「ホンダRC250MA」
「RACERS」が、第17号にて初めてモトクロッサーを取り上げてくれた。
その第一号はホンダRC250MAで、モトクロッサーには珍しい自動変速機を採用した画期的マシン。
この号の出版を楽しみにしていたので早速買いに走ったが、西明石と大久保の本屋では既に無く、明石の「ジュンク堂」まで用事を作って車で出かけた。
当ブログの「RACERS vol17に期待するもの」にはこう書いた。
『「RACERS」がモトクロスマシンを採り上げる。そんなに売れる事は無いだろうとのことだが、それでも販売にこじつけた、編集に関わる人達の心意気、モトクロス大好きの心意気に感謝。それはそうだろう・・・モトクロス程人間味溢れるマシンは無いし、海外の二輪文化をみても、これ程家族の絆を感じさせるスポーツはない。だから、アメリカではオフロードに関する雑誌の種類の多さにビックリする。「RACERS」はレースマシンを取り巻く人間模様を掘り下げて登載しているが、次回号はマシンの心臓部に纏わる人間模様が読めそうだ。モトクロッサーにバタリーニ機構を源とする油圧ミッションで構成された自動変速機。現役時、モトクロスレース等に関与した期間が長かったので、こんなメカニズムをみると、現役時の沸々とした時代を思い起こさせるから楽しい』
ひととおり、本をサーット目を通してみると、バタリーニ機構に対する本田宗一郎の思いから開発がはじまり、挫折を負いながらもその機構が最も有効に機能すると思われる、オフロードマシンに採用すべく、しかもオフロードマシンの頂点にあるモトクロスレースで勝つまでの軌跡が記述してある。ホンダが何故自動変速機に固守したかを簡単に理解できる内容の流れは、読んでいて面白く、成程そーだったのかと感じ入ることが多かっただけに、編集者の気持ちが手に取るように分かった。・・・まずは編集者達に感謝である。(編集者のメンバーを見ると、現役時に全日本モトクロス選手権でお世話になった方達ばかりなので、尚更親近感を持って読んだ)
本の流れに沿って、面白い記述や気に入った文脈を追ってみた。
オートマチックMX車は、本田宗一郎の生涯最後に描いた夢の実現だったとある。「’80年、ボーイスカウトのイベント当日、雨で抜かるんだ泥のコースで、滑るばかりで前に進まない初心者少年の様子をみた本田は「バタリーニでオフバイクを作ったらどうか」と問いかけたという。ホンダの二輪失敗作の一つである、スクータージュノアはバタリーニミッションを採用していたが、販売が思うに任せず自動変速機の成功を果たせなかった。本田宗一郎が自動変速機の可能性をオフ車に見つけたというくだりだ。その後のホンダ歴代社長もバタリーニ変速機の成功を気にかけ続け、都合5年の開発で自動変速機付きモトクロッサーが完成する。
初期テスト結果は上々で、テストライダーのラップタイムはマニュアル車に比べ数秒早かったという。
だが、全日本トップライダーの評価は散々で、テスト結果は”NO”。これでも諦めず、’89年に来日した当時世界最高のUSライダーの評価にかけると、結果はポジティブ評価で、これで実戦投入が決まった。そして登場したのが、’90全日本モトクロス選手権大会でのホンダRC250MA。RC250MAが登場すると、多くのファン、メディアを含めた観客から驚嘆の声で迎えられ、競合チームも興味深々に耳目を集めた。
「夢を成就させた”意地と信念”がある」
「圧倒的優位性を見せつけてRC250MAは参戦2シーズンでチャンピオンに輝いた。開発スタートから6年という。望まぬ時間はしかしHFTとマシンをより完璧に作りあげた」と記述されている。
ここからは、ホンダ自動変速機(HFT)の開発ストーリとそれに伴う苦労が記載されている。「予測と検証によって解明し、性能を確立していく事こそが絶対的テーマであり、遠大な課題だった。ましてや、開発途上にある技術でレースに参戦する行為は至高のチャレンジであると当時に、蛮行に終わる可能性もあった」「モトクロス開発現場には妙に”泥くさい”男が多い。その泥くささは実直で強いこだわりと言い換えてもいい。それが本田宗一郎の姿そのものである」「素人からみると、よく分からない”金属の塊”は、彼らの夢が詰まったブラックボックス。大事なことは”そこで彼らが何をしたのか”ということ」
