いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

ボランティア義務。 duty volunteer

2018-08-31 20:25:09 | 日記
 (1)自発的、自主的、献身的な支援のボランティア(volunteer)がいつしか義務(duty)になってしまった社会は、しかし成長社会といえるだろう。その昔は(といってもせいぜい昭和の時代のこと)大家族社会で近所でそれぞれ助け合いの気持ちが自然で強かったボランティア社会でもあった。

 (2)自然と家の前の道路などを毎日清掃するのがルーティンでもあった。生活道路も共有して使用するインフラの意識が強く、誰かということなく近所同士できれいにする精神があった。

 食べ物なども分け合い共同、共生社会性が強く、自然に自発的、自主的に作用していたボランティア社会でもあった。

 (3)戦後民主主義社会で個人、生活の権利、義務関係が確立されて核家族化社会になって、個人の自由、意思が尊重されるようになり社会生活のつながりが断続することになりボランティア社会が終焉することになる。

 千年に一度といわれる東日本大震災では全国からボランティアが参加して、被災地、住民の生活復旧に協力して大きな支援となって注目を集めた。熊本地震、西日本豪雨災害でも休日ごとにボランティアが参加して支援、復旧活動を行うことはルーティン、普通の行動として復活し常態化している。

 (4)2020年に東京五輪を控えて海外からの多勢の五輪観戦、観光客を迎えるにあたって11万人のボランティアが必要と見込まれている。こちらの方は海外訪日客への案内、相談、通訳、協力、支援するボランティア活動となるので、文科省は大学に対して五輪開催期間中は授業を休講にして学生をボランティアに参加するよう促す通達(報道)をしたといわれている。

 学生がてっとり早い大量のボランティア要員であり、文科省は打つ手を打ったということだろうが、大学からはボランティア強制による教育への国の介入という反発も聞かれる

 (5)2020年東京五輪開催は国をあげての世界スポーツの祭典であるが、国の行事でもなく東京都開催の行事であり文科省が大学通達で授業を休講にしてまで学生ボランティアを動員する趣旨のものではない行き過ぎの措置だ。

 せいぜい授業に支障、影響のない範囲内で学生ボランティア協力要請を行う程度のものだろう。

 (6)冒頭にボランティアが義務になった社会は成長社会でもあると書いたが、共通、共有する生活インフラを誰からともなく自発的、自主的にきれいにし、維持するという豊かな精神性社会のことであり、これが国をあげての事業、行事に強制的に参加させられるボランティア義務であっては何やら戦前の国民をあげての強制的に従うだけの国体護持精神を思わせるもので考え違いのものだ。

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北朝鮮の軟化か。 does it go soft by north korea

2018-08-30 20:14:45 | 日記
 (1)石破茂議員は拉致問題解決を問われて、日朝間で連絡事務所でもなければ話にならない趣旨の発言をしていた。その通りのことだが、国交正常化していない日朝で双方に連絡事務所など開けない現状で拉致家族の高年令化を考えれば時間的な余裕はそうはない。

 北朝鮮前金総書記が日本人拉致行為を北朝鮮のものだと自ら認めて、5人の拉致被害者を帰国させてから事態は進展するどころか北朝鮮側はすでに解決済みの問題として取り合わずにすっかり後退してしまった。

 (2)昨年6月の米朝首脳会談で金正恩委員長はトランプ大統領が提起した拉致問題で自由な立場を述べたといわれて日朝話し合いに期待をのぞかせたが、その後の北朝鮮報道ではやはり解決済みというこれまでの主張をくり返すだけだった。

 外交交渉で有利な条件をつくるために表向きは従来の厳しい姿勢をみせつけてけん制することはよくあることで、一概にかたくなな態度とばかりはみられない。

 (3)そうこうしているうちに北朝鮮で日本人観光客が港湾施設などを撮影したとして拘束されたとの情報があり取り調べを受けているとのことであったが、早々に国外追放されて帰国した。

 観光客が北朝鮮の施設などを撮影して拘束されたケースは外国人にもみられるが、解放に向けては利害交渉で時間を要してなかなか解放されない事例が多い中で、早い段階での国外追放という政府間レベルでの決着を経ずして解放したことは北朝鮮の日本に対する態度としては友好的に軟化している(go soft)印象は与えた。

 (4)本日の紙面では7月にベトナムで日朝政府担当者が極秘で接触していたことが報じられている。担当者の役割からも日本人拉致問題の協議だった(報道)とみられている。
 
 米朝間の非核化約束問題は進展せずに、最近もポンペオ米国務長官の訪朝が直前になって中止となって交渉がとん挫している。そういう中で日本人拘束者の早期解放、国外追放に7月の極秘協議情報と日朝間には関係軟化のきざしもみえる変化だ。

