いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

マイナス金利不安。 uncertainty of a minus rate of interest

2016-01-30 19:38:49 | 日記
 (1)日銀の大胆な金融緩和策効果も中国経済の減退、原油安などで限界が見られる中で、物価目標2%達成を16年度後半から17年度前半へとまたまた先送りした。
 何度も何度も目標達成のために目標を先送りすることはもはや「目標」などではないと書いたが、政府、日銀はデフレ脱却のためには物価目標2%達成は必要だと見ているわけだから、それがいつになろうとも物価2%達成にこだわり続けるのは彼らには意味のあることなのだろう。

 そうならばもう目標などは取っ払って、こうなったらこうなるんだとのデフレ脱却実施設計図を明確に示すべきだ。

 (2)銀行、金融機関のカネが思い通りに市場に出回らずに日銀に預けられる状況に、日銀が昨日決定した金融政策はそれでは日銀にカネを預けたら自然減少しますよというマイナス金利(-0.1%)策(a minus rate of interest)だった。

 銀行、金融機関と日銀との預金関係問題で一般国民の銀行預金にかかわるものではないが、これで日銀が描くように「うまく(go well)」銀行資金が市場、企業に向けられるかは疑問だ。

 (3)銀行も日銀に預ければ資金が自然減少することになるから、これまでより市場、企業に回す銀行資金の比率は多くなることが予想されるが、日銀から全部引きあげるわけにもいかずに銀行収益、経営に悪影響をもたらすことになるから、銀行も市場、企業から「その分」を取り戻そうとするのは経済原理原則だ。

 (4)マイナス金利策は欧州では14年6月にすでに導入されて、しかし貸し出し増加にはつながっていない(報道)といわれて、企業向けの貸し出し金利の低下(マイナス金利の取り戻し)を招き物価を押し上げる効果も出ていない(同)といわれて効果は見えていない。

 このため昨日の日銀金融政策決定会合でのマイナス金利策導入でも、副作用対効果の見極めから審議委員9人の中賛否5対4(報道)のわずか1票差での導入決定だった。
 
 (5)黒田日銀総裁は会見で意見多数で決めたと胸をはったが、そんなものではなかったのだ。政府は企業業績も回復基調にあり賃上げも続き、雇用も改善して国内経済状況は堅調にあると強気の説明をくり返しているが、GDPは連続マイナス成長からようやくプラスゼロに手が届くかの回復もせずに、実質賃金は目減り傾向でGDPの60%を占める消費者動向は上向かずに中国経済、新興国経済の減速傾向が国内経済、景気不安に追い打ちをかけて、そのための日銀のあれやこれやの金融対応策だ。

 (6)政府がこれまでの経済界への賃上げ、設備投資推進の政治介入のように銀行、金融機関に対して市場、企業への融資貸し出し推進に強い姿勢で臨むのか、銀行、金融機関の経営にマイナス影響が出ることも考えられるだけに判断はむずかしいところだ。

 日銀のマイナス金利策導入は銀行、金融機関の収益悪化、経営不安を市場、企業に転化するという副作用、悪循環を招けば、経済、景気を押し下げて17年4月の消費税10%引き上げにも影響を及ぼすことにもなる。

 (7)それだけに日銀のこれまでの金融緩和策の限界、手詰まり感を示すことになったマイナス金利策導入だ。

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提案型政治。 politics of overture style

2016-01-29 19:56:01 | 日記
 (1)経再担当相を辞任した甘利さんが大臣室で表敬訪問した建設会社社長らから現金50万円を受け取っていたことを認めた(報道)ことには驚かされた。本人は記者会見で寄付として政治資金収支報告書で適正に処理したと述べているが、それ以前の政治家倫理観として大臣室で表敬訪問者から現金を受け取るなどとは、金銭感覚が一般社会の常識、倫理観から遊離してしまっている証しとなってしまって、それがどう適正に処理されたかなどとの言い訳以前の人間倫理失格(ethical disqualified person)だった。

 (2)丁度同じ頃、名古屋市では河村市長がかって(10年近く前)就任早々に市長報酬を議会の反対を押し切って特別条例として一般社会並みの800万円(それまでは1千万円超)に減額し、さらに市議会議員の報酬もそれに合わせて800万円に半減してきたが、市議会が元の1600万円に戻したうえでさらに12%以上削減(報道)してそのうえ定数を7以上削減して、その財源を市内全中学校にいじめ対策の専門員を常駐する予算(10億円)などにあてることを提案決定した。

