いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

報道の自由の危機社会。 the social crisis of freedom of press

2016-03-30 19:36:30 | 日記
 (1)日本の知る権利、報道の自由(freedom of press)は確実におかしくなってきている。1昨年の特定秘密保護法の制定から安倍政権の選挙報道に対する公平、公正性を盾にした政治干渉発言に、極めつけが高市総務相の放送法にもとづく電波停止の可能性言及だ。

 放送許認可権を持つ総務相の電波停止発言などは報道の自由が普通で当たり前の今日的日本で、突然に戦前の全体主義社会に引き戻されたかのような不思議感覚な非現実的権力支配の感慨に浸されるあきれたものだった。

 (2)自由主義社会で先陣を切る米国では新聞社が政権の中枢に切り込んで取材し、政治不正を摘発して政権を交代に追い込んだことも(ウォーターゲート事件など)記憶に鮮明だが、いま行われている米国大統領予備選でも全国紙が独自に支持候補者を表明するなど報道の自由性はそこまでやるのかの印象はある。

 仮に日本のマスコミ、メディアが同様のことをやれば、いまの安倍政権では報道の公平、公正性を著しく損なうとして干渉することは間違いない。

 (3)安倍政権、与党自民党がことさらにメディアに対して強い対決姿勢をとり続ける理由は何なのか。ひとつには安倍首相の政治手法、姿勢が見栄え主義で「印象」を強く意識する人間性にあると考える。

 政治手法は安倍首相、官邸主導政治でトップダウン方式であり、核心を安倍首相個人の考え、構想で動かしてお膳立てした成果をことさらに強調したがる。かっての派閥全盛の自民党では派閥領袖の意向を汲んでの取りまとめ、調整機能が政府の役割だった。

 (4)金融政策の日銀総裁、法案、憲法解釈の法制局長官を安倍首相の理念に近い人物をあからさまに起用して意図した政策を強引に推進するやり方にあらわれている。
 これらを国民に報道するメディアに対して相当に神経を使っているはずで、ことさらに意に反する報道に対しては注文、介入する姿勢で対決する。

 個人主義、権利主義が強い米国社会と違って日本人的特性というか儒教思想に根差した「徳」、「仁」の思想、価値観が日本社会の根底にあって、メディア報道にもいわゆるドギツイ批判姿勢はあまり見られずによくいえば穏健で良識的、良心的な権力にモノ言わない遠慮がちな風潮は見られる。

 (5)冒頭の高市総務相の電波停止発言に対しても一部の報道人などが批判会見を開いてはいるが、国民的、社会的危機感を巻き込んで報道の自由を守るという動きにはなっていないところが、多分に米国社会との基本的な違いだ。

 メディアでは高市総務相の電波停止発言を受けて反発するどころか萎縮、自粛の動きもあると伝えられている。

 (6)安倍首相は日本人、日本社会のファンダメンタルズ(fundamentals)、底辺思想を見越しての政権、政治にとって利用価値の高いメディア報道をも思いのままにあやつりたい意向のあらわれだ。

 安倍首相の報道関係者との会食の多さが目に付き(首相行動報道)、政権と一定の距離を置いて国民の知る権利の橋渡しを役割とする報道機関の姿勢にも問題はある。

 (7)その風潮が社会にもあらわれている。昨年10月に巨人軍投手3人の野球賭博事件が発覚して処分を受け、その5か月後の今年3月に週刊誌の指摘を受けてさらにもうひとり投手が同野球賭博にかかわっていたことを自ら表明してあきらかになった。

 これを受けて産経新聞が10月3人(重い処分)と3月1人(軽い処分)の処分の差異について「涙を浮かべて誤ったから処分が軽くなったのかと疑ってしまう」(報道)というスポーツ評論家の談話を載せたところ、日本プロ野球機構(NPB)から事実に反するとして同新聞社の取材立ち入り禁止を受けているといわれる。

 (8)今時、評論家の感想ごときに反応して取材禁止では言論封殺の危険な風潮(current)のあらわれだ。
 NPB、巨人軍としては昨年10月3人と今年3月1人の処分のタイムラグ(time lag)はどう考えてもおかしいし、不手際なのはあきらかで、疑問に正しく答えることで責任、パラダイム(paradigm)を示すべきであった。

 報道の自由への危機社会(the social crisis of freedom of press)だ。

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政治のパラドックス性。 paradoxical policy of politics

