いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

行政実施能力 対 効果。(厚生労働検証)executive capacity vs. effect

2011-10-31 19:31:05 | 日記
 (1)政府がすべてを照合すると約束した年金記録漏れ、誤り問題も、費用対効果(expenses vs. effect)を考え出したという政府機関筋の話が聞こえてきた。
 年金も「税と社会保障」の一体改革にシフトして、最近は年金確認作業の動向もまったく聞かれなくなったと思ったら、これ以上継続しても調査、確認経費が実態年金支給額を上回ることになり、調査対象年令を限定しての部分調査、確認にすべきだとの関係政府機関の話だ。

 個別に個人宛に郵送で照合確認作業を行っているが、途方もない記録漏れ、誤りの数を前にしての事実上のギブアップ(give up)宣言だ。

 (2)厚生労働政策、機関というのも、実にいいかげんなところだ。将来、高年令化社会の実現があきらかなものを政策放置して、やたら年金支給年令を段階的に上げるだけの無作為のあげくに、「その時」が来たら税と社会保障の一体改革とか言って、結局は国債(借金)、国民投資(税)に負担を求めるだけの先行き見通せない無策ぶりだ。

 郵便事業も関係機関のかかわった不正事件で、検察の調書改ざんで元局長は無罪判決になったけれど、関係機関の職務上の管理者責任は免れない。

 厚生施設は、全国にこれまた無計画に無秩序に乱立して、アクセス、便利さも顧みずに利用価値もない山奥、野原に御殿を建てて雑草生い茂る廃墟の無軌道行政だった。
 財政財源不足の時に、施設処分方針のプロセス、進展度もよく国民には伝わってこない。行政サービスと民間活力のインバランス(imbalance)、時代進行無視の放漫政策が検証もされないままの状態だった。
 日本の行政は、政策効果を検証しないところだ。

 (3)そこえきて、今度は国家財政難の中、一度は推進するとした公務員宿舎の建設計画の見直し、中止だ。民間活力による経済再生が急務のところ、時代に、国民負担増に逆行する建設計画だ。公務員は、人事院勧告を大幅に上回る7~8%の給与減額が政府方針で、行政実施能力対効果(executive capacity vs. effect)を自ら示す時に、公務員だけが住居環境の優遇を受ける時代錯誤は許されない。地価も下がって需要待ちの民間の住居環境を活用すべきだ。

 国会議員の定数、報酬削減も当然のことだ。今のように国会の利害関係当事者審議では切り込みも不十分だ。第三者委員会の設置による多角的な早急な対応が求められる。

 (4)日銀が資金をマーケットに流しても急伸する円高対策も、今日、政府は実態を反映(つまり投機)していないとして単独円売り、ドル買い介入を発表した。年明けには1ドル70円を予測する分析もある。円買いも、円が国際通貨比較強いのか、ただ消去法(として残った)だけなのかよくわからない。

 企業の海外拠点化は続く見通しだ。国内雇用は一層の深刻化だ。国民の投資(税)に守られて、国民の投資に頼った行政の国家累積赤字は900兆円から1000兆円に届く規模だ。
 その場しのぎのいいかげんな行政、機関は通用しない行政実施能力対効果の検証の時代だ。

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個人的メモの破棄を考える。thinking of break off the examined memo

2011-10-30 19:19:09 | 日記
 (1)事の発端は、厚生省がかかわった郵便不正事件捜査で取り調べ調書が「改ざん」されていたとして元局長が無罪判決となったことだ。
 その後の捜査で、同事件の捜査関係者が「取り調べメモ」を破棄(break off the examined memo)していたとして、「改ざん」にかかわる証拠隠滅容疑、犯人隠避容疑で告発されたがこれを最高検が不起訴処分(容疑なし)としていた。

 ①「取り調べメモ」をもとに②「調書」が作成されて公式なものとして、通常は③「証拠」として裁判で採用される。「調書」に集約される「取り調べメモ」は、調書が作成されれば付属的、補足的(付随)個人文書として法的効力はないと考えるのが一般的だ。

