いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

ことばのパフォーマンス。 word performance

2011-01-31 19:23:01 | 日記
 (1)これではアミューズメントを市民に提供する資格、資質はない。30日、東京ドーム遊園
地で小型コースターから男性が転落して亡くなった事故で、会見した東京ドーム社の関係者
が点検上の不具合の可能性を聞かれて、「問題があれば営業していない。」と答えた。
 安全点検に対する同社の信用性を語りたかったのだろうが、死亡事故が起きたことに対す
る企業責任の認識に欠けた安全対応の不備は隠しようもない。

 施設設備を信用し、興味をもってここで楽しみたい市民をアトラクションに誘うアミューズメン
ト会社の社会的責任、使命、管理能力の真摯な姿勢が欠けていた。
 起こるべきして起きたなどと言えるはずもない悲惨な事故だが、入園者への同園安全対
応の不備が、関係者の「心持ち」意識にあったことを冒頭の会見で自ら説明してみせて、点
検上の問題へと波及するのは自明のことだった。

 転落した小型コースター搭乗者は、大柄な体躯で安全バーが固定できないと話していた
(報道)といい、マニュアルでは係員(当時はアルバイト)がスタート前に安全確認することに
なっていたが、当時は実施されていなかった(報道)と言われている。

 日常性を離れて危険と隣り合わせの刺激のある娯楽を楽しむアミューズメントパークでは
安全がプライオウリティ(priority)で、提供する企業側には関係者全員に「間違っても安全
(fail safe)」の認識対応、徹底した意識統一、責任力、機動性、監視力が求められた。

 危険と隣り合わせの刺激のあるアトラクションでは、ハード面(機能、操作)でも「間違って
も安全」の仕組み、対応が不可欠なのは当然のことだ。東京ドーム社では欠落していた。
 安心して安全にアトラクションを楽しめないアミューズメントパーク経営の社会的使命、意
識の低さを示す「問題があれば営業していない。」発言だった。

 (2)民主党政権最初の元首相が、愛知県知事選挙応援の名古屋市内演説で「こんな党を
つくったつもりじゃなかった。」発言で、元幹事長と政府・党との党内権力闘争を批判した。
 元首相のスローガン「友愛」は、元幹事長の「政治とカネ」の引責も求めての最後に見せ
たせめてもの国民、同士への誠意と思っていたら、辞任後はその元幹事長と結束しての政
権批判だった。

 この元首相、「友愛」といい、「日米対等外交」、「東アジア経済圏」といい、概念には見る
べきものがありながら、自ら自己矛盾に落ち入る節度がなくて、戦略のない思いつきの理念
のない言葉のら列でしかなかった。理念のない思いつきの言葉に、国民の政権交代の想い
が弄(もてあそ)ばれた訳だ。

 「こんな党をつくったつもりじゃなかった。」とわずか1年半で今更言われても、国民の選択、
想いはどうしてくれるのか。
 国民生活第一と言っておきながらの、その国民に背を向けて党内事情ばかりを見ている背
信の言葉だ。
 「友愛」と言うのも政治用語としては、焦点の合わせようもない漠然とした言葉づかい
(wording)だった。

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強制と不服従(国旗と国歌)。 coercion & dis-obedience

2011-01-30 19:36:14 | 日記
 (1)日本時間の1月30日のカタールで行われたアジアカップサッカー決勝で、ザック・
ジャパン、サッカー日本代表が延長戦後半に長友(DF)が相手ゴール左ゾーンに持ち込んで
ゴール中央に上げたクロスに、途中出場の李(FW)が見事な左足ボレーシュートを決めてオ
ーストラリアに勝って優勝した。ザック・ジャパンの不敗神話が続く。

 日本を代表して国際試合に臨む時には、サッカー日本代表は胸に「日の丸」のエンブレム
(emblem)を付けて、「君が代」演奏の時には全員が肩を組んで「日本代表」として一体感を
共有する。
 セレモニーではサッカー日本代表のザッケローニ監督をはじめイタリア人の同コーチ数人を
含めて全員が肩を組んで「日本代表」として一体感を共有する。
 ザッケローニ監督は試合前「アジアカップを持って(優勝して)『日本に帰る』」と表現してい
た。

 (2)東京都が入学式、卒業式で「日の丸」に向かって起立し、「君が代」を斉唱することを都
立学校に義務付けた通達に対して、都教職員(395人)が「思想、良心の自由を保障した憲
法に反する」と提訴した裁判で、地裁は東京都の行き過ぎた処分を考慮して提訴を認めて
「違憲」とした判決を、二審の高裁が「通達の目的、内容は不合理とは言えない」と「合憲」と
判断した。

 広く国民に国旗、国歌として定着している「日の丸」、「君が代」の存在自体は、主権国家と
してのアイディンティティ(identity)を示すものとして思想、良心の自由の範ちゅうでは推し量
れるものではない、それ以前の概念のものとしてそれを「強制(coercion)」するものでもなけ
ればましてそれにより「処分」されるものでもなくて、「不服従(dis-obedience)」するものでも
ないと解釈する。