2016-03-29 19:37:06 | 日記
 (1)安保法制が29日に施行された。憲法学者、国民の多くが憲法違反だと主張する中で強行成立させた安保法制の「真価」が問われるのは「これから」だ。
 現在の国会構成で政府、政権の目指す政策、法案を阻止する能力は野党、反対勢力にはもともとないから、政府の政策、法案は必ず通る。

 これに異議を唱えて考え直させるには、国民の監視と国民生活への影響力と司法、裁判所による判断だ。

 (2)原発再稼働は世界でもっとも厳しい新規制基準とかで安全審査をしたと間違った「原発神話」第2幕を開いて、安倍政権は原発再稼働を将来の重要なベースロード電源としたが、訴えを受けて裁判所は福島第一原発事故原因究明もままならない中での政府の方針を厳しく指摘して、再稼働中の高浜原発の差し止め決定を下した。

 (3)安保法制についてもこれから具体的事例に基づいて、憲法上おかしいと思えば司法、裁判所の判断を求める訴訟に打って出ることが方法論(methodology)として考えられる。

 高度の政治判断、国防、防衛上の機密性で司法もなかなか立ち入って判断を示すことをしないと考えられてきたが、最近の司法は1票の格差問題でもたびたび政府の適切な政治対応を促す温情判決をくり返してきた中で一向に改善に向かわない政府、政治の姿勢に、徐々に危機感を共有して厳しい司法判断を示す傾向にある。

 (4)国民の権利を公正、公平に守ることをしない政府、政治に対して、司法は主権者国民への「最後の砦」としての善良で良心的な責務、責任を果たそうとしているようにみえる。

 こういう政治情況をつくり出したのも国民だが、一方では特定秘密保護法、安保法制、消費税引き上げと安倍政権の重要政策にことごとく過半数(世論調査)が反対を示しているのも国民だ。
 このパラドックス(paradox)が今日的な日本政治でもあることをよくかみしめることが必要だ。

 (5)もちろんその責任は国民だけにあるのではなくて、安倍政権に取って代われる野党勢力がないことも大きな要因だ。
 安保法制施行と時を同じくして民主党に維新の党が合流して民進党を結成したが、大きな政治スローガンが自民党1強打破では訴える力が足りない。

 通常、新党結成に対しては国民の期待感もまずは高まるものだが、反応しようもない期待する国民は20%台(世論調査)と同支持率は低調であり岡田代表はこれから30%、40%と自民党、安倍内閣支持率を上回っていきたいと決意を述べたが、支持率の動向は期待込みでまずは大きく上向いたあと下降をたどるのが通例だから、岡田代表の希望的観測は逆説的で非常に甘いものだ。

 (6)今夏の参院選から選挙投票権が18才に引き下げられる。対象者のいる高校では盛んに模擬投票など選挙教育も取り入れられているようだが、政治のパラドックス性(paradoxical policy of politics)について、権力構造について勉学してもらうことも大切だ。

 国民の声に聞く耳を持たない安倍首相(本人がそう言っている)、政権であるから、現在の国会構成で自ら主張する政策、法案を阻止することはできないが、国民の打つ手は政策、法案が施行されてからの監視、対応だ。

 (7)安倍首相は29日に施行された安保法制も今夏の参院選への影響を考えて実行、実働はその後に先送りする(報道)意向といわれて、それなら国民にも参院選の審判という手段(steps)が待っている。

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荒唐無稽と逆本質論。 nonsense and a contrary theory of essence

2016-03-28 19:48:52 | 日記
 (1)ついに日本の保守層からもトランプ待望論(expectative discussion)が出されたといわれる。米国共和党トランプ候補は「日本や韓国が米軍の駐留経費負担を大幅に増額しない場合は撤退させる」(報道)考えを示した。

 かねてからトランプ候補は日米安保条約は米国が一方的に日本を守り、日本は米国を助けることもしない不公平な条約だと批判していたが、その延長線上の得意の脅しとみられる。
 さらに米軍撤退により「日本や韓国による核兵器の保有を容認する」(同)姿勢まで表明してみせた。

 (2)インタビュアーが「日本は他のどの国よりも駐留経費を負担している」と指摘したのに対して「実際の経費よりはるかに少ない」と反論したといわれる。
 日本の駐留米軍基地負担の高さ、多さが米国メディアでも認識されていることがわかった。

 日本の保守層からのトランプ待望論は、①米軍基地の撤退により沖縄問題が解決して、②日本の防衛を自衛隊(憲法改正して国防軍化)により自主的に担うことができることにより、③軍備装備の充実、強化とあわせて、④日本の平和、安全を守る役割、責任を明確化する憲法改正の必要性に結び付けて国民の理解も得やすいことなどが考えられる。