 そうでないと同一記載内容物に「メモ」と「調書」の二つの公式「見解」が存在することになり、仮に相互間の意見が割れた時にどちらを選択するのかの、より正当性(記載効力)があるのかの判断が必要となって問題を殊更複雑化することになるからだ。

 (2)法的効力のある「調書」一本化、公式化と言っても、それを個人的に補足するために「メモ」を活用することは、取り調べ当時の状況(判断)を再現できる再確認する非公式資料となることはある。

 事が「調書」の「改ざん」という前代未聞の事件となっただけに、その元データとなる「取り調べメモ」がクローズアップされた。
 最高検は08年に取り調べ中の個人的メモについても、「証拠開示になる場合を想定」して「適正管理」を通知している。すでに自虐的にも09~10年の郵便不正事件の調書「改ざん」を見越していたかのような念の入った通知だった。

 (3)検察審査会は、08年にすでに最高検が取り調べの個人的メモの適正管理を通知していたこと等を根拠に、郵便不正事件の関係者の取り調べメモ破棄による証拠隠滅容疑などの告発を最高検が不起訴処分にした「判断」を「不当」(「公文書に当たるものがなかったとは言い切れずに、故意に破棄した可能性がなかったとはいえない」)と議決した。

 (4)裁判証拠となる調書が改ざんされたことによる異常事態での「個人的メモ」の存在が焦点となったものだが、個人的なメモは取り調べ事実の再確認には有効文書ではあっても、それ自体を公文書扱いまたは相当の効力文書とするのには文書体系上無理があるのではないのか。

 あくまで取り調べ過程の集約内容は「調書」に一本化して公式化して、調書のみが公式に事実を証明代表するとするのが責任文書体系の原則論だ。
 そうでなければ、あちらこちらから取り調べの異質文書が出てきたとしてそれに惑わされては事態を複雑化し、事実、真相究明の障害となるばかりだ。

 もちろん適正管理の通知に反して取り調べメモを破棄した行為は職務上の規律違反として、その故意性、事実隠しの「そしり」、疑惑は免(まぬか)れない、十分に不注意なものではある。

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TPPと国際化。 TPP and globalization

2011-10-29 19:53:20 | 日記
 (1)TPP交渉参加問題、生産力、開発力、栽培力、良質性で国際競争力、潜在能力がありながら、食糧自給率50%を目指す政府の過保護政策の中で、ひ弱体質の日本「農業」がTPP(Trans Pacific Partnership)参加すれば全滅するとか言って危機をさかんに煽(あお)っているが、「医療」も同じ理論でTPP参加反対の意向だ。

 TPP参加による農業危機説の中に、同不参加による被害を受ける「貿易自由化」に乗り遅れて他国間同士が関税撤廃による自由貿易が進むことは、そこから除外されて高い関税のままの輸出競争でも製造業を中心とした日本経済には大した問題ではなく、急伸する円高対策こそ当面の課題解決だとする主張がある。

 農業の努力、精進、変化はさて置いて、製造業を中心とした日本経済には技術開発力、販売力の向上に期待して「製品力」で高い関税を克服せよと言う、これはあまりにも一方的な説得力のない農業過保護防衛論、自己都合主義にすぎない。

 国際的な貿易自由化基調の流れ、協調ゾーンから除外されて孤立しては、日本経済の中心を構成する製造業の将来はまったくの不透明の中だ。円高是正ごときでは太刀打ちできない大勢を占める国際貿易システム(自由化)からの除外は、日本経済の生命線(life line)を絶つ孤立化を招く。

 農業も近代化にともない、若い従事者、、継承者、経営者も徐々に育ってきている。こういう人たちには、高い生産技術力、開発力、栽培力、良質性で技術開発の「ノウハウ(know how)」とともに海外に進出し、戦略展開する農業スタイルもすでに取り始めている。TPP参加に影響されない農業の国際化(globalization)の方向性だ。

