いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

復興の夏のエポック。 epoch point of renaissance summer

2011-07-02 20:00:07 | 日記
 (1)企業の平日休業、土日操業が本格化した1日の昼のデパートは、最近では不況を反映した土日にもない混雑、盛況ぶりだった。若いカップルも多く、まるで夏休みに入ったかのような今年の特殊社会事情を映しだす街の風情を実感するものだった。

 1日から始まった大口需要に対する電力使用制限のなか、すでに企業の自己防衛、自助努力による操業シフト、節電マニュアル志向で各電力会社では軒並み15~20%程度(昨年同時期比較)の節電目標をクリアーした。

 福島原発事故の収束も不透明な中、安全性に確証もないまま原発再稼働に頼るしかない、このままの社会パラダイム(paradigm)を維持するなら時間もない今夏の電力安定供給事情だ。
 エネルギー政策の転換見直しを決めた政府(首相)からも、それじゃ原発に頼らない国民生活、企業活動のモデルケース、価値観の変更、辛抱を主張するでもなく、首長が受け入れを示唆して可能な自治体に担当大臣が出向いての再稼働を申し入れるギャンブル政治だ。

 原発推進の「虚構(fabrication)」を、安全性不備(なにより原発の危険性を熟知した専門集団の安易な加担)、経済効率(一応、環境適応型として)中心でリードしてきた政府が、福島原発事故の収束もままならずに原発の安全性を口にしても、原発周辺地域、住民、国民の安心、信頼を得ることは不可能だ。

 原発10キロ、20キロ圏内以外にも、離れた50キロ地点での高濃度の放射性物質汚染も出て全国自治体では原発安全保障、補償協定の見直し、新規要請も拡がりをみせている。

 首長が自治体財源(国の原発出資)を担保にしても、安全安心優先の議会、住民の協力を得るのはむずかしい。逆に、反感、反発を買うだけの政府の自助努力をしない危機管理能力不足の結末だ。

 あらゆる事態は始まったばかり、夏、7月、8月、9月を控えて、被災地復興と合わせて正念場の夏を迎える。

 (2)東日本大震災は、多くの人に「時代」の転機を促すエポックポイント(epoch point)となった。
 仕事のスタイル、制度、仕組みに改善と変化を生んだし、国民が保障される安全、生命、財産、人権が必ずしも「設計」通りにはいかないこと、最後は人間ひとりひとりの「問題」であってそれなら国への国民投資は「何」なのかという禅問答、地球温暖化で自然を破壊してきた人間と自然との関係、しかし一時の自粛ムード、ボランティア、義援支援活動、被災地への行政まるごと支援または受け入れ、節電で国民の一体感効果も生んだ。

 地方自治体、民間企業では節電対策としてクールビズ、かりゆし、アロハシャーツスタイルの軽装業務で、その分、人間性のある目覚めたサービス、業務の見直し、業務への取組み、集中に反転「転嫁」する高い「対効果」の働くことが大いに期待される。

 人間の「弱さ」と「強さ」の共存を実感して、成長のエポックとしなければならない。それはまた同居する自然の「弱さ」と「強さ」への実感でもある。

 近代化が「自然の摂理」を超えたところにあるように錯覚した「人間倫理」が変わらなければならないのは言うまでもなく、次世代社会の有り様についても考えながらの復興の夏(renaissance summer)だ。

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