 (3)さらに日本が所有する原発核融合物を利用した核兵器の開発、保有まで認めるとなると、彼ら(保守層)にとってはすべてが思い通りにうまく運ぶというシナリオなのだろう。

 米国大統領予備選のトランプ候補の極端な白黒はっきりつける論理展開には、現状に不満を抱える米国白人層の支持が高いことを度外視しても、一度米国大統領でもやらせてみたらどうかとの興味本位の気持ちも浮かぶほどこっけいでもある。

 (4)ISテロを見据えてイスラム移民層を徹底的に締め出す姿勢、メキシコとの国境に「万里の長城」を建設して越境者を取り締まり、その費用をメキシコ政府に支払わせるなどは、現実問題として考えられないこともないレベル発言ではあるが(国際摩擦、緊張激化は避けられないが)、IS対策として限定的核兵器を使用する可能性にまで言及するとなるとさすがに米国大統領予備選の真面目な論議なのかとあきれるばかりの荒唐無稽(nonsense)の話で、場を盛り上げるショーマンとしか映らない。

 (5)しかし冒頭発言の米軍基地の日本からの撤退論(a theory of withdrawal)はちょっと違う。現在沖縄に駐留米軍基地の70%以上が集中して沖縄負担軽減が懸案事項となっており、トランプ候補のいうように日米安保条約を見直して米軍基地が日本からすべて撤退するということになれば、日本の米軍基地撤退問題は現在も過重負担に悩まされている沖縄自身も含めてその後の日本の国防、防衛をどうするのか、日本全体でそれこそ別次元での真剣な論議が必要となってくる。

 (6)トランプ候補の荒唐無稽の発言も、ある意味今日的問題、課題の核心を突いたところもあるので、別の角度、次元から考えさせられる、突きつけられる逆本質論(a contrary theory of essence)ではある。

 パラドックス(paradox)としてトランプ候補を一度は米国大統領としてやらせてみたらという話、トランプ待望論にもなる。

 (7)実際はトランプ論理(米軍撤退による日本の軍備強化、核保有化)が仮に日本でも通れば、中国ほかアジア諸国との関係はかっての日本のアジア侵略植民地支配時代に立ち戻って非現実的な荒唐無稽の話になるだけだが。

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経済構造改革。 innovation of an economic organization

2016-03-27 19:34:39 | 日記
 (1)維新の党が民主党に合流して民進党を本日結成するために正式に解党を了承した。かっては橋下前大阪市長が主導した大阪維新の会のもとで第3政治勢力として国民の期待を集めた時期もあったが、橋下前市長の目指す大阪都構想が住民投票で否決されてから東京グループ(維新の党)と大阪グループ(おおさか維新の会)の政治理念の違いが表面化して内部分裂して、東京グループ(維新の党)が民主党と合流して民進党を名乗ることになった。

 (2)維新の党はそもそも橋下前大阪市長の大阪都構想実現が主要政策であったから、石原慎太郎さんの太陽の党とか維新の党の国会議員グループ(東京)は大阪都構想の法制化への国会戦略を期待したもので、国政レベルでの政策はあいまいで首相公選制、改憲目標と理念中心のものだった。

 その維新の党が解党して民主党に合流して結成する民進党も大きな結集スローガンが自民党1強打破ということだから、国民もどう反応していいのか戸惑うばかり(puzzledom)の新党民進党結成の意味、意義ということになる。

 (3)民主党最大の支持母体の連合は、これまで「多くの政策を共有する民主党の『支援』を強化」(報道)するとしていたが、民進党結成で「個別政策を見定めながら『連携』していく」(同)と運動方針を変化、変更させる方向性を打ち出している。

 新党結成過程の進め方、方法、党名までにも不満(報道)があるといわれて、今後の政党支援のあり方を再検討する声も聞かれるという。

 (4)連合としても民進党結成の最大のスローガンが自民党1強打破で、理念、綱領、政策がこれからということではどう反応していいのか様子を見るしかないところもある。

 野党も国民の大きな期待を集めた前民主党政権が自己否定倒産し、維新の党が内部抗争分裂した後遺症候群から抜け切れずに、まったくまともな政策活路を見いだせない厳しい現状が続く。

 (5)その経済界も今年の春闘は賃上げ交渉も3年連続の値上げとなったが、昨年(4000円台)までを大きく下回る(1000円台)UP率で決着した。従来の経団連と連合が労働者の権利を守る対決交渉から、10年以上のデフレ不況を経験して雇用確保が優先されて、業種別、企業ごとに労使交渉がものわかりのいい話し合いで決着する時代になって、経団連、連合双方の存在感、役割、立場にも変化が見られる。