 (3)市長報酬と同じく市議報酬800万円の恒久化を目指していた河村市長もこの「提案型(overture style)」市議会の議員報酬引き上げについては反対していないといわれている。

 河村市長の信条は消費税引き上げなど市民に負担を強いる以上、政治、政治家が身を切る思いで一般社会、市民生活並み報酬で活動を率先垂範することが必要だとの信念で実行し、この政治姿勢、理念は市民の支持も高い。

 (4)国の政治、国会でも同様の国民に負担を強いるからには国の政治、国会が定数削減、報酬見直しで身を切る思いを実践しなければならないと主張はするが、こちらの方は一向にその方向に進まない口先き政治が常態化している。名古屋市の実行政治とは大きな違いだ。

 その中で地方自治体での安倍首相が弱小野党に要求する「提案型」政策論争も取り入れた名古屋市の取り組みは評価できるものだ。

 (5)政治家はいつも政治にはカネはかかるものと言いながら、その政治とカネの全体像、制度設計図について詳細に具体的に政治資金構造を示すこともせずに、結局は政治家に都合のいい政治資金規正法の中でいいかげんな政治資金収支、使途をくり返して疑惑、疑念が持たれて、冒頭のように政治家責任を取らされてきた(中には表から消えて説明責任を果たさずにそのまま議員活動を続ける不貞もいる)。

 (6)名古屋市の河村市長は減税(市民税)政策、市長報酬、市議報酬800万円の市民感覚優先の革新的な市政方針を掲げて市民の支持も高いが、議会対策、政策説明責任の不足など独断先行も強くて市政功罪半ばするところがある。

 安倍首相はデフレ脱却を目指して経済界に2年連続の賃上げに今年も賃上げを要請している中で、名古屋市議の報酬は引き上げ勧告にも800万円恒久化を目指す河村市長は応じてこなかったが、今回の「提案型」市議会の議員報酬引き上げにようやく応じる形になった。一般社会が賃上げ志向の中では反対する理由もなかった。

 (7)提案型政治のいい流れではなかったのか。国の政治も手本とすべきだ。

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天皇と「日本人」発言。 Tenno and `the japanese' speech

2016-01-28 19:41:39 | 日記
 (1)天皇の第2次世界大戦における海外での旧日本軍がかかわった戦闘の敵、味方関係のない戦没者の慰霊の旅が続く。個人的に相当に強い意思と希望によるかってのアジア各戦闘地域、国への戦没者慰霊の旅といわれている。

 天皇、皇后両陛下は新年26日からフィリピン・アキノ大統領の招へいに応えて国賓としてフィリピンを公式訪問している。27日には無名戦士の墓を訪れ追悼、慰霊し、29日には日本政府が建立した比島戦没者の碑も訪れる。

 (2)27日の公式晩さん会のあいさつで天皇は「(太平洋戦争でのフィリピンの甚大な被害に触れ)私ども日本人が決して忘れてはならないこと」(報道)と言葉を述べられた。

 第2次世界大戦は当時の軍事政権がアジア侵略植民地支配の末に米国を中心とした連合国との戦闘を開始したものであるが、当時の天皇も今と違って統帥権者として大戦にはかかわっていた。
 このことから天皇戦争責任論も言われたことがあったが、連合国による東京軍事裁判でも直接責任を問われることはなかった。

 (3)そういう経緯もあるのか憲法上国民の象徴となった現在の天皇は、冒頭のように自らの強い意思と希望で海外での旧日本軍がかかわった戦闘の戦没者の慰霊の旅を続けている。

 これはこれで自らの強い意思と希望ということで個人的な尊い行動ではあるが、天皇が政治的に利用(political utilization)されることへの懸念も言われることがあり、戦没者の慰霊の言葉として天皇自らが「日本人が忘れてはならない」と言及されるとその懸念、違和感も感じるものだ。

 (4)天皇の国賓としてのフィリピン公式訪問はもとより国事行為であるから、憲法上内閣の助言と承認に基づいて行われるものであり、安倍首相、政府の意向も反映されたものである。

