いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

電力のロードマップ。 road map of electric power

2019-09-30 20:08:02 | 日記
 '1)明日10月1日から消費税が10%に引き上げられる。もちろん電気料金も引き上げられる中での関電社長など20人の高浜町元助役からの3億2千万円の不明朗な金銭の受け取り発覚だった。

 11年からの7年間にわたっての金銭受け取りで、長期間このままわからなければそのままですまそうとしていたのか(7年間の長期を考えればその公算は大きいが)国税庁の指摘を受けて所得とみなされて今回の発覚となった。

 (2)消費者には値上げを求めておいて、自らは長年にわたって社長就任祝い、中元、歳暮名目、認識の不明朗な金銭受領では電気料金値上げに理解は得られない。
 寡占体制の電力事業の自由化でガス、他企業の電力事業参入も始まって、燃料費比較高いといわれる日本の電気料金の引き下げが期待されるが、まだまだ思惑どおりには改善、進展せず発電と送電事業の分離など電力事業の再編も検討されている。

 (3)台風15号上陸による千葉県の大規模停電は、東電の電柱倒壊復旧が手間取って大幅に復旧回復が遅れてインフラ対応の遅れが問題となった。災害時の仮の緊急対応の電力を送電する技術的対策にも課題があり、電力化時代、災害国日本として電力の安定、安全供給体制に課題を残した。

 関電としては電力事業の技術高度化、供給安定、安全性、持続性、電気料金適正化に向けて取り組む課題は多く、不明朗な自己利益優先はもってのほかだ。
 
 (4)日本の電力事業は豊富な水資源を利用しての山間の水力発電で市街地への送電中にエネルギー浪費する割合も多く効率性が低く、石炭火力発電、原発発電へとシフトした。
 石炭火力発電は経費負担は低いが環境汚染問題で課題も多く、原発は福島第一原発事故で地域、住民の安全性、居住性に重大問題を引き起こして、自然再生エネルギー、バイオマス発電への取り組みが求められる緊要な時代背景を迎えている。

 (5)政府は原発再稼働を将来のベースロード電源に掲げて自然再生エネルギー開発への取り組みには遅れているが、将来の電力事業のロードマップを描けないでいる。
 ガス、他企業の電力事業への参入も始まっているが、以前から水素(大型電池)を使った家庭用の発電装置の開発もあり、今回の千葉県大規模停電などには利用性、活用性も高いシステムではある。

 (6)家庭用大型電池発電はインフラ維持の費用対効果の問題もあり、効果性の比較は必要だが、将来の電力、電源構想として開発推進されれば災害にも強い電力確保となる。
 電力に関しては課題ばかりが目につき、現在の寡占事業の利益構造主義の中では今回の関電のようにおかしな、不明朗なカネの流れ、つながり、古い体質、ガバナンス欠如があらわれた。

 経産省は他電力企業の同様の問題の調査も始める。電力事業の再編見直しが求められる。

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原発マネー。 money of an atomic power plant

2019-09-28 20:21:42 | 日記
 (1)原発立地自治体に行くとまず主要幹線道路の広さに驚かされる。住民からすれば広すぎて使い勝手が悪いようにもみえるが、原発事業、建設で大型車両通行でこれぐらいは必要なのかとも考えられるものだ。

 一方で国、原発電力事業者の投資による効果でもある。原発事業は東電にしろ関電にしろ福島、新潟、福井に原発を建設してそれぞれの都市部への電力を供給、送電しており、そのための原発立地自治体への協力に対する投資であり、もちつもたれつの利益関係にある。

 (2)これが一変したのが東日本大震災による東電福島第一原発事故で、以後の原発再稼働では原発立地自治体、住民から理解、協力を得ることは容易ではなく、非常に困難な状況、事態をつくりだしている。

 関電の福井県高浜原発は再稼働の是非が裁判で争われて、判決も二転、三転くり返してきた。この高浜町の元助役(今年3月死去)が2011年から7年間にわたって関電社長など20人に総額3億2千万円(報道)が支払われ、受け取っていたことがわかった。

 (3)元助役が7年間にわたってどういう趣旨、目的で関電側に支払い、関電社長など20人がどういう目的でこれを受け取ってきたのか理解できないが、きわめて不明朗な資金の流れであり7年間という長期の大金授受関係で、特にこれを受け取り続けてきた関電社長などの認識、対応は慣例となっていたのか驚かされる理不尽、不条理(unreasonableness)さだ。

 (4)中には社長就任の祝い、中元、歳暮として受け取った(報道)ともいわれて、昔の付け届け慣習とみられる古い体質感覚でとても原発立地自治体と原発事業者の利益関係を考えれば、現代では考えられない金銭授受感覚であり理解不能だ。

 記者会見を聞いて当事者の関電社長の主張は、いつ返そうかと思い一時保管していた、預かっていたと説明していたが、7年間も考えあぐねていたというのか、言い逃れも通用するものではない。

