いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

政治の空洞化。(税と社会保障) politics has empty cave

2011-07-01 19:54:23 | 日記
 (1)政治が国民生活第一、国民のためにあるものなら、その「説明責任(accountability)」、「手順」というものがある。
 社会保障制度が立ち行かなくなった原因、見通しの甘さ、対策不足、問題点について、まず整合性のある「検証」と開示が優先で求められる。

 21世紀初頭に少子高年令化社会を迎えることは随分以前から周知の事実であって、今更、財源不足問題を含めて国民相互扶助の社会保障制度が堅持できずに、このままでは制度自体が立ち行かなくなり崩壊するとばかりに、当然の救済策としての国民に新たな投資(増税負担、年金担保)を強いるシナリオばかりを見せられても、それまで放置しておいての政府の政治責任についての検証、問題の所在、責任の取り方についてあきらかにしてからの善後策ということだ。

 この国の政治というのは、歴史的「検証」を顧(かえり)みずに、結果責任を最後の最後に国民負担で相殺する無責任、気楽、安易さが特徴だ。

 (2)「税と社会保障の一体改革案」が当初案から後退したシナリオでようやく決着した。これまで放置の原因、見通しの甘さ、対策不足、問題点の検証も説明もないなか、最大課題の少子高年令化による財源不足問題を国民投資(増税)で補完するための「15年度までに消費税10%へ引き上げ」が、昨年の参院選での首相の消費税増税発言による惨敗に懲りた民主党内からの反対にあって、「10年代半ばまでに消費税10%へ引き上げ」と文言修正してまとまった。

 経済回復好転という条件もついているとはいえ、最大課題の克服について具体的な検討内容をあいまいな内容(文言)に修正しての言葉遊びの体裁をつくろっただけの最終改革案には、相変わらずの政治家の言葉の軽さ、無責任、いいかげんさがはっきりして、誰のための政治なのか、その真剣さ、信念、理念の欠落に驚くばかりだ。

 (3)担当経財大臣は「10年代半ば」とは「14、15、16年」と言うことで当初案(15年)から踏み出したものではないと解説してみせて、それでは一体何のための文言、表現修正だったのか、支離滅裂の思考能力、国民をあざむく、開き直る自己野望だけの独善的政治と言わざると得ない。

 反省は反省として、きっちり過去を検証して見直し、あらたに継続可能な国民相互扶助による社会保障制度をつくり直す機会として、社会、国民から注目を集めての「税と社会保障の一体改革」であった。

 政治責任者の言葉の軽さ、無責任と持つべき課題の大きさ、深刻さのインバランス(imbalance)が、今の貧弱な政治情勢をパラドックス(paradox)として浮かびあがらせる。
 それは、東日本、東北の震災復興、原発事故、電力供給不足、7月からの一斉値上げで日本列島が大きな負荷の中にありながら、政治だけが空虚で空洞化(politics has
empty cave)している姿でもある。

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