 (5)米朝非核化約束のむずかしい交渉に対して、米国追随の日本に対して軟化姿勢をみせることで日本の米国への働きかけを期待した戦略なのか、北朝鮮通常の揺さぶり外交の日米同盟関係へのくさびとも受け取られる日本に向けた軟化対応だ。

 7月の日朝情報関係の責任担当者同士の極秘協議で何がどう話し合われたのかわからないが、日本人拉致問題に関する協議だったとみられており北朝鮮の軟化を捉えて継続性を持たせられるのかは重要な解決への糸口だ。

 (6)冒頭のように双方の連絡事務所の開設ということにまでなれば、一気に拉致問題解決に向けて動き出すことも考えられる。それに向けては米朝非核化約束問題の交渉がとん挫していることは好ましくないところで、ともにテーブルに着くことができるのか日本人拉致問題も正念場を迎えているともいえる。

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政府の差別観。 a view of distinction of the government

2018-08-29 20:13:33 | 日記
 (1)厚労省の時間外労働時間のデタラメな集計、算定に続いて、中央省庁での障害者雇用の水増し問題と政府機関のデータ集計不信がはなはだしい。
 民間に基準を示して方針、指導を徹底させる政府機関のデタラメな行政業務には驚かされる。

 (2)森友問題での財務省決裁文書の改ざんで中心的な役割をした前理財局長が論功行賞人事で国税庁長官に就任した時には、国民から納税に非協力の声も上がり政府機関への国民不信も高まっていた。

 文科省では事務次官の子息の医大優遇入学があきらかになり、政府機関の堕落はとどまるところのない惨状だ。これで日本の政治、社会が成りゆくのか不思議なところだが、不思議ですますわけにいかない。

 (3)障害者雇用の水増しは中央省庁の約80%の27機関で3460人の未確認、不適切な雇用があきらかになった。ほとんど中央省庁全域での不正でそれでも政府機関厚労省のデータなので今やすぐにそうですかと信用できないが、すでに亡くなった職員も算入していた(報道)となると本旨を顧みないあきれた都合主義の腐敗で、行政機関の堕落は底なしの感がある。

 (4)障害者雇用の水増しは不正規模からみても差別感覚であり、格差是正、弱者救済を推進する、社会を実現する政府機関として問題は深刻だ。
 本来雇用されるべき障害者の機会を奪った以上に採用方法のいいかげんさには、問題意識の低下、不足による弱者差別観(a view of distinction)、感覚がみられるものだ。

 これが民間ならそれこそ政府機関から厳しい指導が入って、制裁措置も科せられることになるものだが、民間メーカー幹部からは「民間企業で今回省庁と同じことをすれば誰かのクビは飛ぶ」(報道)との批判の声も聞かれる。

 (5)これまでの政府機関の不正、不適切な対応同様に障害者雇用の水増しは40年以上にもわたる「あしき慣行」(報道)だった可能性を認めている。
 社会保障の充実社会を目指して弱者救済の社会制度の必要性を唱えながら、その指導的、推進役割を果たすべき政府機関では不適切な障害者雇用の水増しが長く行われてきたことは、政府機関の労働力効果に対する「差別観」を助長するものと同じと考えられる。

 (6)こういう堕落した政府機関のもとに深く潜行して日本社会はあやつられていることがわかったが、与党自民党も政府機関の深刻な行政意識の低下、底なし危機の中で総裁選をやっている場合でなく、国家として危機管理内閣に結集して政府の立て直しが優先されて必要な時だ。

 日本の政治、社会から根元的な格差、差別を除く機会としなければならない。

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安倍桜島パフォーマンス。 location of abe performance

2018-08-28 20:36:56 | 日記
 (1)安倍首相は12年末の総選挙で勝利して民主党政権にとって代わって政権についてからは、アベノミクス、大胆な金融緩和策による円安株高による経済回復に支えられて、ことあるごとに3年半で終わった民主党政権の失敗を批判、非難というよりはヤユ(揶揄)して違いを強調してみせた。

 野党となった民主党などが安倍政権の経済政策を批判すれば、安倍首相は株価上昇を例に「あなたたちにはできなかったじゃないか」と切り返して、自らの政策の正当性を主張してみせた。

 (2)09年からの民主党政権時代は株価7千円台だったものが、安倍政権になってあっと言う間に1万円台を記録して違いはあきらかだった。
 民主党政権時代は世界経済もリーマンショックの影響を引きずって回復せずに円高株安傾向が続いていた中での政権運営で、長く続いていた保守自民党政権にとって代わって革新民主党の政権ということで米国との関係や経済界とのつながりがどうなるのか疑心暗鬼もあって、一概にその後の安倍政権の経済政策との違いを単純に論じる訳にはいかないが、何かについて安倍首相から結果責任の民主党政権の失敗が取り上げられた。

