いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

原発2極論。 two poles opinion of atomic power plant

2011-07-17 19:35:37 | 日記
 (1)「安全」か「効率(経済)」かと言われれば、安全がプライオウリティ(priority)なのは言うまでもない。「安全」のパラダイム(paradigm)が多様なグレードを持つレベルの論議では、「どこまで」の「安全」がパラダイムとして求められれば十分安全と言えるのか、保障できるのかという論議で、「絶対安全」と「相対安全」の比較論がある。

 福島原発事故の安全収束まで数十年規模のスパンを想定する原発収束工程表が示すとおり、未来への破滅的影響力により「絶対安全」をいつも遅きに失して後出しで主張する首相と、1000年に一度の安全確率論から「相対安全」を主張する経産省、経済界の原発2極論(two poles opinion of atomic power plant)だ。

 プライオウリティの「絶対安全」も、近代化したすぐには後戻りもできない経済活動のもとでは早急な代替エネルギー対策もなくて電力供給不足は深刻で、日本企業の海外拠点化を促進して国内の雇用不安、経済力停滞を招き、財源不足の国家財政にも直接悪影響を及ぼすことは確実だ。

 (2)海外の先進国は、原発事故を繰り返しながらも近代化推進の原発依存体制を維持して、これからも堅持するスタンスだ。
 ここでさらに日本の特殊な歴史的考察事情がある。日本は唯一の被爆国で、65年経過しても現在もその禍根に消えることのない苦しみに苛(さいな)まれている歴史的悲劇の国民がいることだ。

 それを前提としても、すでにこの狭い国土に安全装置の確信もない54基の原発嫁動を推進してきた政府、国民の責任は大きいが、それを批判しても現状、未来はひらけない。

 (3)「絶対安全」から脱原発を目指す首相は、再生可能エネルギーへの転換、展開するが相変わらずの「個人の考え」にとどまる構想力、指導力不足で、国民生活の基盤となる日本経済を未来にわたって支える可能性、モチーブパワー(motive power)は必ずしもひらけないでいる。

 今となっては、政治、政府の先見性、構想力、比較力、検証力、識見力、洞察力と大切なことが思い知らされるばかりだが、一度、「間違っても安全(fail safe)」の原発安全論がどこまで理論的にではなくて実証的に可能なのか、専門的考察を聞きたいものだ。

 (4)その可能性論の中で、それがどうであれ、少なくとも狭い国土の中の現在54基もの原発を段階的に縮小して、より安全エネルギーへ転換していくことは歴史的悲劇を経験した国民の命題でもある。

 後戻りできない近代化の問題と、震災復興、原発2極論、電力供給問題という「難解」なトライアングル・ソリューション(triangle solution)の中で、このエネルギー問題が政治に弄(もてあそ)ばれて「国民的な論議」になっていないのは残念だ。

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