 本来旧日本軍によるアジア侵略植民地支配、第2次世界大戦の現地被害についての当該外国政府、国民に対するおわびと反省は国の政治責任の問題であって、現在は国民の象徴として政治に直接かかわらない天皇の行うものではないのが憲法上の立場だ。

 (5)国、政府としては戦後の戦争一括責任、賠償責任処理による政治的解決で済んだとの立場であり、再度国、政府としてアジア植民地支配、第2次世界大戦による戦争責任に言及することになれば再び国家賠償責任問題にもなりかねずに、安倍政権としては天皇の個人的な強い慰霊の意思、希望を政治的に利用して天皇の言葉として表わしているとも考えられる。

 (6)そういう違和感が天皇が自らの意思、お気持ちではなくて「『日本人』が決して忘れてはならない」という政治的とも受け取られる発言になっているのではないのか。
 天皇と「日本人」発言には国民の象徴としての憲法上の立場と距離感があるように感じる。

 天皇自身の立場、お気持ちは理解できるが、日本の戦争責任にかかわる戦没者の慰霊であまりに全面に出るのは、その憲法上の政治的立場面を考えるとふさわしいものとはいえないのではないのか。

 (7)あくまで天皇自身の個人的な思いとして国事行為、公式訪問とは切り離して達成すべき戦没者の慰霊であったほうがふさわしいのではないのか。
 天皇のフィリピン国賓公式訪問の場での戦没者の慰霊にかかわる「日本人(the japanese)」発言には違和感はある。

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アップル・アイフォンの減少。 a decrease of iphone of apple company

2016-01-27 19:39:27 | 日記
 (1)次から次へとあたらしいコンテンツを発表して販売拡大を続けてきたアップル・アイフォンもいよいよ販売減少(ニュース報道)傾向になってきた。世界的に浸透して需要が頭打ちなったと述べている。

 先進国経済の伸びが頭打ちになって新興国経済が急激に成長してきた現象と同じで、経済原理からいえば当然の帰結といえそうだ。
 情報媒体がパソコンからタブレット端末に移行していつでもどこでも通信情報取得が可能情報社会となって、次はどんな情報ツールが出現するのか興味がわくアイフォンの販売減少ニュースだ。

 (2)スマートフォン(smart phone)、タブレット(tablet)文化の出現で書籍、出版文化も紙ベースから電子書籍へと変化をみせて、それだけが原因ではないが2015年の紙ベースの書籍、出版物販売実績が前年比5.3%減少で、これは統計の残る1950年以降で最大の下げ幅(報道)を記録した。

 情報化社会の電子書籍の出現ですでにこの傾向は既定事実化していたのだから、これも当然の帰結というところだ。

 (3)電子書籍の販売実績は前年比31.3%の大幅増加(報道)だった。それでも紙ベースの2015年の販売総額が1兆5220億円で、電子書籍(electronic books)が1502億円(同)というから、まだまだ紙ベースの書籍、出版物の販売実績は電子書籍の10倍あるからこの差がこのスピード率で逆転するのかはわからない。

 紙ベースの書籍、出版物の特性、電子書籍の特徴もあり、両方のすみ分けがスピード進化にあわせて進むことは間違いないだろう。
 
 (4)雑誌、週刊誌でみると紙ベースでは13.6%減と大幅減少し、電子書籍では逆に78.6%と極端に伸びており、この分野での逆転現象は確実なものだ。すみ分け論でいくと週刊誌情報は内容が興味本位で「読む」ものではなくて「見る」ものとの特徴がタブレット文化の電子書籍にとってかわるのは高度情報化社会では必然のことだ。

 週刊誌の情報管理が厳しい皇室情報などを見るとどこから入手してくるのか情報の真実性に疑問も見られて、情報の真実性という本質的な価値観から外れて興味本位主体ではあきられるのも早いだろう。

 (5)2015年は芥川賞受賞の「火花」がコメディアン作家の話題性もあってミリオンセラーとなって、書籍類の落ち込みは前年比1.7%減と14年の4.07%よりは少なかった。

