行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

長生きでも不幸な人

2013年09月10日 | 禅の心
人もし生くること百年ならんとも
無上の法を見ることなくば
無上の法を見る人の
一日生くるにも及ばざるなり


どんなに長生きをしても
正しい教えを学ばなかったら
その人の幸せは、正しい教えを学んだ
短命の人にとても及ばないのだ。


正しい教えの一つは、「良いことをしなさい、悪いことはするな」という過去七仏の教えです。
悪いことばかりして長生きしていても決して幸せではない。良いことををして生きることが幸せなのだということです。

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今日という日を大切に

2013年09月06日 | 禅の心
白隠禅師の師である正受老人(道鏡慧端)の「一日暮らし」という文章です。

古人之日、我俗二謂ルー日暮シト云ヲ覚悟セシヨリ、精神甚ダ健ニシテ養ヒニ術ヲ得タ
 リ、如何トナレバ、一日ハー月ノ始メ、一年之始ハ千歳万歳ノ始ナレバ、一日暮ス程之勤ヲナセバ其ノ日過タリ、夫レ明日ドウシテト又相ヒ手モナキコトヲ苦ニシテ、然モ明日二呑マレ、其日ハ怠り勝ニナリ、終二又明日二至レバ又明日ノエ夫スレバ、全体持越テ、今日ヲ無キモノニ思フ故ニ、イツモ心気ヲ遠二費シ精神ヲ労ス、兎角明日ノ事ハ命之程モ覚束ナシ、カク云バ迚、今日ノ産業ヲ鹿末ニセヨト云ニハ非ズ、今日一日暮ス中ノ勤ヲ励ミ行フベシ、タトヘ如何ナル苦ミトテモー日ト思バ堪ルベシ、楽シミトテモ只一日ト思バ流ル、事有マジト也、予、此ヲ聞テ甚感ジヌ、実ナル哉、愚ナル老親二不孝ナルモ永シト思フ故也、君二忠ヲ成スモ是二同ジ、一日々々ト思バ退屈有マジ、日日新而又日日二新ナリト云ルガ如シ、心術ノ上モー日一日ト修行而今日モ目出度修行セリ、又今日モ目出度修行セリト云コソヨケレ、日課ナドモ今日一日ト勤レバ千年万年勤ルモ易キ事ナリ、何事モー生セネバナラヌ事ト恩故二大義也、一生ト云ハ決テ永キ様二思ナレド、後ノ事ヤラ明日ノ事ヤラー年二年乃至百年ノ事ヤラ誰モ知ル人有ベカラズ、死スルヲ限リト思バー生ニダマサレ易シ


 
「昔、こんなことをいった人がおったんじゃと(この場合、正受老人本人のことです)。自分の人生は今日一日のものじゃと覚悟して生きていけば、精神的にも安定していて、病気にもならない。
 なぜかといえば、一か月という月日はまず一日から始まり、千年万年という歳月もまた、一年という年から始まるものであり、大切なのは一日を一生懸命生きていくということなんじゃ。
 明日のことを思い悩んだところで、その明日という日がどうなるのかはだれもわかりやあせん。明日のことばかり心配していると、今日という日を生きることがおろそかになってしまうね。明日になったときに明日のことを考えれば、そのまま幾十年を生きていけるのじゃ。今日のことを忘れ、明日のことばかり考えるから不安や心配が多くなってしまうんじゃ。よう考えてみれば、明日の生命が保証されているわけではなんじゃ。
 明日のことがわからないからといって、今日一日をいいかげんに生きていけ、というわけではなく、今日一日を誠実に生きていくことが大事じゃよ。たとえ苦しいことがあっても、今日一日だけ、と思えば耐えることもできるし、また楽しいことがあっても、一日を区切りと考えれば、その楽しさにおぼれてしまうこともないんじゃ。
 この、昔の人の言葉を聞いたとき、私は、なるほどと感心した。怠けたり親不孝をしている人は、今日より明日のことを気にかけすぎているから、そうなるんじゃ。忠を尽す心がまえにおいても同じことがいえるんじゃ。
 今日一日を頑張ろうと思えば、退屈することもなかろう。一日一日を新しい気持ちで迎えれば、一日が新鮮になってくるんよ。精神修行をするときも、一日を単位に、今日はよくやったなと思うことじゃ。日常のことを行うにしても、一日をしっかりやり遂げればいいと思えば、千年万年もやりつづけることができるんじゃ。何事も一生つづけねばと思うから、大変なことと感じるのじゃ。
 一生というと長いように思われるんじゃが、長いか短いかだれにもわからない。明日のことすらだれもわからない。まして来年のことや百年後のことなど、どうなっているのかを知っている人などおりゃあせんのんじゃ。
 死ぬまでが一生でもないんじゃ。明日のことさえわからないのなら、今日そのものが一生なんじゃ。


 釈尊の『一夜賢者経』の心に通ずるものがあり、この「一日一生」つまり、今日という日を精一杯生きるというのは、禅の心の中核をなすものと言ってもいいでしょう。

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今を精一杯生きる

2013年09月03日 | 禅の心
過ぎ去れるを 追うことなかれ。
 いまだ来たらざるを 念(ねが)うことなかれ。
 過去、そはすでに 捨てられたり。
 未来、そはいまだ 到(いた)らざるなり。

 されば、ただ現在するところのものを、
 そのところにおいて よく観察すべし。
 揺らぐことなく、動ずることなく、
 そを見きわめ、そを実践すべし。

 ただ今日まさに作(な)すべきことを 熱心になせ。
 たれか明日 死のあることを知らんや。
 まことに、かの死の大軍と、
 遇(あ)わずというは、あることなし。

 よく、かくのごとく見きわめたるものは、
 心をこめ、昼夜おこたることなく 実践せん。
 かくのごときを、一夜賢者といい、
 また、心しずまれる者とはいうなり。


過去のことにこだわっても仕方がない。
まだ来ぬ未来のことを思っても仕方がない。
過去は捨てられたものだ。
未来はまだ来ていないないのだよ。

それならば、今するべきことを
よく考えてみなさい。
こころが揺らぐことなく、動ずることなく
今するべきことを見極めて、今なすべきことを実践してみなさい。

今日するべきことを熱心にやりなさい。
誰も明日死ぬかもしれないことを知っているだろう。
本当にあの死の世界の者たちの大軍に
遭わないということはないのだよ

よくこのように見極めた人は
心を込めて一日中、怠けずに自分のなすべきことを実践しよう。
このような人を一夜賢者といい、
いつも心穏やかに生きていけるのだ。

 

有名な『一夜賢者経』です。今するべきことを一生懸命しなさい。今という時を精一杯生きなさい。それが永遠を生きることであり、心穏やかに生きていけることにもなるのです。

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