行雲流水

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山本玄峰老師の言葉

2014年06月17日 | 禅の心
磨いたら磨いただけの光あり 性根玉でも何の玉でも

性根玉が磨かれると、どうなるかといえば、自然に物事の道理が解ってくる。『天下の理に従う者は天下を保ち、天下の理を恣(ほしいまま)にする者は天下を失う』ということがあるが、物事の道理が解ってくると、一切の物が語法神となって自分を守ってくれる。又何を行っても自然に成功し、成就するようになる。人生において一番大事なことは、この、なにゆえかは知らぬが、何事も自然に成就することである。そうなるには、性根玉を磨かねばならぬのじゃ。

性根玉とは、「仏心」と同じ意味だと私はとらえています。つまり、自分の中の本当の自分、自分を自分たらしめている真実の自己のことです。山本玄峰老師は、仏心が磨かれれば、物事の道理がわかると言われるのです。仏心は煩悩によって曇ってしまいますが、鏡を磨くようにそれを磨くのです。