野々池周辺散策

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”Mike Fisher”

2014-03-05 06:01:46 | 二輪事業
   「Racer X」
3月1日の「”Racer X” WHERE ARE THEY NOW: MIKE FISHER」の”Mike Fisher”、ごく親しい仕事仲間だったので懐かしい。
2011年10月、US Kawasaki ワークスMXチームのマネジャーだった Mike Fisherがカワサキを突然去った。その年、2011年、KawasakiとRyan Villopoto はUSスーパークロスレースとナショナル450クラスの両クラスチャンピオンを獲得するという輝かしい戦績を残したが、その時のチームマネジャーがMike Fisherだ。Mike FisherがUS Kawasakiの開発部門及びワークスチームに在籍したのは18年間に及んだが、輝かしい2011年両クラスチャンピオンを獲得後、カワサキを去った。それから2年、その後のMike Fisherの消息を知ることはなかったが、懐かしい顔が「Racer X」に再び登場した。

Mike FisherとはKXやKDX等DirtBikeの開発等で永年に渡り親しい仕事仲間だった。その後、US Kawasaki MXのワークスチームマネジャーに昇格し、その間、US Kawasakiを代表する顔であったのは事実で、いわゆる業界では”カワサキの人”として世間には良く知られている有名人だ。

そこで、「Racer X」の記事を辿りながら、Mike Fisherとの消えかかりつつある記憶の一部を思いだしてみたい。
「Racer X」記事によると、Mike Fisherの業界での最初の仕事は、1984 ~ 1985に掛けてUS Hondaでのモトクロス関係の仕事だったようだ。この頃のホンダはワークス、量産車ともトップランクを常に維持し華々しく活動していた時期だったと思うが、USのトップライダーをワークスライダーとして数人纏めて確保する策で常勝を続け、かつワークスマシンの基本となる量産車の評価も高かった。特にホンダの車体とサスペンション・セッティングの評価は特筆もので高く評価されており、各社のベンチマークとなっていた。DirtBikeの総合性能はサス性能を筆頭に車体性能の完成度つまり出来不出来に寄ることが大きく影響し、そのホンダマシンのセッティングはMike Fisherというテストライダーが担当していると何度も人づてに聞いたことがある。

ホンダに負けじと、ホンダを競争ターゲットの第一に置いた時期なので、Mike Fisherとはどんなライダーなんだろうと何時も気になっていた。
すると、1986年、Mike FisherがUSホンダからUSカワサキに移籍してきた時は本当にびっくりした。カワサキR&Dと契約後、ほぼ毎日KXやKDXのテストを繰り返す毎日だったと思う。この時期を境にKXのサスペンション性能は飛躍的に向上したのは疑いのない事実で、彼らは量産間際まで仕様を詰めていた。先行量産(量産移行前に、量産仕様と殆ど同じ仕様で数台生産し量産可否の決定を行う)ステージでは、現地のUS KYBとKMC R&Dメンバーは最終確認に夜遅くまで集中テストを繰り返していた。当時は、KYBとの技術的連携において相互に強い信頼関係にあったので、US現地の最終仕様の詰めと確認を信頼して任せていた。結果的に量産時期を遅らすこともなく、かつ当時の殆どの雑誌社がKXを常にトップレベルに評価していた。このようにKXが高く評価された要因は、US現地(KMC 、USKYB)が執念を持って最終確認テストでを繰り返した功績だと思っている。「Racer X」記事でMike 本人が語っているように、Fisher達が努力した結果は雑誌社を含め市場から正しく評価されたと言うのは客観的に見てその通り。

だが、残念ながら1991年、KTMにワークスライダーとして移籍することになる。KTMに移籍した時は流石に驚いたが、ある時、レーストラックで、 Fisherが当方に歩み寄ってきた。久し振りに握手を交したが、相変らず手が折れる程に強い力で握手してきた。暫く話しこんだが、カワサキからKTMへ移籍した理由は何も聞かなかったけど、KTMのワークスライダーには満足しているように見えた。しかし、そのKTMもオーストリアの本社が倒産。

1993年、再度カワサキに戻ることになる。そこから、Mike Fisherはレース活動に一旦縁を切り、R&DでKXテストに加えdirt bike、Jet Ski、Mule等、カワサキがUS市場に販売する全製品の開発テストにフルタイムで専任することになる。「Racer X」では、GormanでのMule(四輪多目的車)の当時のテスト内容の一部が書かれている。また、当時のMike Fisherの上司はMike Preston。この時期、R&Dでテストを担当したMike PrestonとMike Fisher、彼らの果たしたカワサキへの貢献度は計りしれない。信頼性も非常に高いもので全面的に信用していた。カワサキのdirt bikeが著しく性能向上し、US市場において確保たる地位を維持し続けたのは、US市場の末端を熟知したR&D関係者、特にMike PrestonとMike Fisherのの功績が大なるものがあったと、当時を改めて振り返っても確かにそうだったねと自信を持って言える。

2005年に日頃から思いであったレーシングに復帰する希望がかない、しかもチームマネージャーとしてUS KawasakiMXワークチームを纏める役目を担当する。この間、James Stewartと Ryan VillopotoというUSモトクロス界の2大スターを抱え、またMitch Payton/ Pro Circuitチームのライダー契約を担当しながら、多くのチャンピオンシップをUS Kawasakiにもたらし続けた。

ところが、2011年、18年在籍したUS Kawasakiを去ることになる。 「Racer X」もこの理由を最も知りたかったようだ。「Racer X」によると、当時のカワサキが考えるMXの方向性とMike Fisher本人が思い描くMXワークスチームの方向性とにズレがあったとだけ記述している。だが、その具体的な内容までに言及していない。2012年、カワサキを去り、自分の思い描くレースチームを結成しレース活動を続けたいと画策したが、資金的に難しかったようだ。現在、 Costco Powersports の営業担当マネージャーとして活動しているそうだが、「Racer X」記事を読むと仕事が楽しそうだ。

             
             「向かって右から Ryan Villopoto 、Kawasaki's racing boss, Bruce Stjernstrom、
              そして Monster Energy Kawasaki Team Manager, Mike Fisher:championship ring授与式」

永くカワサキのDirtBikeの開発を担当してきたが、DirtBikeの大市場であるUS市場での現地テストで最高レベルに仕上げることは成功の必須条件。その期間、開発テストでは前述のMike PrestonとMike Fisherの二人、MXワークスチームではRoy Turner、彼らが果たした役割は言葉に語り尽くせぬほど大きい。結果的にカワサキはUS市場で確保たる信頼を得るまでに至ったが、それは彼らが明石側と一緒に辛苦を共に苦労しながら成し得た成果だという事に疑う余地はない。はっきり言えることは、カワサキが一番輝いてきた時代の一つの時期を先頭に立って引っ張ってきた人達である。


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