 また農業分野への企業の進出も顕著になって、近代化は日本農業のスタイル、基盤、形態の革新性を随分と推進してきている。すでに農業には変化、改革が始まっているのだ。

 (2)医師の優遇税制(診療報酬)、人間の生命、健康を守るために競争力、収益性に影響されない安定労務基盤を保障するものだ。ところが、08年~09年調査では医療経費を大幅に上回る優遇税制措置で、差額控除額が1千万円を超える医師が20%もいて年収1億円を超える医師もいることが会計検査院の調査でわかった。
 円高の輸入効果と同じく、だまっていても労務対効果にかかわらず1千万円相当の差額収入が出る勘定だ。

 経済発展、近代化にともない医師も「仁術」から「算術」の経営時代にと意識変化して、不正、不適切な医療実態が顕在化してきた。
 優遇税制の趣旨、制度の理解、実行、有り様、仕組み、算定方式すべてに過保護政策の見直し、適正化が求められる。

 (3)農業、医療の政府の「過保護政策」の「見直し」改革が、TPP交渉参加とともに必要な「国際化」参加問題だ。

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超法規的措置の恒常化。 ordinary of over laws and regulation measure

2011-10-28 19:31:22 | 日記
 (1)「三すくみ」こう着状態の沖縄普天間問題で、知事権限(埋め立て認可)を首相が代行執行する「超法規的措置(over laws and regulations measure)」があるとすれば、とんでもない「三すくみ」最終破壊兵器で民主主義の原点、地方自治をも破壊すると本ブログで述べたが、そこまで行くのか、さんざん待たされてジレンマの米国の強行姿勢は来年6月をタイムリミットと明確にしている。

 そんなことを視野に入れているのか、官房長官は今日の会見で沖縄普天間問題で特別措置法の対応は考えていないことを強調してみせた。
 一方、首相補佐官はシンポジウムで「大規模災害など『非常事態』の際に」と断って、「超法規的措置を取る権限を政府に与える」ために憲法を改正して「国家緊急権」の規定を検討すべきだと表明した。

 政策理念を推進する戦略、プロセス、努力、説明が不十分で自虐的にマニフェストの自己否定までしてみせる政府の「落ち度」、行き詰まりを打開する「自分だけが正義」の強権政治で、民主主義の大原則に羽向かう極めて危険な政治思想理念だ。

 (2)法規範と言うのは、必ず都合のいい「解釈論」が適用を拡大させ、本来の主旨を形がい化してきたのが政治史、歴史だ。「不戦」の憲法9条は、実態軍隊機能の自衛隊の存在を認めて海外派遣にまで拡大解釈し、唯一被爆国でありながら政府は技術開発能力の維持とか言って米国覇権主義(米国の要請)に組み込まれた兵器の輸出促進を唱えて、「核兵器のない世界」理念実現に反する世界戦略戦争に加担する理論構築の現実だ。

 超法規的措置の恒常化の「国家緊急権」構想も、「大規模災害『など』」と言いながら「『非常事態』の際に」といくらでも拡大解釈が可能な強権独断理論(発言内容から)で、「『超』法規的措置」を法規法律論の中に規定して、取り込んで正当化、恒常化(ordinary)するという「自己矛盾」のあってはならない「自分だけが正義」の独断政治を目指す危険な政治姿勢を示すもので許すことが出来ないものだ。

 (3)①震災・原発復興、②沖縄普天間、③TPP交渉参加、④消費税増税、⑤税と社会保障、⑥年金改革、⑦1票の格差問題と、昨今の政府はどれひとつと言ってもいいほど重要政策、課題は進展どころか道筋もつけられずに完全に閉そく状態だ。

 政府自らの打開プロセスへの戦略不足、能力、努力、説明を顧みない超ー常識性・正攻性が顕著の安易な独断志向の政治様相だ。
 政治戦略、国会運営に基づいて、政策の理念、理論を丁寧に解説、説明し、実施計画(action program)を示してオープンな政治姿勢で課題、目標を国民と共有することが大原則だ。

