随外交の安倍首相としての言動が注目される。トランプ大統領は米国に対する貿易黒字で日本に対しても厳しい経済、貿易条件、対応で臨む姿勢をみせており、安倍首相に米中関係改善の橋渡し、調整は期待できない状況だ。

 せめて日中平和友好条約の意味、意義について実効性を担保する話し合い、確認を求めたい。
 

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本経済の特徴の変遷。the change of special feature of japanese economy

2018-10-24 20:20:20 | 日記
 (1)日本もこういう国、社会だったのかと思い知らされている。耐震強度の不正、排ガス規制のねつ造、企業の粉飾決算、障害者雇用の水増し、医学部男女差別合格にこれは相変わらずの談合社会、国会議員の政治資金不適切管理、口利きのオンパレードだ。

 政府は明治150年とかで日本近代化の発展、成長を讃える記念式典を実施しているが、2018年の日本社会はモロモロの危機に直面している。

 (2)少し前には保育所が足りずに落選した母親がブログにまた落ちた、女性が活躍できないぞ趣旨の書き込みをして話題になったが、昨今は育児休業延長証明のために保育所の「落選希望」の申し込みをして、これに本来入所が必要な人のために政府(厚労省)もこれを容認する方針を示している変わりようだ。

 一見利害関係がつながっているようで、育児はやはり一定年令までは親の手元で愛情で育てる覚悟が大事で、親の責任なので、育児休業は保育所の落選証明ではなく申告制で十分だ。
 育児休業延長が増えているとすれば経済力も含めて健全社会ともいえる。

 (3)冒頭例からどうして日本社会がそうなってしまったのか、本質はそもそもそうだったのか考えさせられる。戦後日本は二度の原爆投下に敗戦による米軍による沖縄占領、実質支配の中で生きることが精いっぱいの社会だったので、社会正義がどうの、主義思想がどうのとか言っていられない状況下で、混乱が常態化していた。

 戦後団塊世代の出現で労働資本が潤沢になり、一気に高度経済成長期を迎える。

 (4)この時も人は労働力の使い捨て、消耗品扱いで、企業、社会の歯車として活用された。欧米国家、社会に追いつき追い越せで米国に次いでGNP(当時ー現在GDP)世界第2位の経済国になった。

 当時は労働時間規制など問題視されずに生産性、利益性だけが唯一であり、働きすぎ過労死には見向きもせずに国家経済成長、発展の礎となって人、労働力が使われてきた。

 (5)国民性は勤勉、努力、協調、協力、従順とみられて、日本製品は品質、性能、機能の高さが国際的に評価されてきた。これを支えて労働力酷使は問題が多いが、日本経済の品質、性能、機能の高さ、優秀性(priority)は特徴的なものだった。

 その後世界はグローバル化し情報化社会、ケイタイ、スマートフォン、タブレット社会を迎えて国際競争力の時代となり、様々な規制、統制、制約への対応が求められて日本製品の特徴でもある品質、性能、機能の高さよりはコスト、価格重視の時代となって、日本経済の特徴がプライオウリティを持たなくなって時代は冒頭例のような利益優先の時代を反映した日本経済、社会の劣化、堕落だ。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする