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西明石駅から桜並木の「上ケ池公園」そして近くの「みどりの相談所」を通過し、綺麗に整備された「西明石緑道」を通りながら「明南高校」のグランドを右手にみて、これも素晴らしい桜のアーケード下を通って、「沢池小」「沢池幼稚園」を右手に見ながら徒歩約30分で野々池貯水池の下にくると、今の時期、綺麗に咲く二本のしだれ桜が迎えてくれる。このしだれ桜を見とれながら暫し休憩、野々池外周路を左にう回し歩くこと約10分弱ぐらいで「林崎掘割渠記碑」に到着する。西明石駅から約40分の距離だから、西明石に用事がある場合は、極力このルートを逆に歩くことになる。
この4月18日午前10時半ごろから、「掘割祭」が開催されていたので見学した。
例年は、近くの5本の大きな八重桜が満開になっているのだが、今年は、まだポツポツだった。祭では約300人が参列し、明石掘割土地改良区が祭主を務め、林神社の宮司が祭事を執り行った。当時の掘割の工事にかかわった村人の子孫ら関係者が順に玉ぐしをささげたあと、今年は明石市和坂小学校の児童の代表男女2名が祭文を読んだ。明石ケーブルテレビの撮影も行われていた。
少し飛躍した話ではあるが、最近、先達たちの苦労が歪曲されたり自虐的になった話を見聞きしている中で、小学生が毎年参列し祭文を読むことは、先達たちが苦労して成し遂げた歴史の正しい理解のために欠くことのできないものだろうと感心して祭りを見学した。
堀割疏水には毎年ホタルが飛んでいたが、昨年の疏水工事のあと見かけなくなった。今年は飛んでくれるだろうか。
阪神淡路大震災時、西区も断水となり非常に困ったが、近くの「鳥羽上水場」は上水を解放してくれたし、掘割疏水を流れる上澄み水を汲んではトイレの水に利用させてもらった。今年も、ウグイスが鳴いている。
石碑に刻まれた碑文内容は苔が生え解読できないが、説明文には下記が記載してある。
明石市指定文化財
「林崎掘割渠記碑」
一、明暦三年(1657)、旱魃で苦しんでいた林崎地方の村(和坂・鳥羽・林・東松
江・西松江・藤江)が 相談し明石川の上流から野々池まで掘割をつくり、灌漑
用の水を確保した。
一、天文四年(1739)十二月、この掘割工事の経緯を長く後世に伝えるため、
撰文を明石藩の儒学者梁田蛻巌に書を田原荷龍に依頼し碑を建立した。
一、毎年四月十八日、この碑の前で、「掘割祭」が行われ、地元の水利関係者、
小学生児童が参加し、先人たちの偉業をたたえている。
参加者は小学生も入れて約300名
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インタビュー
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石碑近傍の掘割疏水
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