塩瀬セミナー(music cafe seminar)に参加した。日本を代表する団塊世代の3人のアーティスト
(musician)財津和夫、小田和正、井上陽水に光を当てて、塩瀬さんが東海ラジオ在職中にプロデュ
ースして制作したラジオ番組「団塊の世代 わが青春の歌 今日までそして明日から」(06年5月
28日放送)を聞きながら3人のアーティストの音楽、人生に対する本音トークへの想いを塩瀬さんが
紹介するセミナー。
放送翌年の07年は、団塊世代が一斉に定年を迎える「07年問題」ということもあり、団塊世代3
人のミュージシャンに今後の生き方への本音を語ってもらう思いで番組をつくったという。事務所を
通せば、型どおりのトーク番組になるので、直接本人に会って番組の趣旨を話して交渉した。
取材:財津和夫(東京:東海ラジオスタジオ) 小田和正(東京:小田事務所) 井上陽水(名古屋公
演先) この番組は3人のミュージシャンが自分の言葉で本音を語る、普通の音楽番組にはないもの
でこういう番組をつくりたかった。(塩瀬)
番組(50分)オンエア:
陽水 家業を継ぐ受験に失敗し、好きだった歌の道に進む。(塩瀬)
陽水 「人生が二度あれば」オンエア。
陽水「音楽を一生の仕事にしようなんて20~30代で自覚したことはない。受験から逃れるように、
人生モデルから逃げるように生きてきたから、特殊だった。」
72年は、レジスタンスが「社会へ」から「自分なる内へ」向けられ始めた時代だった。(塩瀬)
財津 家計が苦しく、浪人中にブラブラしていた時に偶然会ったかっての同級生の女性に強く進学
を薦められ、自分で学費を工面して進学した。(本ブログ注)
財津 チューリップの「魔法の黄色い靴」オンエア。エレキを使った新しいサウンド志向で、財津くん
がビートルズを日本のポップスにはじめて取り入れたあたらしい曲。(塩瀬)
財津「学生運動真っ只中、ビートルズが好きで大学では楽器弾きながら歌の好きなノンポリ
(non policy)だった。学生から社会人になってもそこにミゾがあって、ギャップが感じられた。バンド
生活で生きていこうと思った。」
小田 オフコースの「さよなら」オンエア。
小田 社会人になることに決別して、大学院に進み建築の専門的学問を修める。(塩瀬)
小田「音楽を一生の仕事にしようと思いたい意思はあっても、そうできるとは思っていなかった。一生
の仕事にしようと思ったのは、バンド(オフコース)を解散してひとりになっての90年になってから、ひと
りになって仕事をもらってはじめて一生の仕事にしようと思った。」
陽水 「心もよう」オンエア。10月20日刈谷市の陽水コンサートに出かけた。陽水は最近は歴史に
興味を持っていて、岡崎市(家康の幼少時代過ごした岡崎城、家康の墓がある大樹寺他がある:本ブ
ログ注)のことをさかんに聞いてきた。このコンサートはヒット曲をやらずに地味な曲が多かったので、
ファンには肩すかしにあったのではないのか。(塩瀬)
陽水「子どもの頃は目指した野球選手になろうかとか、フォーク歌手になるといいなと、遠藤賢司、
高田渡、吉田拓郎いいよねとか思った。ビートルズにも夢中になったけれど、なれるといいなとはさす
がに思わなかった。自分の立つ位置の評価はむづかしいけど、今は望外の想像以上になったと思う。
夢はないことはない。ひとつは元気でやりたいこと。もうひとつは、ずっと曲を作り続けていって、自分
でも悪くはないと思い、周囲もそう思う曲を作り続けたい。
しかし、予想外の展開もあるかわからない。それに期待する。映画つくるとか、本を書くとか予想もで
きないが、やれる気もする。」
財津 「青春の影」オンエア。最近はまたコマーシャルに使われて、後世に残る名曲でいつの時代
に聞いてもズバッとくる。この曲を映画「さとならクロ」に起用した映画監督が、この曲は時代と寝てい
ない。いつの時代に出しても聞いても新しい、とうまい事言っている。財津くんにはもう一度こういう曲
をつくってほしい。(塩瀬)
