塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

日本代表、オマーン代表と対戦へ

2012-11-05 23:34:41 | 日記
 14日に行われるオマーン戦で宇佐美が代表復帰を果たします。

 これは宮市と原口の招集を見送った形での結果ですが、宇佐美に求められるのはオマーン代表の最終
ラインの背後に飛び出す動きでしょう。

 オマーンはホームでの絶対的自信を備えていますが、そのひとつに当然GKアル・ハブシの存在があ
ります。

 ですから宇佐美が最終ラインとアル・ハブシとの間のギャップ、言い換えれば駆け引きで優勢に立て
ば、日本代表に得点の気配が生まれます。

 ピッチの状態がどのような塩梅なのか、正直わかりかねますが、やはりピッチの幅を最大限に活かし
てオマーンを揺さぶる必要があるでしょう。

 アントラーズがナビスコカップを制覇した一因に

 「小笠原の巧みなサイドチェンジ」

 があったと思いますし、このボールの扱いには相手をいなす効果もあります。

 同じサイドで展開していれば、オマーンは日本の攻撃を容易につぶせますし、ピッチを幅広く使うこと
で彼らはより多くの運動量が必要となります。

 ユヴェントス戦では長友が、まるでフランス戦のような鮮やかなフリー・ランニングを見せ、多くの
インテリスタを喜ばせました。

 フリー・ランニングも質も当然問われますし、最後まで集中力を切らさない準備が必要です。

 中東の地では

 「レーザービーム」
 「悪質な芝」

 が日常ですが、言い換えればこれらの外的要因に頼らない限り、日本に対して分が悪いと考えている
証拠です。

 是非鮮やかに勝利して、それらの行為が無粋であることを示して欲しいと思います。

 
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監督にとって戦術の幅は不可欠か

2012-11-05 23:22:59 | 日記
 監督にとって戦術は指導の中でどのくらいのウエイトを占める物なのでしょうか?

 ヒディンクのように戦況を見つめながら、随時布陣を変える監督は傍から見ていても凄いですし、一度
彼が日本代表を指揮する姿を見てみたいと思います。

 それは

 「現在のサッカーにおいて、交代は負傷した選手の穴を埋めるものではない。
  選手11人を最適な戦術で戦わせる要素なのだ。」

 という概念を、僕たちに示してくれるはずだからです。

 その一方でヒディンクの要求を選手がこなすには、思考の柔軟性とプレイの幅が問われるのですが。

 逆に戦術をただひとつしか持たない指揮官も存在します。

 例えばマルセロ・ビエルサがそうでしょう。

 アテネ五輪で金メダルに輝いたアルゼンチン代表は、その2年前日本で頓挫した3-4-3が見事なまで
に機能し、全勝で優勝を飾りました。

 ビエルサといえば3-4-3という連想は、今も昔も簡単になりたちますが、昨年就任したビルバオでは
4バックも導入し、懐の深さを見せています。

 一方で

 「古臭い戦術」
 「彼は既に時代遅れ」

 と揶揄されながらも、一貫して4-3-3を踏襲してきたのがズネスク・ゼーマンです。

 オズバルトにトッティ、ラメロにデストロと攻撃陣に豊富な駒を揃えるローマにとって、ゼーマンは最適
の人物を言われています。

 ただ、攻撃は見ごたえがあるがタイトルとは無縁というのが、彼に必ず付いて回る枕詞ですが。

 彼が90年代初頭、フォッジャでその鮮やかな攻撃サッカーを展開していたとき、イタリアは当然サッキ
の支配下に置かれていました。

 つまり時は4-4-2の全盛期でした。

 その後ユヴェントスをドーピングで告発するなど、周囲と迎合することを嫌ったこのチェコ人は、その姿勢
を今でも守っていると言えます。
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ブランド契約の表と裏

2012-11-05 01:02:52 | 日記
 ルート・グリットは1987年のバロンドールを受賞した類まれな選手でしたが、その一歩で師事する
監督との軋轢も度々生じました。

 彼はポジションを固定されるのが嫌で、その為に1994年のワールドカップも辞退し、大きな話題を
呼びました。

 そんなグリットはロットの契約選手でしたが、

 「専属契約」

 には不自由を感じなかったのでしょうか?

 今も同じだと思いますが、ブランドと契約が切れた選手は新しい契約先が見つかるまで、そのスパイク
のラインをマジックで消して使っていました。

 しかし近年は合皮の鮮やかな色彩の物が多い為、ブランド・ロゴを消す作業は大変でしょうが。

 ブランド契約というのは

 1・ブランドからの契約金と自分の脚に適した靴の提供
 2・ウエアを含むアパレルの提供

 という側面がありますが、当然他の靴がどんなに良い品と言われても着用できませんし、休日をCM撮影
やイベントでつぶれてしまう可能性もあります。

 グリットのように

 「自由でいたい」

 と主張した選手が、靴に関してはそうでなかったとすれば、なんだか可笑しい気がします。

 ギルバート・アリーナスというプロバスケット選手は、かつてアディダスと親密な関係にあり、彼専用の
靴が提供されたくらいでした。

 しかし、彼が銃を不法所持して以降その間柄は解消され、両者は決別します。

 アリーナスがその後どうしたかと言えば、自分の履きたい靴をスポーツ店で購入し、

 「日替わり」

 で全く違う靴を履き、コートに立ったのです。

 彼の言動はバスケット・シューズの熱烈ファンから大きな注目を浴びたようで、日本の専門誌「HOOP」
も記事にしたくらいです。

 サッカー選手も心のどこかで

 「あのスパイクを履いてみたい」

 そう思いながら提供品を試着している可能性はありますね。

 
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自分のマイナス点をさらけ出す潔さ

2012-11-05 00:50:20 | 日記
 書店を覗くと、スポーツ、経営のベストセラーの多くは

 「私が体験した成功例」

 と言う形で、著者がどのように現在の礎を築き、成功を手にしたかが綴られている物が圧倒的です。

 グアルディオラの作品がスティーブ・ジョブスの本と並列で並べられているのは、共に圧倒的な成功
体験を得たからであり、本屋もその方が売り上げが期待出来るためです。

 出版社も当然プロモーションがしやすいですし、バルセロナには今でも多くの指導者が練習見学に精
を出していると聞きました。

 でも、僕はプロは

 「自身の失敗談」

 を話した方が、むしろ有意義だと思うのです。

 先ほど「尾木ママ」の愛称で知られている尾木直樹氏が、ロンドンブーツの田村亮氏との対談映像の
中で、

 「私は長女と次女の教育に失敗した。」
 「私の何気ない一言で、長女は第一希望の美術大学の受験を止めてしまった。」

 と素直に自分の発言の過ちを認め、そこから浮かび上がった問題点を言及していたのです。

 「これこそ本当のプロの姿だ!」

 と、僕は大きな感銘を受けたのです。

 長友祐都がポプラ社から刊行した「日本男児」があれだけ支持されたのも、彼が素直に自分のマイナス
を吐露したからではないでしょうか?

 「母子家庭」
 「勉強を怠け、サッカーにも力が入らない」
 「応援団員としては有名だが、とてもプロになれる気配は無かった。」

 こうしたマイナスの気持ちをつづり、その状況をいかに周囲との連係で克服したのか。
 
 彼がこの点を見失っていなかったからこそ、日本代表の一員としてゆるぎない地位を築いたのだと思い
ます。
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