 本質的には、「日の丸」、「君が代」遂行にかかわり、「強制」も「不服従」も「思想、良心の
自由」を問題としては、裁判で争う「利益」、訴える「利益」そのものが存在しないと考える。

 (3)かって軍国日本は、「日の丸」、「君が代」で多くの国民を戦争に駆り立てて、近隣諸国
と合わせて多大な被害を与えた歴史があり、国民の中には心情的にこれらの受け入れを拒
絶する本能本質もある。
 現在において、「日の丸」、「君が代」を強制されることが思想、良心の自由、信条に反する
と拒絶するのは、そうした国家体制での「利用」の仕方、恐怖観念に由来するものだ。

 (4)広く国民に定着している国旗、国歌に対する東京都の「強制(義務付け通達)」が、思想、
良心の自由で争う「違憲」、「合憲」の判断、問題とするのには「訴える利益」そのものがなく
て、これは個人の信条に反することを「強制」し、「処分」すること、「不服従」することが、人格
権、生活権の侵害(違法行為)になるのかの問題だ。
 「日の丸」、「君が代」の遂行に当たって、これを「強制」し「不服従」に対して「処分」する「脅
迫観念」は、違法性が強いものと言わざるを得ない。

 (5)ジョンレノンが「イマジン」で、国も国境もない世界、ひとりひとりみんながそう想えば実現
するとメッセージを発信したが(それはそのとおりだが)、スポーツの世界では国を代表してフ
ェアに戦うダイナミズム(dynamism)も捨てがたく、国民を勇気づけ、一体感を生むその価値観
も大切だ。
 そのためのシンボル(symbol)、エンブレム(emblem)としての「日の丸」であり「君が代」でも
ある。

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私的な財津和夫論。(8) private essay about k. zaitsu

2011-01-29 20:16:13 | 日記
 「私的な財津和夫論」の第8回、「フリーク」です。
 8 フリーク(freak)
 (1)NHKラジオ番組の「いとしのオールディーズ」、60年前後のアメリカンポップス、洋楽
紹介の番組で、28日は職業がカラー・コンシェルジュと紹介のあったゲスト竹内洋子
(ひろこ)さんが、自身の音楽とのかかわり、巡り合いに触れて、いきなりチューリップの
ファンで「虹とスニーカーの頃」はすばらしい曲ですと、切り出しました。

 洋楽紹介の番組でいきなりゲストのチューリップ音楽からのはじまりで、ゲストの自由
で奔放な感性にこの番組に引き込まれました。
 女性ゲストの竹内洋子さんは湘南出身のカラー・コンシェルジュ、私の理解ではおおま
かに言えば「色彩を日常生活の生活空間、人体に色とりどりに多様に取組むカラー・コー
ディネーター」という現代職業人だということのようです。

 現代感覚の芸術史観を職業にするパイオニア(pioneer)が、今もチューリップ、財津音
楽に心を惹きつけられていることは、日本語をはじめてポップス・シーンに見事にのせて
ニューミュージックを先駆的にリードしてきたチューリップ、財津音楽の先進性(advance
style)の高さを示すカタログ(catalogue)だ。

 本人は、洋楽紹介番組とはいえ自身の当時の音楽環境を率直に伝えただけのことな
んでしょうが、比較対比として、財津音楽がどれだけ既存社会の現状以外の未来に可能
性を夢見る若者にフリースペース、インフィニティ(infinity)に広がって、多様に影響力を
及ぼしていたのか実感できた瞬間だった。

 (2)テレビ番組の構成、演出を手がける北村のんさんも財津音楽フリークのひとりで、
長野とか山形とか財津さん、チューリップのコンサートにもお出かけになって会場でもお
見かけします。
 ステージ照明の林光政さん、デザインの大野拓哉さんとチューリップ、財津和夫さんの
ステージ構図(composition)、音楽シーンで、先駆的で革新的なコンセプトを発信してき
ました。
 チューリップ、財津音楽というのは、総合芸術史観(historical view of composite art)
でもあったのです。

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格付け。 classification

2011-01-28 19:20:42 | 日記
 (1)環境影響評価の国際基準(global standard)として「ISO14001」がある。エネルギー管理
から破棄物管理、資源再生・再利用と、広範囲に継続的に地球環境快適保全の各企業、公益
組織ほかの「取組みシステムの評価」を、複数の民間認証団体が学術専門委員による検証に
より認証する。

 3年に1回現地、現場の取組み実態、管理状況を調査検証して評価認証する。地球温暖化、
資源使い捨てによる地球環境破壊の時代を迎えて、「ISO14001」は企業ほかの環境快適保全
意識の高さを示すステータス(status)として、経営経済活動の社会的リーダーシップ、パラダイ
ム(paradigm)としてその価値が広く信頼を受けるものとなっている。

 企業では、「ISO14001」認証が社会的地位を高めて経営経済活動には必要不可欠の資格要
素となっており、認証企業はどこも企業名と揃えて「ISO14001」の認証プレートを掲げている。
 環境影響評価への取組みは負担経費も大きく、費用対効果の側面から一部問題視する声も
あるが、一企業、組織の経済効率の問題ではなくひとりひとり、企業相互の一体となった取組み
が地球環境快適性を未来の世代社会に残す事業として取組む問題であり、それはまた地球環
境快適性(エネルギー効率化、資源再生・再利用による効果)となって自らにも効果を及ぼすも
のでもある。

