行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

澤木興道老師がグループぼけについて改めて語る

2013年08月09日 | 禅の心
●「グループ呆け」というのがある。そして呆けたのを経験とこころえておる。ひとり透明になって呆けぬことが必要だ。坐禅はこのグループからご免こうむり「シュッケイ」(失敬、出繋、出家)して一人になることである。

●いま時分の奴のやることは、みな集団をつくって、アタマ数でゆこうとする。ところがどこの集団もグループ呆けばかり、金がほしいというのもグループ呆けなら、エラクなりたいというのもグループ呆け。いわんや党派をつくるなど、グループ呆けの代表である。そんなグループ呆けをやめて自分ぎりの自分になることが座禅である。


●グループができると、その中に麻痺状態が発生して、良い悪いがわからなくなってしまう。われわれが世の中を遠ざかっているのも逃避しているのではない。この麻痺状態をおこしたくないからである。昔から山野に才を求むというが、この山野とは無色透明な世界のことだ

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