 (5)関電高浜原発再稼働の是非が裁判で争われていた時期でもあり、原発受け入れを促進した高浜町(元助役が中心となって原発立地を推進したー報道)からすれば裁判で原発再稼働が認められずに関電がそのまま撤退(改善策もせずに廃炉)することを懸念しての関電側への金銭供与だったのか、それにしても原発再稼働係争中に原発立地高浜町元助役から大金を受け取り続けるなどとは不注意、無神経ですまされることではない。

 (6)関電社長など幹部役員の企業ガバナンス(governance)欠如が疑われる問題だ。記者会見での言い逃れも子どもじみて、みえみえの説明であり、大金送り手がなくなっていることもあり関電社長は詳細な説明は避けて答えずに(報道)避けたといわれる。

 関電側役員が経産省に出向いて事態の説明に行ったが、「しかるべき人物が説明に来るように」と帰された(報道)と言われて、企業全体としてのガバナンス、認識、対応の甘さがみえるものだ。

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芸術と交付金。 art and subsidy

2019-09-27 20:20:01 | 日記
 (1)芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」が韓国の従軍慰安婦「少女像」モチーフを企画展示したことに当時の京アニメガソリン放火を示唆した暴力的脅迫ともとれる展示撤去を強要するなど抗議が続いて、同実行委員長でもある大村愛知県知事が開催から3日で企画展中止を決定、発表した。

 不特定多数が来場する芸術祭企画展で不測の事態が起こっては身の安全を保障できないことから中止としたことはやむを得ない対応であった。

 (2)日韓関係が徴用工問題を発端に対立悪化しているときに、「少女像」モチーフをあえて展示することが芸術性、表現の自由優先、尊重ということなのか、愛知県の実行委員会としては事前にどれほど論議されていたのかは問題だ。

 芸術性は自由、象徴、表現、思想に束縛されない奔放に取り組むことが信条であるとして意識的に見過ごされていた(遠慮、配慮)ことがなかったのか、京アニメ放火事件もあって示唆する暴力的な脅迫、抗議に結果として安全対策として芸術祭開幕3日で企画展中止と決定している。

 (3)最近になって大村知事は芸術祭再開を検討していると報じられていたが、矢先の昨日(26日)に文科省文化庁は「県は円滑な運営を脅かす重大な事実を認識していたが、申告しなかった」(報道)として国の補助金の7800万円を交付しないことを決定した。

 開幕3日で企画展中止を決定、発表してこれまで再開していないのだから、国の補助金が交付されないのは当然のことと思われるが、決定時期が大村知事が再開検討を目指すと表明した時と合致したことから大村知事は文化庁の補助金不交付に対して「私の(再開ー本ブログ注)表明への対応だと受け止めざるを得ない」として「表現の自由を保障する憲法21条を高らかに掲げ裁判で争う」(同)姿勢を示した。

 (4)「表現の自由」に対する侵害なのかどうかよりは開幕して3日で企画展中止決定のままというから、国の補助金交付中止は国民投資(税負担)者からしても当然のことにみえる。

 メディアでは国の補助金交付中止決定は脅迫まがいの抗議に屈して「妨害の後押しにつながる」(報道)という意見もあるが、それはほとんど開催されない芸術祭企画展にまで国が国民投資(税負担)を使ってまで補助金を交付することではなく、中止決定後早急に問題を「整理」して安全対策を講じて再開に向けて検証、検討してこなかった主催者、とりわけ実行委員長の大村知事の判断、対応、責任問題のことだ。

 (5)芸術性というのは前述したように自由、象徴、表現、思想で束縛されない普遍性、独自性、自主性、自律性があっての主張であり、これを制限することは生命線、ダイナミズム(dynamism)を阻害する、萎縮させるものというのが一般的論理であり、暴力的な脅迫、抗議に屈してはならないものであるだけに主催者としても安全確保とともにむずかしい選択の中にはあった。

 (6)今後の芸術祭開催への重要な啓示でもあり、国の補助金不交付が表現の自由侵害として問題となっているが、主催者、県も被害者であり、国としても一定の配慮、検討は必要だ。

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司法の限界。 the judicature limit

2019-09-26 20:01:55 | 日記
 (1)司法では解決できないことはあり、諫早湾開門、非開門問題も最高裁は判断を高裁に差し戻して最終判断を回避した。閉門すれば漁業関係者に、開門すれば農業関係者に影響が及ぶという共存、両立しない事業の可否を決めることなどできない。

 司法が決めれない問題はそれを持ち込んだ政治が判断するしかない。漁業事業の諫早湾に農業干拓地を促進して、塩害、海流沈滞被害のあちらをたてればこちらがたたずの問題を引き起こした。

 (2)東日本大震災福島第一原発事故にかかわる東電の旧経営陣元会長、副社長3人に対する業務上過失致死傷罪で市民参加の検察審査会で強制起訴されて東京地裁判決で無罪判決となった。