 (2)国家の累積赤字が900兆円を超える日本。それでも、GDP世界第3位の経済力、先端
(科学)技術力、国民性、比較安全社会の日本は、海外から信用度はまだ高い。
 巨額の累積赤字を補てんする国債発行は95%が国内需要で、海外からの引き受けもあり国
家破たんには至っていない。

 その国債を「格付け(classification)」するひとつの米国格付け会社(S&P)が、07年4月に上
位3番目の「AA」に格上げしていた日本国債を、一段階下の「AA-」に格下げした。
 民主党政権の財政再建政策の実現が、ねじれ国会ほかで不透明になったことが主要因だ。

 政府は「民間の会社の評価のひとつ」とコメントしてみせても、マーケットは「円が売られて、
日本国債の売り圧力も高まり」とオンタイムで不安反応して影響が出ている。
 実は、首相は財政再建(消費税増税)の理由のひとつにこの「国債格付け」をあげている。

 この米国格付け会社は、失業率10%前後で国内経済の回復が鈍い米国国債をトップランク
(AAA)に計上しており、米国には甘いとの評判もありサブプライムローン問題でも米国国債の
高い格付けによる判断ミスで世界同時不況を誘因したと批判もされた経緯もある。

 この国債格付け、学術専門委員による現場、現地検証による民間認証団体評価の環境影響
評価の国際基準ほどはステータスはないようだが、日本の国家財政が危機的状況であること
は間違いはない。
 国民ひとりひとり、社会一体となった財政再建、健全化の共有認識が必要だ。
 

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5%の安全。 rail home guard door

2011-01-27 19:47:10 | 日記
 (1)人にやさしい社会の視点がまだまだ不十分の自己中心社会であることを実感する。安
定不況の時代に、共働きは避けられないと幼児を託児所に預けての「子育て不在」の経済
至上主義、幼児を預けれる施設のあるうちはまだいいと勘違いする「子育て不在」社会も悲
劇なら、預ける施設も比較不足して待機児童増加の責任を国に求めるのは自己利益偏重だ。

 政治、経済、社会を含めてそういう社会構造が悪いのか、一時期だけでも「子育て」に専念
する意識改革、価値観のプライオウリティ(priority)を持てないものなのか、事情、環境はそ
れぞれ多様なものだから個人差はあってもいいはずなのだが、社会現象にながされることが
「子育て不在」社会を増長している。

 (2)社会のバリアフリー(barrier free)化が進んで、身体に障害のある人の社会進出、行動
力にも自由化、環境も整備されてきた。市街化地域を点検すれば、まだまだバリアフリー化
に不十分、配慮に欠ける部分も残っているが、最も視点の欠けているのが交通機関産業、
駅構内での不整備だ。

 近年は、交通網の多重、多様化で駅構内も高架方式が増えて、長い階段、段差が多くなっ
てきた。階段には手すりに一人乗り昇降機の設置のあるところもみかけるが、動く歩道、エス
カレーターと障害を持つ人にとっては近代化とは反比例する危険を感じるゾーンも増えてきて
いる。
 駅構内の数々の障害を通り抜けても、駅のホームは歩行ゾーンが狭くて、両端はフリース
ペースのまま線路へと続く危険ゾーン(dangerous zone)がほとんどだ。以前は駅のホーム
でよく見かけた駅職員は、合理化、経営効率化で見つけるのも一苦労するほど見かけなくな
った。交通機関産業は、安全第一の質の高いサービス業務が本旨だ。

 (3)最近になって目に障害(全盲)のある人の3人に2人が、駅のホームから転落した経験が
あるというデータ(全視協)が開示されること自体が、同産業が時代に乗り遅れた証明だ。
 市街化地域のまだしものバリアフリー化の取組みに、ひとり乗り遅れた駅、交通機関産業の
合理化、経営効率化だ。

 泥酔者のホーム転落事故、救助者が巻き込まれる悲劇もあり、駅ホームへのホーム・ガード
・ドアの設置が必要なのは社会の共通認識になっているが、未だに高額な設置費がネックとな
って全国駅の5%弱程度にしか設置が行き届いていない。駅のホームの安全比率は5%だ。

 頻繁に電車が発着する都心の駅でも、乗降口は開いたままのホーム・ガード・ドアでも安全
効果は高い(新幹線は乗降口自動開閉式)。
 政府も耐震補強対策同様の補助金または貸付金制度でホーム・ガード・ドア設置をバックア
ップすべきだ。

 あわせて、人的対応でも駅ホームの安全第一の環境整備をはかる必要がある。自動化、機
械化のできるところは積極的に投資して、計画的に投資回収を目指して、人員をかけるところ
にはかける必要もある。人的能力ほど、対応能力の応用力の高い広いものはないのだからだ。
 社会も進化すれば、見合った投資なしには「安全」は実現しない。

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