ホンダHFT機構を延々と8ページに渡って詳細に説明されてはいるが、この綴りは素人には正直言って分かりづらいのではないだろうか。何度か読み続けると機構そのものは理解できるが、それでもなおHFTのモトクロッサーに採用することによる圧倒的優位性が良く分からない。機構詳細説明内容は絵と文章で構成されているので、機構そのものは何とはなく理解できるが、もう少し力学的な構成を、例えば伝達圧力や効率等を数式で説明してくれたら更に理解しやすかったのではと思った。これこそ、前回にも要望した「エンジンテクノロジー」的要素を加えて解説するほうが技術屋には分かり易いし質感があるように思える。
「マニュアル車との大きな違いは、約85%~90%というHFTの出力伝達効率の悪さ。
マニュアル車と同等の後輪出力を実現するためには2psの出力UPが必要で、また低中速も犠牲している」とあるが、HFTの伝達効率85%というのは、一般的な歯車機構に比べても相当に悪い。これでは、全開走行で行ける場面、例えばスタート時にはHFT効果を発揮すると推定されるも、モトクロスレースではどちらかと言えば全開で走行できる場面が少ない。この絶対的伝達効率の悪さを補うために、より優れたライダー技量を必要としたのではないだろうか。
RC250MAの伝達部分と出力特性:
「全日本のトップライダーはトップ出力不足とレスポンス性の悪さ、そしてエンジンのフィリクション感の悪さを指摘。これは、オートマチックの根本を否定するに等しい内容だった。勿論、レース参戦は中止である」、ところが「運命を変えたのは、アメリカンライダーの高い評価が実戦投入の決断を後押しした」とある。’90年レース参戦時、トップライダーはオートマチック車を選ばず、’91年オートミッション車に騎乗した宮内選手によって初優勝と全日本チャンピオンを獲得した。が、その後オートミッションは再度登場することはなく、20年以上の月日を超えて今回の誌上登場となった。
★RACERS vol17は、幾多の開発の課題を持ちながらもジクジクたる苦節6年を取り返して勝利を掴む物語。
レース界は単なる設計開発作業と異なり、色んな職種の人が社内人脈との絡みもあって複雑なので、泥臭い人間模様が一般的にはある。HFTというハードウエアを、本田宗一郎から綿々と続いた思いでレースに参戦させ、チャンピオンまで導いた流れを期待して読んだ。そこにある、蓄積したノウハウを社内に残し、歴史として後輩に伝えるという流れには共感できるものがあった。更に要望が許されるなら、開発に携わった技術者の思いや執念を、社内で孤立しながらも燃やし続けた葛藤の生の声を脚色なく質問形式でも良いから、誌上に書いて欲しかった。そこには開発陣の本当に泥臭い葛藤があると信じられるから。
★一方、HFTの実力、つまり幾多の問題点を多く抱えたままレース参戦し、HFTという技術向上のみを主としたホンダブランド車に、我々は恐怖にかられることもあった。この本を読みながら、過ってホンダファクトリーと全日本レースを戦いながら参戦してきた経験から振り返りみれば、こんな未完の技術を当時恐れていたのかと思うと情けない。ホンダは’80年から’91年の間’82年にヤマハ、’89年にカワサキにチャンピオンを獲られた以外、数度に渡ってチャンピオンブランドであった。しかし、その後のホンダは’91年に宮内選手がRC250MAでチャンピオンを獲得した以降は低迷し、カワサキとスズキが複数年にわたりチャンピオンを維持し続けてきた。
当時、カワサキで全日本モトクロス選手権に参戦した経験からいえば、ホンダのレース戦略は常に気になったのは事実である。
ホンダが新機構で戦う戦略に一喜一憂し、特に自動変速には恐怖を覚えた事を記憶している。なぜなら、モトクロスで第一コーナーまでを先頭で走るホールショットは、レース結果を左右する重要な要素であるが、そのホールショットを獲る確率の高い自動変速機は有利だ。何せ全開でマシンを進めることが可能となったのだから勝つ可能性が飛躍的に高まる。だけど、こうしてホンダの苦労話しを素直に読んでみると、孫子の兵法「謀攻篇 戦わずして勝つ」を結果的に実践していた事になる。「ホンダと言うブランド」を如何に恐れていたか、今さらながらに思いだす。