 これまでの判決同様に「事故を回避する義務を課すにふさわしい予見可能性があったと認めることはできない」(報道)として無罪判決が続く。

 (3)強制起訴されたときには被告側からはいつまで裁判にかかわらなければならないのかという意見もあったといわれて、確かに新しい証拠、証言もない事態では司法判断をくつがえすことはむずかしいのが通例だ。

 社会規範、正義からすればそういう組織責任問題で責任を負うのが組織トップ、代表の取るべき責任であり存在であると考えるが、司法とすれば事実の把握、認識、理解、知りうることの事実確認が求められて直接組織トップの「過失責任」を問うことはむずかしいことはある。司法が社会正義、規範を考えるなら、組織トップの知りうるべき責任(知っていたかどうかではなく)を問うことがあってもいい。

 (4)政治でも部下の過失責任に任命責任を問うことはあっても実際に最終責任者の首相が責任を負うことはなく、当事者責任ですまされることがほとんどだ。
 東電旧経営陣の福島第一原発事故の司法責任については前述したように新しい証拠、証言でもない限りは司法裁判では裁けない公算が大きくなった。

 それでは東電の旧経営陣は社会規範、正義による社会的責任を負ったかといえば、いまだに帰宅困難地域は残り、福島第一原発事故の廃炉に向けた工程計画は遅れてリミットを超える汚染水処理問題を抱えて対策の遅れが目立つ。被災者への補償、賠償問題でも誠心誠意とはいいがたいものだ。

 (5)東電旧経営陣としては組織内で辞任により責任を取ったということなのか、被災者の苦労、苦痛を考えれば責任逃れの印象は強い。
 福島第一原発事故被害者からすれば納得できないもので、司法に訴えての「事故責任」の明確化だ。

 同事故に対する東電の企業としての自己責任が「賠償、補償(被災者に添ったものとはいいがたい)」だけでない、「知りうる立場になかった」ではない、「知りえなかった」ことに対する「責任」について原発事故当事者としての言葉、心情、責任論を聞きたいところだ。

 (6)東電、旧経営陣はこれからもそういう「責任論」と向き合っていくことになる。

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ミス・グレタの主張。 miss greta opinion

2019-09-25 20:01:28 | 日記
 (1)スウェーディンの16才の「環境活動家」グレタ・トゥーンベリさんが国連総会に乗り込んで「すべての生態系が崩壊し始め、私たちは大規模な絶滅を前にしています」(国連演説-報道)というのに「あなたたち(国連各国代表ー本ブログ注)はお金と永続的な経済成長という『おとぎ話』ばかりを語っている」(同)と気候変動問題を前にして行動を訴えた。

 (2)実際には国連での気候行動サミットでは独、仏、英は「50年までに排出実質ゼロを目指す」と断言(報道)して、世界77か国も同様の目標を掲げている。しかし、あまりにも遠い、遅い行動目標に直接影響を受ける若い次世代代表からは危機感、不信感が表明されたものだ。

 気候変動温室効果ガス削減目標の「パリ協定」でも参加各国に温室効果ガス削減目標策定を義務付けているが、世界最大の排出国米国トランプ大統領が離脱を表明しており、このことも意識、批判してのグレタさんの主張のように聞こえる。

 (3)もちろん日本も例外ではなく、米国に同調して気候変動温室効果ガス削減には消極的姿勢であり、自然災害国日本として毎年災害被害拡大にあいながら経済政策優先で地球温暖化対策に積極的でないパラドックス(paradox)な矛盾した国家政策を推進しており、グレタさんの主張は安倍首相には耳の痛い話だ。

 しかしスウェーディンの16才の「環境活動家」グレタさんのこうしたパワー、エネルギーはどこからくるのか、若い次世代として自らの将来、生活、生存にかかわる重要問題とはいえ、問題意識の高さ、主張力には驚かされる。

 (4)北欧は環境問題、意識の高い先進国であり教育の高さが源泉であるものと考えられるが、「大人」の現実世界、社会は次世代社会の切なる主張に耳を傾けなければならない。
 それにしてもスウェーディンから航空機は排出ガスを大量に放出するからと利用せずに、太陽光発電のヨットを使っての米国入りで、環境グループの支援も受けての行動とみられて単独行動のようでもないが強い信念、意識が伝わってくる。

 (5)日本でも一時安倍政権の安保法制国会審議では若い次世代NGO組織が国会前に連日押しかけて抗議活動を行っていたが、永続的なものではなく国会審議終了とともに解散を表明して、個人としても活動、行動、主張を続けることは少ない。

 国の生い立ち、国民性、社会思想、教育の違いからくるものだろうし一概に比較することはできないが、テロ組織に命を狙われながら男女教育機会平等を訴えてノーベル平和賞を授賞したパキスタンの10代のマララさん、今回のグレタさんとバイタリティ、パワー、エネルギーの高さに世界次世代への変革性、あたらしい世界観、社会観への期待も大きい。

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