行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

途中にあって家舎を離れず

2013年11月12日 | 禅の心
途中にあって家舎を離れず

「一人有り、劫を論じて途中に在って家舎を離れず。一人有り、家舎を離れて途中に在らず。那箇か人天の供養を受くべき。」(臨済録)


笑い話です。勉強をしない子供に親が話しています。

親「良い学校に入るために一生懸命勉強しなさい。」
子「良い学校に入ったらどうなるの?」
親「良い学校に入ったら良い会社に就職できるから。」
子「良い会社に入ったらどうなるの?」
親「良い会社に入ったらお金がたくさんもらえるから。」
子「お金がたくさんもらえたらどうなるの?」
親「楽に暮らせるから」
子「それなら今のままの僕でいいね」

  臨済禅師に言わせれば、この子供の言うことにも一理あるのです。(もちろん、怠けているのはよくありませんが。)何のために勉強するのか。将来のために勉強するのではなく、勉強すること自体が目的なのです。人間、明日があるかないかわかりません。まだ来ぬ未来を思うのでもなく、過ぎ去った過去にとらわれるのでもなく、今を精一杯生きるのが禅的生き方なのです。

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