★また、HFTの写真や説明資料を読みながら、この機構は機構の複雑さやコストは避けられない課題のように思える。
翻ってみると、昨今の量産モトクロッサーの値段の高さが多くのオフロードユーザーを敬遠させているような気がしてならない。モトクロスマシンにアルミ車体が採用され、次は4ストエンジンで、更にはインジェクションだ。外部環境からそうせざるを得ないのかどうかは知らぬが、ユーザーが高いマシンを押しつけられている様な気がする。
USモトクロス選手権や世界モトクロス選手権における、KTM車の活躍や品揃え等を見ると、日本車に見られる先端技術と称する機構は必ずしもレースにおける勝利の道でもブランドへの信頼性でも無いのではないか思えてきた。最近発表された、「Beta Announces Two-Stroke Off-Roaders」は随所に日本車と異なる手法で勝つための技術が適用されているようで、欧州車に一様に見られる個性が散りばめられて参考になる。更に加えて言えば、全世界のオフロード市場で大活躍しているKTMの市場戦略や草の根戦略を見るに、つくづくそう思うようになった。
★以前書いたブログの繰り返しなるが、
『技術レベルの高さの優劣を、勝負として競争するのがレースであり、過去、日本企業はレースで勝つことで優秀性をアピールし企業自体が発展してきた歴史がある。二輪ユーザーが求めるものは多様化しつつあるが、最も技術力を誇示できる場がレースであることは現在も何等変わらない。更に加えるなら、書籍「失敗の本質」では、技術には兵器体系というハードウェアのみならず、組織が蓄積した知識・技能等のソフトウェアの体系の構築が必要と指摘している。組織の知識・技能は、軍事組織でいえば、組織が蓄積してきた戦闘に関するノウハウと言っても良い。組織としての行動は個人間の相互作用から生まれてくるとある。
この指摘から言えば、戦いのなかで蓄積された人的・物的な知識・技能の伝承が最も必要なレース運営組織は経験的に企業グループ内で実質運営されるべきであり、レース運営を外部団体に委託すること等は組織技術ソフトウェアの蓄積から言えば絶対に避けるべき事であろう』
ホンダのRC250MAを見て、改めてそう感じた。
「RACERS」が、第17号にて初めてモトクロッサーを取り上げてくれた。
その第一号はホンダRC250MAで、モトクロッサーには珍しい自動変速機を採用した画期的マシン。
この号の出版を楽しみにしていたので早速買いに走ったが、西明石と大久保の本屋では既に無く、明石の「ジュンク堂」まで用事を作って車で出かけた。
当ブログの「RACERS vol17に期待するもの」にはこう書いた。
『「RACERS」がモトクロスマシンを採り上げる。そんなに売れる事は無いだろうとのことだが、それでも販売にこじつけた、編集に関わる人達の心意気、モトクロス大好きの心意気に感謝。それはそうだろう・・・モトクロス程人間味溢れるマシンは無いし、海外の二輪文化をみても、これ程家族の絆を感じさせるスポーツはない。だから、アメリカではオフロードに関する雑誌の種類の多さにビックリする。「RACERS」はレースマシンを取り巻く人間模様を掘り下げて登載しているが、次回号はマシンの心臓部に纏わる人間模様が読めそうだ。モトクロッサーにバタリーニ機構を源とする油圧ミッションで構成された自動変速機。現役時、モトクロスレース等に関与した期間が長かったので、こんなメカニズムをみると、現役時の沸々とした時代を思い起こさせるから楽しい』
ひととおり、本をサーット目を通してみると、バタリーニ機構に対する本田宗一郎の思いから開発がはじまり、挫折を負いながらもその機構が最も有効に機能すると思われる、オフロードマシンに採用すべく、しかもオフロードマシンの頂点にあるモトクロスレースで勝つまでの軌跡が記述してある。ホンダが何故自動変速機に固守したかを簡単に理解できる内容の流れは、読んでいて面白く、成程そーだったのかと感じ入ることが多かっただけに、編集者の気持ちが手に取るように分かった。・・・まずは編集者達に感謝である。(編集者のメンバーを見ると、現役時に全日本モトクロス選手権でお世話になった方達ばかりなので、尚更親近感を持って読んだ)
