(1)自発的、自主的、献身的な支援のボランティア(volunteer)がいつしか義務(duty)になってしまった社会は、しかし成長社会といえるだろう。その昔は(といってもせいぜい昭和の時代のこと)大家族社会で近所でそれぞれ助け合いの気持ちが自然で強かったボランティア社会でもあった。
(2)自然と家の前の道路などを毎日清掃するのがルーティンでもあった。生活道路も共有して使用するインフラの意識が強く、誰かということなく近所同士できれいにする精神があった。
食べ物なども分け合い共同、共生社会性が強く、自然に自発的、自主的に作用していたボランティア社会でもあった。
(3)戦後民主主義社会で個人、生活の権利、義務関係が確立されて核家族化社会になって、個人の自由、意思が尊重されるようになり社会生活のつながりが断続することになりボランティア社会が終焉することになる。
千年に一度といわれる東日本大震災では全国からボランティアが参加して、被災地、住民の生活復旧に協力して大きな支援となって注目を集めた。熊本地震、西日本豪雨災害でも休日ごとにボランティアが参加して支援、復旧活動を行うことはルーティン、普通の行動として復活し常態化している。
(4)2020年に東京五輪を控えて海外からの多勢の五輪観戦、観光客を迎えるにあたって11万人のボランティアが必要と見込まれている。こちらの方は海外訪日客への案内、相談、通訳、協力、支援するボランティア活動となるので、文科省は大学に対して五輪開催期間中は授業を休講にして学生をボランティアに参加するよう促す通達(報道)をしたといわれている。
学生がてっとり早い大量のボランティア要員であり、文科省は打つ手を打ったということだろうが、大学からはボランティア強制による教育への国の介入という反発も聞かれる
(5)2020年東京五輪開催は国をあげての世界スポーツの祭典であるが、国の行事でもなく東京都開催の行事であり文科省が大学通達で授業を休講にしてまで学生ボランティアを動員する趣旨のものではない行き過ぎの措置だ。
せいぜい授業に支障、影響のない範囲内で学生ボランティア協力要請を行う程度のものだろう。
(6)冒頭にボランティアが義務になった社会は成長社会でもあると書いたが、共通、共有する生活インフラを誰からともなく自発的、自主的にきれいにし、維持するという豊かな精神性社会のことであり、これが国をあげての事業、行事に強制的に参加させられるボランティア義務であっては何やら戦前の国民をあげての強制的に従うだけの国体護持精神を思わせるもので考え違いのものだ。
(2)自然と家の前の道路などを毎日清掃するのがルーティンでもあった。生活道路も共有して使用するインフラの意識が強く、誰かということなく近所同士できれいにする精神があった。
食べ物なども分け合い共同、共生社会性が強く、自然に自発的、自主的に作用していたボランティア社会でもあった。
(3)戦後民主主義社会で個人、生活の権利、義務関係が確立されて核家族化社会になって、個人の自由、意思が尊重されるようになり社会生活のつながりが断続することになりボランティア社会が終焉することになる。
千年に一度といわれる東日本大震災では全国からボランティアが参加して、被災地、住民の生活復旧に協力して大きな支援となって注目を集めた。熊本地震、西日本豪雨災害でも休日ごとにボランティアが参加して支援、復旧活動を行うことはルーティン、普通の行動として復活し常態化している。
(4)2020年に東京五輪を控えて海外からの多勢の五輪観戦、観光客を迎えるにあたって11万人のボランティアが必要と見込まれている。こちらの方は海外訪日客への案内、相談、通訳、協力、支援するボランティア活動となるので、文科省は大学に対して五輪開催期間中は授業を休講にして学生をボランティアに参加するよう促す通達(報道)をしたといわれている。
学生がてっとり早い大量のボランティア要員であり、文科省は打つ手を打ったということだろうが、大学からはボランティア強制による教育への国の介入という反発も聞かれる
(5)2020年東京五輪開催は国をあげての世界スポーツの祭典であるが、国の行事でもなく東京都開催の行事であり文科省が大学通達で授業を休講にしてまで学生ボランティアを動員する趣旨のものではない行き過ぎの措置だ。
せいぜい授業に支障、影響のない範囲内で学生ボランティア協力要請を行う程度のものだろう。
(6)冒頭にボランティアが義務になった社会は成長社会でもあると書いたが、共通、共有する生活インフラを誰からともなく自発的、自主的にきれいにし、維持するという豊かな精神性社会のことであり、これが国をあげての事業、行事に強制的に参加させられるボランティア義務であっては何やら戦前の国民をあげての強制的に従うだけの国体護持精神を思わせるもので考え違いのものだ。