 政府内、政党内だけでなにかしらゴチャゴチャやってはいるけれど中身は伝わってこない有意義な「情報」不可の現実政治だ。

 (4)世界情勢は欧米の財政、金融不安、急伸する円高危機、アラブの春で緊迫、変化を増している中、日本の政治はやっている中身がよく見えない。これでいいのかと言う不安、不満は国民の中にもあるはずだ。
 第3次民主党政権は、右から左まで党内融和、当たり障(さわ)りなく突出しない地味な路線でスタートしたが情報発信に乏しく、多くの政治課題解決は緊急を要している。

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サイクリゼーションの危険を考える。thinking about dangerous cyclization

2011-10-27 19:33:38 | 日記
 (1)自転車はモノによっては折りたたんで車内、家の中に納めることもできれば、特殊な電動式以外は人的動作、動力(人力)だけで簡単に始動するので「人」と共通、よっぽどの関係者でもない限りまさか道路交通法の「軽車両」だと認識している人はいないのではないのか。

 人の足(人力)と「一体」となった「機能車輪」という認識だ。手押し車、ローラースケートがどういう範疇にはいるのかなどとむづかしいことを考えても、都市構造、道路事情が意味もなく複雑化するだけなので、まずは「安全走行」というのが基本理念だ。

 (2)日本の道路交通法では「人」は右側通行なら、人以外の「移動物体」は左側通行が原則理念で「安全走行」のすみ分けをしてきた。道路にレーンのない時代は、この原則理念が当然のように守られて、人以外の移動物体は必ずといっていいように人の前方部から向かってくる視界のいい「対面走行」交通システムであった。

 ところが、自動車社会(motorization)を迎えて車道と歩道が明確に区分けされてからは、動力が人力だけの自転車等の移動物体は「人」と共通、歩道を共有することが機能上も自然で同類意識が高く安全でもあることから、歩道を歩く人の「前後」から無原則にスピード自転車が差し迫ってくることになった。

 (3)初期の頃の重いがっちりした幅のある自転車であれば、人との交差でも事前の音で判断がつくとか自転車側にもガタイから多少の人への遠慮、配慮は見られて、ともかく共存してきた。
 ところがスポーツサイクリング時代(cyclization)を迎えて、自転車もスマートに軽く、軽快にスピードを求めてついにはブレーキのない競輪仕様の自転車(公道は走行禁止)まで歩道上を走るに至って、人との接触、死亡事故まで引き起こす日常となったのが不幸の歴史だ。

 かと言って自動車側から見れば交通環境の悪い中(渋滞・せまい車道)、自転車がルールどおりすべて車道を走るとなると、これほど危険なものはない。一定走行力もない(フラフラ・ユラユラ走行)、安定力の欠ける自転車の車道通行は、交通安全環境に逆行するものだ。

 仮に道路交通法で定めた自転車が「軽車両」との時代「当時」とは、車道環境に大きな「格差」が今はある。

 (4)歴史的背景、経過を見れば、歩道、自転車、車道レーンの設置が道路安全環境には求められるが、そんな余裕は道路エリアにはなく十分には確保できない現実もある。
 せめて自転車の歩道走行もやむを得ないとするなら、①「左側通行」(つまり人との対面走行)の厳守、②歩道、車道走行の年令指定制限(動作能力の高い若者は車道優先)、③自転車販売ネット、社会のパラダイム(paradigm)を通じた交通ルール、方式、安全意識の周知(propaganda)は考えるべきだろう。

 (5)警察は社会問題化した自転車走行の危険(dangerous cyclization)について違反摘発(罰金適用)に乗り出した。免許制で交通法規学習の自動車走行と違って、自由自在に運用してきた自転車走行違反をいきなり摘発するやり方は、いきなりでは極めて対象が限定された摘発で違反対効果に追いつけずに、今は公平性、公正性を著しく欠くものだ。

 自転車安全走行環境のための合理的なルール、方式を周知確立することがプライオウリティ(priority)だ。

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