 前民主党政権時代には疎遠だった政権と経団連関係も政治資金復活で安倍自民党連立政権との協力関係復活を果たしているが、もはや時代は業種別、企業ごとの労使関係中心に移行しており、かっての経団連会長としての経済総理の存在感はない。

 (6)安倍首相、官邸主導のもとでの政治介入による政・労・使会議などで政府経済方針が示されて、履行を求められる時代だ。
 いつまでも経団連、連合主体の経済構造でもない。遅れている経済構造改革(innovation of an economic organization)が必要だ。

 安易に政治介入を許さない本来の目的、使命である自主的、自律的、自立的経済活動の構築に向けてまったくあたらしい経済連帯組織の大同団結が求められる。

 (7)もはや政治献金をテコにした政党支援でもない。雇用、身分、保障の政策、理念を通しての政治と経済の連立、連帯を目指すべきだ。
 そういう観点からの政党の結集が新時代を切りひらくダイナミズム(dynamism)となるだろう。

 経団連、連合主体の経済構造が変われば、日本社会、政治の流れを国民が責任を持てるものに変えるだろう。
 

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保育所不足とあてのない避難者住居。 a nursery school and a refugee

2016-03-26 20:18:35 | 日記
 (1)保育所不足(a shortage of a nursery school)が子どもが選考から落とされた母親の批判ブログが話題になって途端に国会で問題にされて取り上げられて、安倍首相が改善に向けて対策を表明させられた。

 これ自体はかねてから待機児童過多問題として女性の社会進出の障害となっていたものだけに、政府の対応は遅過ぎて当然のことではあるが、どうして女性が輝く社会、1億総活躍社会を成長戦略の重要政策として目指す政府が戦略的に対策、対応してこなかったのか、批判ブログが話題になっての突如の安倍首相の対策表明ではあまりにも政治が軽すぎるし貧困(indigence)だ。

 (2)政治、政策の戦略とはそういうものではない。国民の声を真摯に聞く政治は基本で大切ではあるが、日々、あちこちから湧き上がる声に次から次と耳を傾けてこれもやります、あれもやりますで国の政治が成りゆくはずもないが、安倍政治の現実はそういう主体性、計画性も戦略も薄い理念の「軽い」ものであるということだ。

 (3)福島第一原発事故による自主避難者の住宅の無償提供が17年3月末で打ち切られて、その70%がその後の生活の「住居」のあてもない(nowhere habitation of a refugee)ことが調査(報道)でわかった。

 震災事故から5年が経過して、これまで国が全面支援してきた避難者の財政的支援、援助がこれからは自治体の負担も増やしていく政府方針が示されている。

 (4)いつまで国が全面的に被災者の財政、生活支援、援助を続けるのかはむずかしい判断であり、被災者自身の責任で自立し、立ち上げることを期待されるものではあるが、それにはそうなる環境整備が大前提となる。

 将来の生活設計が見えて、それに向かって意欲、気力、希望を持つことができる被災地、生活環境を政府はつくってきたのか大いに疑問だ。震災被害から5年が経過してもまだ全国に十万人単位の生活避難者が残り、政府は被災地での総合的な生活環境整備もしないまま除染値だけで帰宅困難地域の指定解除を急いでいるのが、それだけでは帰るに帰れないものだ。

 (5)自主避難者の70%が「みなし仮設住宅」(民間アパートなど)での無償提供が打ち切られることによってその後の住居のあてもない現状で、被災地の医・食・住・交・郵など総合的な生活環境、インフラ整備、町づくりが整備されなければ、とても将来を見据えた生活などに戻れる、自立することなどできない。

 冒頭例のように自主避難者が社会に訴えてでもしなければ政府が取り上げて動かないのか、これは直接的な被災地、被害者支援の政府、政治責任の問題で情けない政治の軽さ、貧困だ。

 (6)今の政治課題で保育所の不足と福島など被災地の自主避難者の住居のあてのない現状を比較したら、政府、政治の責任としてどちらに政策、対策優先権があるのか国、政治はよく考える必要がある。

 政治は話題性に流されて場当たり的に動くものでは途方もない非効率、非効果性をもたらして、結果として国民、投資(税負担)全体の利益を抑圧することになるだけだ。
 
 (7)安倍政治は、実体のない株価操作、動向を景気、経済の目安、基準として国民の関心を集め、実体のともなわない見栄え政治にこだわってきたあらわれが、保育所不足と自主避難者住居のあてのない問題の政治、政策対比の対応格差となってあらわれている。

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