財津「ビートルズみたいになりたいと、直球を投げ込むような感じで一直線にビートルズみたいにCD
をだして、それで生活できる環境の中で悠々自適の生活を思い描いた。現実は、毎日コンサートの日々
で、それが予定されていた不幸であったとして、それではほとんど不幸にならずに幸福に向かっていく
としたらのズレやギャップをなんとかせよと言われれば、時間を費やしてでもこれ以上調整されることも
ないところまでゆきつく、流れるということだ。
ふと思うことは、ぼくらの世代はガンバリ屋が多い。意地でも福岡に戻らないとか、ガンバリすぎてい
る。いいことだと思ってバンバッテいるが、過ぎたるは及ばざるがごとしで弊害が出ている。
今後は、取り返すためにもおだやかに楽しく老後を迎えたい。男として生きてきたが、おばさん化して
もいい。花を見て楽しみ、草木に水をやるような生活もいい。」
小田 「ザ・フラッグ」オンエア。「個人主義」のアルバムの中の「ザ・フラッグ」で同じ世代に呼びかけ
ている。(塩瀬)
小田「同期の社会人、実務に向かったものは仕事で、会社で荒波にもまれて溺れかかっているのを
見て、自分は温室(音楽)に入ったままで青臭いこと言ってもしょうがないけれど、それでも一緒のとこ
ろにいたじゃないかと彼らに言いたい。」
塩瀬:社会的意味合いのつよい番組をつくった。この番組は、真面目に聞いてくれるひとからは評判
もよかった。財津、小田、陽水は、自分の言葉で正直に語ってくれた。アナウンサーでは聞けない話を
3人とも20才のころからの付き合いのある自分だから、幸いにも先輩の感覚で話してくれた。
最近は、内容の乏しい番組が多いが、そんなことばかりやっていてはメディアはあきられる。今は、音
楽番組よりはNHKニュースの視聴率の方が高い時代に、ひとつのテーマ(theme)、インパクト(impact)
を投げかけた番組だ。
多分、こういう番組は、局の予算を考えたら企画できなかったと思う。旧知の自分が、直接本人と会っ
て、ちょっと話してくれないかと言って実現した本音トーク番組だった。
(musician)財津和夫、小田和正、井上陽水に光を当てて、塩瀬さんが東海ラジオ在職中にプロデュ
ースして制作したラジオ番組「団塊の世代 わが青春の歌 今日までそして明日から」(06年5月
28日放送)を聞きながら3人のアーティストの音楽、人生に対する本音トークへの想いを塩瀬さんが
紹介するセミナー。
放送翌年の07年は、団塊世代が一斉に定年を迎える「07年問題」ということもあり、団塊世代3
人のミュージシャンに今後の生き方への本音を語ってもらう思いで番組をつくったという。事務所を
通せば、型どおりのトーク番組になるので、直接本人に会って番組の趣旨を話して交渉した。
取材:財津和夫(東京:東海ラジオスタジオ) 小田和正(東京:小田事務所) 井上陽水(名古屋公
演先) この番組は3人のミュージシャンが自分の言葉で本音を語る、普通の音楽番組にはないもの
でこういう番組をつくりたかった。(塩瀬)
番組(50分)オンエア:
陽水 家業を継ぐ受験に失敗し、好きだった歌の道に進む。(塩瀬)
陽水 「人生が二度あれば」オンエア。
陽水「音楽を一生の仕事にしようなんて20~30代で自覚したことはない。受験から逃れるように、
人生モデルから逃げるように生きてきたから、特殊だった。」
72年は、レジスタンスが「社会へ」から「自分なる内へ」向けられ始めた時代だった。(塩瀬)
財津 家計が苦しく、浪人中にブラブラしていた時に偶然会ったかっての同級生の女性に強く進学
を薦められ、自分で学費を工面して進学した。(本ブログ注)
財津 チューリップの「魔法の黄色い靴」オンエア。エレキを使った新しいサウンド志向で、財津くん
がビートルズを日本のポップスにはじめて取り入れたあたらしい曲。(塩瀬)
財津「学生運動真っ只中、ビートルズが好きで大学では楽器弾きながら歌の好きなノンポリ
(non policy)だった。学生から社会人になってもそこにミゾがあって、ギャップが感じられた。バンド
