いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

日本と中国 アジア新時代。 japan and china in the era of new asia

2015-12-31 19:40:59 | 日記
 (1)戦後70年目の大晦日を迎えた。70年前の大晦日はどんな光景であったのか想像も出来ないが、安堵と不安と前(未来)の向けない、見えない茫然自失とした世界(観)があったのではないのか。

 煩悩を消すといわれる108つの除夜の鐘が年をまたいでたたかれるが、70年前にはことさら力を込めてまた聞く耳にはさみしい心とお腹に響いてきたのではないのか(ひょっとしたら戦時に供用されて多くの寺院の鐘もなかったのかもしれないが)。

 (2)日本の新年は寺院、神社に初詣でに出かけて明けるのが慣習だ。日本全国津々浦々に寺院があって、神が宿るといわれる神宮、大社もあり神無月(10月)には全国の神が出雲神社に集まるともいわれている。

 (3)これほど寺院、神社仏閣が国民生活に浸透していながら、日本は仏教国でもなければ神道国でもない。いわゆる無宗教観の国だ。
 長い歴史、伝統、風土、風情の中で仏教(寺院)、神道(神社)が心のつながりとして上手に生活に取り入れられて文化として受け継がれてきた。
 日本の文化が多様で多価値観の豊饒な国だと実感させられるところだ。

 (4)天皇制は長いほんとうに長い歴史、伝統に支えられて受け継がれてきた歴史的制度であり、一時は天皇は神といわれて神化、権化されてきたが、その象徴としての天皇崇拝のもとに戦争に突き進み唯一の戦争被爆国として悲惨な辛苦、苦しみを味わうことになる。
 今は国民の象徴として人間天皇としてのあたらしい時代、文化を生きている。

 (5)有効、有望な天然資源の少ない日本が清廉な国民性のもとに多様で多価値観の文化、伝統の中で結束力と成長力を育んで国際社会でも存在感を示してきたのは、日本の歴史、伝統、風土、風情のなせる結果でもある。

 今はそのダイナミズム(dynamism)を基本的には堅持してはいるが、もっと自信と自覚を持っていい時代だ。世界は協調時代を迎えて多様化し日本はその流れの中で人の良さからか翻弄(ほんろう)されて自分を見失うことが多いが(特に政治で)、今こそ日本の多様性(diversity)、多価値観(numerous value judgment)を自覚、発信、発揮すべき時である。

 (6)中国は13億人の国民と広大な国土を活用して今やGDP世界第2位の経済国だ。もともと三大文明の発祥地であり、共産革命により国としての発展基礎は遅れをとってきたが、13億人の比較安価で豊富な労働力と広大な国土の市場力を有効活用して世界経済にも影響力を持つ有数の経済力を持つまでになった。

 発想のスケールは大きく、アジアインフラ整備のAIIB設立を主導し、「陸と海のシルクロード」(一帯一路)構想で中央アジア全体、中東から欧州に至る広大広域な経済圏を視野に入れて、軍事拡張路線は南シナ、東シナ海を巻き込んでの自国領の主張で紛争を起こしている。

 (7)軍事拡張路線はいただけないが、近年になって発想スケールの大きさは脅威的なものだ。膨大な国民人口と国土の統治、維持に様々な不安はつきまとうが、三大文明の発祥地としての潜在能力はつきないものがある。軍事、経済国としてアジアの安定、共存に賢明な判断と責任が求められる。

 (8)日本と中国は覇権を争うのではなく、協調してアジア新時代(the era of new asia)の成長、発展に向けて主導、協力し合うことが求められるアジア新時代だ。

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変なこじつけ論。 doubtful farfetched theory

2015-12-30 19:38:33 | 日記
 (1)人間はたとえ実行犯であろうと証拠がなければ裁かれない。法定刑罰主義の大原則だが、だからといってこじつけがましいことをしては反感を買う。
 11月23日に靖国神社の公衆トイレで「爆発音がして不審物が見つかった」事件で、事件当日近くの防犯カメラに写っていた韓国籍の男性が容疑者として浮かび、事件当日に韓国に出国して数日後に再び日本に再入国しようとして羽田空港で同事件関連容疑で逮捕(報道)された。

 逮捕起訴容疑は「11月23日に正当な理由がないのに靖国神社の敷地内に侵入した」(報道)という建造物侵入罪だ。いわゆる別件逮捕で、東京地検は今後来年1月には事件核心の火薬類取締法違反容疑で再逮捕(同)する方針だ。