 毎年ノーベル文学賞候補として話題にのぼる村上春樹さんなど有名作家の作品は根強い人気、支持もあり、書籍類は長編化、読みやすさ、記録性(書き込み)、比較性、資料性などの特性から紙ベースの利点はまだまだというか普遍的に大きいものがある。

 (6)ただし時代のスピード感、タブレット文化の浸透から文字離れも深刻で、これをくつがえす実力のある若手作家群が控えているかとなると文学も商業ベース化してスケールダウン、将来は明るくはない。

 読書率は初等、中等教育では回復基調にあるというデータもあり期待もできるが、その教育は電子媒体が主流となっており、電子書籍化の傾向を後押しするものだ。
 衰退の週刊誌だが、政治家の疑惑報道では新聞などより大きな役割を果たしているのは皮肉な結果だ。

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時間稼ぎのレトリック。 rhetoric to gain time

2016-01-26 19:44:36 | 日記
 (1)甘利経再担当相側の企業口利き金銭授受疑惑問題は、大臣室などで本人が確かに当該企業関係者に会ったことはあると言いながら金銭の授受については、否定もせずに記憶があいまいで整理して28日までに説明責任を果たすと釈明している。

 権限執行責任者の大臣が企業の有利なように関係機関に口利きをする見返りとして金銭を受け取ったとなると、大臣職権を利用した不当あっせん、不当利得として政治家として負託を受けた国民に対する重大な背信行為として司法から糾弾されて、大臣はおろか政治家としての職務も辞職しなければならないのは当然のことであるから判断が慎重になるのはわかるが、釈明があまりにも疑惑を深める言い回しなのでますますその疑いが強まっている。

 (2)これまでの例では密室(大臣室など)での会った、会わないでは疑いをかけられた側が会ったこともないとつっぱねて、仮にそこでの金銭の授受についてもなかったと強弁するのがよくあるケースだが、甘利経再担当相の場合は確かに会ったことは記憶にあるがどんな話をしたかのことではなくて金銭の授受があったかどうかは否定もせずに記憶があいまいだというから、正直といえば正直だが通常では理解できない話ではある。

 (3)まさか金銭の授受が「あいまい」というほどここかしこで金銭の授受があったということなのか、いちいち整理しなければ迂闊(うかつ)なことになるとの疑念があるのか疑惑は増すばかりだ。

 この真相は本人が28日に会見を開いて報告すると言っているのでそれを待つしかないが、野党のこの疑惑問題に対する追及が手ぬるいのも理解に苦しむところだ。
 冒頭のような見方から当初民主党の岡田代表はすぐにでも説明のつく話だと早急の疑惑解明を求めながら、民主党関係者からは国会本会議での各党代表質問(26日)の始まる前の25日までに甘利経再担当相が説明責任を果たすよう要求し、今度は29日の予算委員会開催前の27日に説明責任を果たさなければ同審議に応じない構えを見せている。

 (4)民主党岡田代表がすぐにでも説明のつく疑惑問題と言いながらの民主党、野党が自ら疑惑説明責任のハードルを次から次と引き下げていくなど、疑惑追及に真面目に取り組む決意があるのかこちらも疑わしい行動にしか見えないのは情けないところだ。

 疑惑問題は時間が経過すればするほどいろいろ工面、作為、変更がなされる恐れもあり、今回の焦点は大臣室などで会ったことは確かだがそこでの金銭授受は否定もせずに記憶があいまいという奇妙キテレツな問題なので、その記憶が何を調査して確たるものになるのかは常人には理解できないことだ。

 (5)通常国会の審議拒否と引き換えの議員(大臣)個人の口利き金銭授受の疑惑解明かは一概には言えないが、しかし疑惑をかけられてあいまいな記憶のままの大臣のもとではまともな国会審議などできないのだから今回の国会審議拒否があるとすればそれは正当性のあるものだ。

 野党は国会審議拒否の正当性を主張して、大臣の時間稼ぎのレトリック(rhetoric to gain time)を許さない疑惑解明の決意を示すべきだった。

 (6)自民党内からは甘利経再担当相が企業からハメられたとか企業にはヒッカケる作為があったなどとの同調論も聞かれるが、これは疑惑問題の焦点外しでピントが外れており、同じ時間、空間の中での記憶鮮明と不鮮明が同在するという不自然さの説明責任が求められているのだ。

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