行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

藤井日達師が平和を語る

2014年06月13日 | 禅の心
 聖徳太子の平和の憲法

 平和憲法を世界で始めて作りましたのは日本であります。
 聖徳太子が支那、今の中国から、法律制度を学ばれましたけれども、しかし聖徳太子は毅然として、憲法は僅か十七条の簡単なものでありましたけれども、「和を以て貴しと為す。」平和を第一条にうたい上げられております。世界のどこの国の憲法にもないことでありましょう。
 聖徳太子の作りました憲法の第一条は「平和というものを作らねばならない。争いということをしてはいけない」ということであります。
 けれどもそういう国家の大方針を作り上げるという上にはどのように導けばよいのかというので、第二条にこれをうけられまして「篤く三宝敬う」、三宝といえば当時はじめて日本に入った宗教でありますが、「仏法僧これなり」これを敬わねばいかない。
 この仏法僧を敬うことが平和をつくるという上に大切な教えであるから、およそ人類は万国どこへ行っても生きて行く者はこれに従って行くものであり、この教えは古今変らぬ教えだから、これを信じて行かねばならない。
 「篤く三宝を敬え、三宝とは仏法僧これなり」ここへ又私らは立ち帰らねばならない。
 日本の国柄はこれで治まって来ます。
 聖徳太子の作られた憲法は、今日まで武家がせいじをとってもほとんど、これを改める憲法は出来ておりません。何とか、かんとか政権を保つために、いろいろ形は変えますけれども、この聖徳太子の憲法を変えたり非難することは出来なかったのであります。

 平和の国民性が平和憲法を守る

 それは日本の国民がやはりこうした憲法を守り得るような、平和な民族であったからこそ、この憲法が出来て、これが守られたのであります。
 私らはここに立ち帰り、現在の憲法も現代的の守りましょうが、遠く聖徳太子の昔に帰り、
 平和よりほか国家の目的は無い、人類の目的は無い。
 争いをしないことより他平和を作る道は無い。
 争いの道具、平和の邪魔になるものは、こりは皆捨てねばならない。
 こういうことから私らの信念は、平和を保って行くところの憲法を守って行きます。
 これが宗教的信念になり、それで私らが、この娑婆世界をお浄土に変えて、死んでから三悪道に堕ちないように、永遠の生命の上に動かぬ信仰を持たねばならない。これより他に良い道はない。

 仏教の教えに従って

 人類の生きて行く道のみならず、一切の生きていく道は、平和に暮らすこと。これだけを仏法によって習い極めまして、仏教の教えによって習い極めて、現在の憲法を宗的な信念によって保たねばなりません。
南無妙法蓮華経と唱えてこの憲法を守ります。

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