 (2)とりあえずは防犯カメラの映像証拠にもとづく証拠能力のある建造物侵入罪での立件起訴となった。本人は靖国神社内トイレの爆破にかかわったとの証言もしているとの報道はあるが、その後は黙秘を続けているということだ。

 この靖国神社内トイレに立ち寄ったことが「正当な理由がないのに同敷地内に侵入した」ということになれば、誰もが必要に応じて靖国神社内の公衆トイレを利用することなど出来ないことになる。

 (3)その後参拝したかどうかの立証もむずかしく、中には必要に応じて公衆トイレだけを借りる人もいることは想像できてそれまで不法侵入では、このこじつけ論(farfetched theory)は司法判断としてはこっけいでもあり、そうとは言ってられない司法による国民、人間の自由の法による拘束という人権侵害問題にもかかわるものだけに、法的手法の問題性はある。

 本人は黙秘しているとのことだが、このまま仮にトイレに立ち寄ったことが建造物侵入罪に問われるということになれば、裁判では捜査権の強権行為として不問に附されることが考えられる。

 (4)深い起訴内容はわからないが韓国籍の男性だからといって靖国神社に立ち入ることが「正当な理由がない」はずもなく、国内外を問わずに不特定多数の参拝者あるいは目的も様々多様(見学、トイレ利用、購買など)な来訪者をとらえて「侵入者」呼ばわりされても、あるいは誰もが「侵入者」になり得る司法判断という不条理性(unreasonableness)を生むだろう。

 当の韓国籍の男性は再入国の際に黒鉛、配線とか爆破装置に利用できるものを持っていたといわれており、申告もなく(多分)そういう危険物を所持していたことを理由に拘束できなかったのか、こちらのこじつけの方が合理的に見える。

 (5)別件逮捕の危うさは思わぬことで被害者になりうる犯罪意思能力とはかかわらない司法の強権性、利己主義性であり、法定刑罰主義の理念にそぐわないものでこれまでも批判、批難を浴びてきた。

 事件当日の状況、その後の容疑者の不可解な行動(事件当日の出国、数日後の再入国)を見れば靖国神社内トイレ爆破に関与した可能性は高いと見られるが、韓国籍の男性で日本での捜査のために身柄の確保がまず優先されるという事情はあっても、それ相応の容疑事実がなければ司法の強権性、行き過ぎが目に余ることになり、司法の信頼性にかかわる問題となる。

 (6)司法の捜査の苦肉の策で個人の自由、権利、人権が拘束、侵害されることがあってはならずに、誰もが確固たる証拠、理由がなければ法による自由拘束されることはあってはならないのが、法治国家としての使命であり責任である。

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50年目の日韓合意。 an agreement between japan and korea on the fiftieth years

2015-12-29 19:44:45 | 日記
 (1)今年戦後70年を迎えるにあたって、これから100年に向けての30年の新しい時代、課題のスタート、方向性を決める年だと書いたが、安倍首相が70年前の戦争責任を将来の世代に背負わせてはならないと言ったのは正しい判断だった。

 1965年に日韓請求権協定の基本条約で従軍慰安婦の賠償問題は解決済みとの立場をとってきた日本政府であるが、韓国は朴クネ大統領が日本の責任と謝罪、おわび、反省を強く求める対立を続けてきた。

 (2)50年前の請求権協定による女性基金設立による日本の賠償責任対応では、当時の韓国政府による韓国元慰安婦への受け取り拒否対策もあって韓国側からすれば戦後処理は未解決のままという主張があった。

 今年に入って日韓首脳会談が両首脳就任以来初めて開かれて、今回の28日の外相会談で一応の決着をみることになった。

 (3)日韓外相会談の合意(agreement)では「慰安婦問題が『最終的かつ不可逆的』に解決されることを確認し、今後互いに非難や批判を控える」(報道)ことを確認して、日本政府は予算から韓国政府が元慰安婦を支援する財団設立に10億円拠出(同)して責任とおわび、反省を示すことで決着した。

 合意は「日韓両外相共同記者発表」(報道)として文書で示された。両国政府の正式な合意文書でないところがどれだけ拘束力を持つことになるのかは実はわからないが、韓国政府の慰安婦支援財団事業が日韓合意にもとづいて進展することによって問題は確実に解決に向かって前進することになるのは間違いないところだ。

