塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ライカールト、その柔和な性格が時に

2012-11-16 23:09:05 | 日記
 僕は性格上の事もありますが、周囲に対して激高したり、怒鳴り散らすことはまずありません。

 それは僕が役職に就いていないため、仕事を与えるのではなく、与えられる点も影響していますが何より
周囲が

 「塚田さんにこれを聞いたら笑われないだろうか?」
 「仕事頼みたいが、何だか険悪な雰囲気だな。」

 と思われてはどうしようもないからです。

 上司が話しにくいと考えている方は、きっとその人物に畏敬の念ではなく単に怒られることを頭に描いて
しまうのでしょう。

 ただ、仕事でもサッカーでも、上司が温厚で話しかけやすいことはもろ刃の剣でもあります。

 フランク・ライカールトは類まれな言語能力と落ち着いた人柄が評判で、2006年にはバルセロナを率
いて来日していますね。

 結果インテルナシオナルに敗れはしましたが、バルセロナの描くサッカーに集まった観衆は大きな感銘を
受けていました。

 ただ、2008年になると様相は一変します。

 アーセナルからアンリを加えて、マスメディアがただ新聞の売り上げを伸ばすために名づけた

 「ファンタスティック・フォー」

 は呆気なく瓦解します。

 1・ロナウジーニョとデコの不摂生
 2・ロナウジーニョとエトーの不仲
 3・アンリがバルセロナの環境に当初戸惑ったこと

 これらの問題が噴出した際に言われ続けたのが、ライカールトの管理能力でした。

 「ライカールトは選手の顔色を気にし、自主性の名を隠れ蓑にしている。」

 という批判が相次ぎ、この年はリーグ優勝をレアルに譲る形になりました。

 温厚と親しみやすさは確かに厳しさとは相反する事柄ですが、その挙動が常に反故の形になるのはやはり
成績不振が目立ってからになります。
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ファルカオ。その存在感の大きさ

2012-11-16 01:59:43 | 日記
 昨日発売のワールド・サッカーダイジェストの表紙を飾ったのは、コロンビア代表FWのファルカオでし
た。

 ファルカオが表紙を飾ったのは、目玉特集が2013年冬の移籍市場ということで、アトレティコに残留
か移籍かで揺れる彼が表紙に起用されました。

 (僕は店頭で見ただけで、読んではいないのですが。)

 ただ今夏フッキがポルト残留と思わせながら、突然ゼニトに移籍したように、今欧州リーグではウクライナ
やロシアの金満クラブも積極的に市場へ資金投入しています。

 例えばディナモ・キエフがエース、シェフチェンコの引退の伴い

 ニコ・クラニツァール(クロアチア代表)
 ミゲル・ヴェローゾ(ポルトガル代表)

 を獲得したことは記憶に新しいですね。

 ですからファンも時には選手本人ですら仰天するような移籍は、今冬にも行われるかもしれません。

 本人も含めてフッキはプレミア、具体名としてチェルシーの名前が挙がっていましたから。

 現在コロンビアはアルゼンチンからぺケルマンを代表監督に招き、南米予選を戦っています。

 ブラジルが開催国枠で予選を戦う必要が無い分、他国にとっては大きなアドバンテージと言えますが、ペケ
ルマンは基本布陣をアルゼンチン時代同様

 「4-3-1-2」

 に置いています。

 ファルカオは当然2トップの一角で起用されていますが、彼の存在はぺケルマンにとっても大きいでしょうね。

 ポルト、そしてアトレティコでファンの心を鷲掴みしてきたファルカオですが、本人はいよいよ移籍の時が
来たと感じているかもしれません。
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声を掛け合う事の利点

2012-11-16 00:20:41 | 日記
 「ユース教授」

 に異名を持ち、日本の育成時代に長けているんが安藤隆人さんです。

 先日8強でイラクに敗れ、3大会連続でU-20ワールドカップを逃した日本ですが、実際現場で取材をし
ていた安藤氏によると、彼らには

 「声」

 が決定的に足りていなかったようです。

 声の掛けあうことはサッカーでは危険認知度を周囲に伝える大切な要素ですし、お互いの意思統一を確認す
るためにも不可欠な行為です。

 これはサッカー以外、つまり日本の実社会でも同様の問題を引き起こしています。

 多くの方が連絡ツールをメールに頼り、声を掛け合うことは二の次になっているようです。

 僕の会社でも責任者同士、同じ空間でほんのわずかしか距離が離れていないのに、メールで情報のやりとり
を行っているようで、キーボードをたたく前に声をかけたら良さそうに思えるのですが。

 僕のところにも何の脈絡もなく資料が届いていることがあり、突然

 「あの資料読んだ?」

 と言われて驚くことがあります。

 つまり、
は無く
 「資料を入れておきました、だから目を通してくださいね。」

 と言伝をしなかったことに不備はなく、あくまで僕が資料が手許に届いている事を確認していないことに責任
が転化している形なのです。

 ですので僕はできるだけ

 「先日の資料読んで頂けましたか?」
 「引出の中に用紙が入っています。」

 一言添えるように心がけています。

 今な話の内容を言語ではなく、文章で行う、つまり文面を推敲することで余計は軋轢を避けるようになって
います。

 サッカーに限らず若い世代は、その傾向が顕著なのでしょうか?

 「メールを送信した」「読んでいない」

 で争うくらいなら、ひとこと添えるだけで無意味な本当の意味での軋轢が回避できると思うのですが。
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