塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

声を掛け合う事の利点

2012-11-16 00:20:41 | 日記
 「ユース教授」

 に異名を持ち、日本の育成時代に長けているんが安藤隆人さんです。

 先日8強でイラクに敗れ、3大会連続でU-20ワールドカップを逃した日本ですが、実際現場で取材をし
ていた安藤氏によると、彼らには

 「声」

 が決定的に足りていなかったようです。

 声の掛けあうことはサッカーでは危険認知度を周囲に伝える大切な要素ですし、お互いの意思統一を確認す
るためにも不可欠な行為です。

 これはサッカー以外、つまり日本の実社会でも同様の問題を引き起こしています。

 多くの方が連絡ツールをメールに頼り、声を掛け合うことは二の次になっているようです。

 僕の会社でも責任者同士、同じ空間でほんのわずかしか距離が離れていないのに、メールで情報のやりとり
を行っているようで、キーボードをたたく前に声をかけたら良さそうに思えるのですが。

 僕のところにも何の脈絡もなく資料が届いていることがあり、突然

 「あの資料読んだ?」

 と言われて驚くことがあります。

 つまり、
は無く
 「資料を入れておきました、だから目を通してくださいね。」

 と言伝をしなかったことに不備はなく、あくまで僕が資料が手許に届いている事を確認していないことに責任
が転化している形なのです。

 ですので僕はできるだけ

 「先日の資料読んで頂けましたか?」
 「引出の中に用紙が入っています。」

 一言添えるように心がけています。

 今な話の内容を言語ではなく、文章で行う、つまり文面を推敲することで余計は軋轢を避けるようになって
います。

 サッカーに限らず若い世代は、その傾向が顕著なのでしょうか?

 「メールを送信した」「読んでいない」

 で争うくらいなら、ひとこと添えるだけで無意味な本当の意味での軋轢が回避できると思うのですが。
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