 (4)韓国政府が強く求めた日本の「法的責任」は合意内容では取り上げられずに、安倍首相もその後の朴大統領との電話会談では「財産請求権問題は1965年の協定で最終的かつ完全に解決済み」(報道)と伝えており、日韓双方がそれぞれの主張を棚上げした形での完全合意となった。
 日本の法的責任まで認めれば、アジアのほかの国への戦争賠償責任問題に発展する可能性が大きいことになる。

 (5)韓国側の財団設立による元慰安婦支援事業に日本政府が直接予算から拠出することで、50年前の日本側の女性基金設立による慰安婦賠償責任問題とは一線を画した形での決着となったことは一定の前進があったということで、事実上の日本政府のこの問題での責任の所在(予算からの10億円拠出)を明らかにしたということだ。

 これで韓国内の元慰安婦支援対策は日本政府の10億円拠出により韓国政府の国内問題として解決に向かうという政治決着(political settlement)になって、解決負担は今後韓国政府の責任遂行に移ることになる。

 (6)ある意味ではこれまでの朴政権の強硬姿勢から見て韓国政府側の譲歩ともいえる今回の合意解決であったが、韓国内の一部世論、元慰安婦の感情論での反発も考えられるところだ。

 ただ韓国内にもメディア、国民の中にこの問題を契機に日韓対立が3年半以上も続いていいかげん何とかすべきだとの気分も伝わってきており、これまでのようにこの問題がこれ以上蒸し返される〔50年前の協定も「完全かつ最終的」(報道)と謳っておりながらの今回の対立〕可能性はないというのが通常の見方だろう。

 (7)日本政府は韓国政府との安易な妥協は、この問題でのアジアのほかの国における日本のアジア侵略戦争責任論に発展することを危惧して、安倍首相もなかなかおわび、反省による責任を明確にしてこなかった。

 日本のアジア侵略植民地支配による戦争責任問題がこれでおさまりを見せるのか、やはり中国との関係改善が大きな課題として残されている。

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安倍政権の評価2.7。 appraise the abe political power at 2.7 point

2015-12-28 20:46:00 | 日記
 (1)毎日新聞と言論NPOが行った安倍政権3年間の「成績表」(records)が公表された。5段階評価で平均2.7点とかろうじて半数を超えたがこれで昨年の政府2年目の2.5点からは上回る結果となった。

 分野別では今年通常国会会期を延長して最も力を入れた「外交・安保」が3.6と最も高く、「復興・防災」(2.4)、「エネルギー」(2.2)と国民生活の安全、質、社会資本という生活権、基本的人権に対して最低値と評価された。安倍政権が憲法を重要視せずに、経済政策最優先を掲げて、自らの政治理念である日米関係重視の外交、安保政策に力を入れた結果が大きく反映したものとなった。

 (2)そのうち「経済再生」では、日銀の大胆な金融緩和策による円安株高効果は生んだが、日銀の物価目標2%達成は16年後半まで先送りされて実現が揺らぎ、賃上げ効果も円安による輸入材料の高騰、物価上昇が上回って実質目減りして消費行動を冷え込ませて、貿易赤字、GDPマイナス成長の連続で地方、国民生活のトリクル・ダウン(trickle down)効果もなく、円安株高効果は大企業中心の業績回復のもので企業の内部留保を高めるだけに回って、高く評価されなかった(2.8)のは妥当なところだろう。

 (3)外交・安保は2月の安倍首相の訪米でオバマ大統領に成立を約束した安保法制案を通常国会会期を9月末まで記録的に大幅延長して実現に固執し成立させた。
 地球俯瞰(ふかん)外交として世界各国を歴訪して中国包囲の外交戦略を展開し、その中国、韓国との双方就任以来実現していない首脳会談を今年実現させた。

 (4)集団的自衛権の行使容認による安保法制は従来の政府の憲法解釈を変更してのもので、国民過半数の反対、多くの憲法学者の違憲判断の中で衆参両院の連立与党多数勢力による強行採決で成立させたもので、内容的にも課題は残されたままだ。
 沖縄辺野古移設問題では国と沖縄県とが対立して双方によるいくつもの訴訟問題に発展しており、解決への糸口も見えない状況だ。

 「外交・安保」の「3.6」評価は随分と甘いもので、政治手法を度外視して政策推進力、公約実現を評価したとしても、反作用による相殺効果を考えると「2.5」程度が適当なところだろう。

