行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

山田無文老師の言葉

2014年06月20日 | 禅の心
お互い生まれた時、オギャー、オギャーと力いっぱい泣く。そこに何の分別心があるだろうか。何もない赤子のようなきれいな心、そこが般若の智慧である。めいめい生まれた時から仏さまの尊い、すばらしい心を皆持っている。それを毎日忙しい忙しいといって、つまらぬことに頭を使いその心を持っていることに気がつかないでいるのだ。しかし、確実に持っている。その汚れた心、妄想執着の心を捨てて、きれいな心になれば、皆このまま仏さまである。一人一人が天にも地にもただ我一人尊いのである。

山本玄峰老師のいう性根玉とは、この赤子のようなきれいな心のことなのです。

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