 (3)政権を民主党から取り戻した自民党安倍首相としては、もっとどっしりとして円安株高の経済回復を強調すればいいものを何かにつけて民主党政権の失敗との違いを自慢げに攻撃、ヤユする姿勢には、野党を経験して苦杯をなめたことで首相として随分と無理をしているなとの印象が強かった。

 首相としてどっしりとして構えて自らの政策、理念を主張するのでなく、民主党政権時代を攻撃、ヤユすることに徹するやり方には政治をパフォーマンスとしてとらえる軽い考えがにじんでいた。

 (4)その安倍首相が満を持して総裁3選を目指して9月の自民党総裁選に立候補表明したのは、26日訪問先の鹿児島からであった。
 石破茂議員がすでに総裁選立候補表明をしている中で、安倍首相は夏休みをゆっくりとって情勢を見極めて8月下旬の立候補表明だった。

 首相としては官邸での立候補表明が考えられたが、訪問先の鹿児島桜島を背景にした野外ロケーション(location)を立候補表明に選んだのもいつもの安倍首相のパフォーマンス政治の手法と映った。

 (5)こんなロケーションでの立候補表明では政策、理念の抱負など語るにふさわしい訳はなく、NHKTV「西郷どん」を意識したものか見栄見えのところが軽い安倍首相らしきて、この人らしくもあった。

 国会議員支持で劣勢が伝えられている石破さんとしては、安倍首相との政策論争で違いをみせて党員票で挽回をはかりたいところだろうが、国会議員組織票で圧倒的な優位の安倍首相としては危うい橋は渡らずにパフォーマンスを駆使して優位を印象づける作戦だ。

 (6)総裁選は自民党内のことなので軽いとほかがどうこう言うわけにはいかないが、森友、加計疑惑未解明の安倍首相で来年は参院選を迎えるということになれば、忘れっぽい国民としてもそろそろ考え時なのではないのか。

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歴史記録の不明。 missing the historic documents

2018-08-27 20:05:26 | 日記
 (1)戦後の混乱期に起きたことを現代歴史が検証し伝えることは重要な歴史的使命、役割であるが、当時の記録文書が適正に管理され残されていなかったからといって当時の都道府県の管理責任、意識ばかりを責めるには酷というものだ。

 戦前の軍事政権、敗戦、戦後の混乱期にまつわる記録文書について後世の歴史に耐えうるように残す意識の高さは重要で貴重なものであり、その自覚、自意識の高さは賞賛されるものではあるが、混乱期にそうでなかったからといって直ちに責められるものではない。

 (2)昨今の国会審議で政府機関の公文書作成、管理基準の不備や作成自体がなおざりにされてきたことを受けて、メディアでは戦前、戦後の混乱期の政府、都道府県のかかわる文書記録について検証が進み、たとえば旧日本軍の植民地支配の旧満州に農業移民として送り込んだ満蒙開拓団(約27万人ー報道)の敗戦の混乱で約8万人が犠牲になったとされる歴史事実について、戦後調査を実施した都道府県の資料が14道府県で廃棄したか不明になっていることがわかった。

 (3)戦後に調査してまで終戦、敗戦にともなう混乱期の実態を残す貴重な重要な高い意識の歴史資料であったが、戦後73年を経てその途中で貴重な歴史資料が廃棄され不明になっていたことは、都道府県が自ら調査して記録を残す貴重で重要な歴史的検証作業の高い意識が適切に特別に継続、継承されてこなかったというパラドックス(paradox)だった。

 都道府県の問題意識、管理意識、伝承意識の欠如ではあるが、政府としても歴史的調査による記録文書の管理、保管、保存について高い意識での適切な方法を策定してこなかった責任はある。

 (4)都道府県だけに歴史文書の調査、管理責任をまかせる、押しつけることはできずにその責任は大きすぎて、国として戦後の歴史検証に耐えうる資料として責任を持って一括管理、保存すべきものであった。

 日本の政治、政権は「検証する」ことをせずに、先の読めない場当たり的な政策を実施して行き詰まりその都度対応、救済に追われるという連続の歴史だ。

 (5)戦後の団塊世代の出現で労働力増強で高度経済成長を支えたが、政府は将来予想される高年令化社会への対策を怠り、社会保障、年金、医療、介護の財源不足を招いて、効果的な対策を打ち出せないでいる。

 その都度、政策の検証を実施してきたならば将来的不安、対策に目を向けることができたはずで、今の政治、政権もその意識が極めて低い、国民にそのツケを回すだけの無責任政治が続く。

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