 (5)「復興・防災」、「エネルギー」の評価が低いのも問題だ。安倍政権は東電の福島第一原発事故による放射性物質汚染水漏れ事故では、政府が全面に出て安全対応するといいながら技術対応力に問題のある東電任せで対策、計画も先送りが続いた。

 安倍首相は休みを利用してたびたび東北被災地を視察、訪れているが、復興は進展していないのが現状だ。東日本大震災から4年半経過しても全国に数十万人の避難生活者が残されて、形だけの避難地域解除では将来の生活に安全と持続性が持てない不安状況のままだ。

 (6)「エネルギー」では環境省が原発事故被災地の森林の除染は危険、リスクが大きく不可能として放棄宣言しながら、同じ政府は将来のベースロード電源として原発再稼働を組み込んで政策上の矛盾を露呈しており、将来の制度設計が不透明のままだ。

 もともと低い評価ではあるが、評価に値するのか、それ以上に計画的、継続的、持続的な(sustainable)支援、制度設計が必要な課題分野だ。
 
 (7)安倍政権の総合評価2.7(appraise the abe political power at 2.7 point)は甘い。

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司法の敗北宣言。 declaration of defeat in the judicature

2015-12-26 19:42:29 | 日記
 (1)環境省は東電福島第一原発事故での除染作業について生活圏外の森林部分を除染しない方針を示し、同有識者検討会で了承された。「森林全体を除染するのは難しいし、作業による悪影響も考えられる」(報道)と説明するが「その通り」だろう。

 原発事故による環境破壊の影響被害の甚大さはそれほどに大きく深刻なものだとわかっていて、環境省自ら示しながら、同じ政府、安倍政権が将来のベースロード電源に原発推進を組み入れているとは、まったく矛盾した話で話にならない。

 (2)住民家屋、道路、田畑など生活圏内の除染にしても1回除染しただけで安全なのかは不透明で、まして森林、山林地帯の除染は物理的に不可能だと環境省が認め放射性物質で汚染されたまま残しておいて、将来にわたって生活圏内への影響はないといえるのか不安は残ったままだ。

 たとえば花粉は森林、山林から大量に生活圏内にやってくるが、それに乗って放射性物質が降り注ぐ心配はないのか不安は大きいはずだ。

 (3)環境省が言うとおり森林、山林除染作業は物理的に難しく、作業への悪影響、二次感染も十分に考えられるものだけにさわらないほうがいい場合もあるだろうが、そういう生活安全解消策がないものを前にして環境省が敗北宣言(declaration of defeat)までしておいて原発再稼働を推進する同じ政府の政策判断はあきらかに自己矛盾(self contradiction)であり間違っているということだ。

 (4)新規制基準に適合したとして関電高浜原発3,4号機(福井県)の運転再開に住民側が差し止め提訴した4月の福井地裁では「適合しても安全性は確保されていない」として運転差し止め仮処分を命じた。

 その後も関電は新規制基準適合判断をもとに立地地元自治体の同意手続きは進めて、12月に入って福井県知事が同運転再開に同意することを決定した。同時に関電が進めていた4月の運転差し止め仮処分を取り消す訴訟では、24日に同じ福井地裁は今度は「最新の科学的、技術的知見を踏まえた評価を求め、専門性と独立性を持つ規制委が審査する枠組みには『合理性』がある」(判決趣旨)として、一転「安全性に欠ける点はない」(同)として4月の仮処分を取り消す判断を示した。

 (5)福井地裁の4月と12月の裁判長は異なっており、しかし同じ福井地裁の同じ年の審理でまったく異なる司法判断を示した異例の展開となった。
 原子力規制委員会は自らが言うように世界で最も厳格な新基準にもとづく審査で「適合性」は判断するが、「安全性」については政府、立地地元、原発事業者が判断することだとしており、規制委が踏み込まない原発「安全性」について司法が規制委の専門性と独立性による審査の安全合理性(rationality)を認めたのは客観性、妥当性、専門性判断根拠に欠けるものである。

 (6)原発再稼働については立地地元自治体、住民のほか原発事故により環境影響被害を受けることが予測される周辺自治体、住民の生活権を考えるべきだとの理論もあり、司法はそこまで踏み込んでの「安全性」、「合理性」について合理的説得力のある判断が必要であった。

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