生活で生きていこうと思った。」
小田 オフコースの「さよなら」オンエア。
小田 社会人になることに決別して、大学院に進み建築の専門的学問を修める。(塩瀬)
小田「音楽を一生の仕事にしようと思いたい意思はあっても、そうできるとは思っていなかった。一生
の仕事にしようと思ったのは、バンド(オフコース)を解散してひとりになっての90年になってから、ひと
りになって仕事をもらってはじめて一生の仕事にしようと思った。」
陽水 「心もよう」オンエア。10月20日刈谷市の陽水コンサートに出かけた。陽水は最近は歴史に
興味を持っていて、岡崎市(家康の幼少時代過ごした岡崎城、家康の墓がある大樹寺他がある:本ブ
ログ注)のことをさかんに聞いてきた。このコンサートはヒット曲をやらずに地味な曲が多かったので、
ファンには肩すかしにあったのではないのか。(塩瀬)
陽水「子どもの頃は目指した野球選手になろうかとか、フォーク歌手になるといいなと、遠藤賢司、
高田渡、吉田拓郎いいよねとか思った。ビートルズにも夢中になったけれど、なれるといいなとはさす
がに思わなかった。自分の立つ位置の評価はむづかしいけど、今は望外の想像以上になったと思う。
夢はないことはない。ひとつは元気でやりたいこと。もうひとつは、ずっと曲を作り続けていって、自分
でも悪くはないと思い、周囲もそう思う曲を作り続けたい。
しかし、予想外の展開もあるかわからない。それに期待する。映画つくるとか、本を書くとか予想もで
きないが、やれる気もする。」
財津 「青春の影」オンエア。最近はまたコマーシャルに使われて、後世に残る名曲でいつの時代
に聞いてもズバッとくる。この曲を映画「さとならクロ」に起用した映画監督が、この曲は時代と寝てい
ない。いつの時代に出しても聞いても新しい、とうまい事言っている。財津くんにはもう一度こういう曲
をつくってほしい。(塩瀬)
財津「ビートルズみたいになりたいと、直球を投げ込むような感じで一直線にビートルズみたいにCD
をだして、それで生活できる環境の中で悠々自適の生活を思い描いた。現実は、毎日コンサートの日々
で、それが予定されていた不幸であったとして、それではほとんど不幸にならずに幸福に向かっていく
としたらのズレやギャップをなんとかせよと言われれば、時間を費やしてでもこれ以上調整されることも
ないところまでゆきつく、流れるということだ。
ふと思うことは、ぼくらの世代はガンバリ屋が多い。意地でも福岡に戻らないとか、ガンバリすぎてい
る。いいことだと思ってバンバッテいるが、過ぎたるは及ばざるがごとしで弊害が出ている。
今後は、取り返すためにもおだやかに楽しく老後を迎えたい。男として生きてきたが、おばさん化して
もいい。花を見て楽しみ、草木に水をやるような生活もいい。」
小田 「ザ・フラッグ」オンエア。「個人主義」のアルバムの中の「ザ・フラッグ」で同じ世代に呼びかけ
ている。(塩瀬)
小田「同期の社会人、実務に向かったものは仕事で、会社で荒波にもまれて溺れかかっているのを
見て、自分は温室(音楽)に入ったままで青臭いこと言ってもしょうがないけれど、それでも一緒のとこ
ろにいたじゃないかと彼らに言いたい。」
塩瀬:社会的意味合いのつよい番組をつくった。この番組は、真面目に聞いてくれるひとからは評判
もよかった。財津、小田、陽水は、自分の言葉で正直に語ってくれた。アナウンサーでは聞けない話を
3人とも20才のころからの付き合いのある自分だから、幸いにも先輩の感覚で話してくれた。
最近は、内容の乏しい番組が多いが、そんなことばかりやっていてはメディアはあきられる。今は、音
楽番組よりはNHKニュースの視聴率の方が高い時代に、ひとつのテーマ(theme)、インパクト(impact)
を投げかけた番組だ。
多分、こういう番組は、局の予算を考えたら企画できなかったと思う。旧知の自分が、直接本人と会っ
て、ちょっと話してくれないかと言って実現した本音トーク番組だった。