本の流れに沿って、面白い記述や気に入った文脈を追ってみた。
オートマチックMX車は、本田宗一郎の生涯最後に描いた夢の実現だったとある。「’80年、ボーイスカウトのイベント当日、雨で抜かるんだ泥のコースで、滑るばかりで前に進まない初心者少年の様子をみた本田は「バタリーニでオフバイクを作ったらどうか」と問いかけたという。ホンダの二輪失敗作の一つである、スクータージュノアはバタリーニミッションを採用していたが、販売が思うに任せず自動変速機の成功を果たせなかった。本田宗一郎が自動変速機の可能性をオフ車に見つけたというくだりだ。その後のホンダ歴代社長もバタリーニ変速機の成功を気にかけ続け、都合5年の開発で自動変速機付きモトクロッサーが完成する。
初期テスト結果は上々で、テストライダーのラップタイムはマニュアル車に比べ数秒早かったという。
だが、全日本トップライダーの評価は散々で、テスト結果は”NO”。これでも諦めず、’89年に来日した当時世界最高のUSライダーの評価にかけると、結果はポジティブ評価で、これで実戦投入が決まった。そして登場したのが、’90全日本モトクロス選手権大会でのホンダRC250MA。RC250MAが登場すると、多くのファン、メディアを含めた観客から驚嘆の声で迎えられ、競合チームも興味深々に耳目を集めた。
「夢を成就させた”意地と信念”がある」
「圧倒的優位性を見せつけてRC250MAは参戦2シーズンでチャンピオンに輝いた。開発スタートから6年という。望まぬ時間はしかしHFTとマシンをより完璧に作りあげた」と記述されている。
ここからは、ホンダ自動変速機(HFT)の開発ストーリとそれに伴う苦労が記載されている。「予測と検証によって解明し、性能を確立していく事こそが絶対的テーマであり、遠大な課題だった。ましてや、開発途上にある技術でレースに参戦する行為は至高のチャレンジであると当時に、蛮行に終わる可能性もあった」「モトクロス開発現場には妙に”泥くさい”男が多い。その泥くささは実直で強いこだわりと言い換えてもいい。それが本田宗一郎の姿そのものである」「素人からみると、よく分からない”金属の塊”は、彼らの夢が詰まったブラックボックス。大事なことは”そこで彼らが何をしたのか”ということ」
ホンダHFT機構を延々と8ページに渡って詳細に説明されてはいるが、この綴りは素人には正直言って分かりづらいのではないだろうか。何度か読み続けると機構そのものは理解できるが、それでもなおHFTのモトクロッサーに採用することによる圧倒的優位性が良く分からない。機構詳細説明内容は絵と文章で構成されているので、機構そのものは何とはなく理解できるが、もう少し力学的な構成を、例えば伝達圧力や効率等を数式で説明してくれたら更に理解しやすかったのではと思った。これこそ、前回にも要望した「エンジンテクノロジー」的要素を加えて解説するほうが技術屋には分かり易いし質感があるように思える。
「マニュアル車との大きな違いは、約85%~90%というHFTの出力伝達効率の悪さ。
マニュアル車と同等の後輪出力を実現するためには2psの出力UPが必要で、また低中速も犠牲している」とあるが、HFTの伝達効率85%というのは、一般的な歯車機構に比べても相当に悪い。これでは、全開走行で行ける場面、例えばスタート時にはHFT効果を発揮すると推定されるも、モトクロスレースではどちらかと言えば全開で走行できる場面が少ない。この絶対的伝達効率の悪さを補うために、より優れたライダー技量を必要としたのではないだろうか。
RC250MAの伝達部分と出力特性:
「全日本のトップライダーはトップ出力不足とレスポンス性の悪さ、そしてエンジンのフィリクション感の悪さを指摘。これは、オートマチックの根本を否定するに等しい内容だった。勿論、レース参戦は中止である」、ところが「運命を変えたのは、アメリカンライダーの高い評価が実戦投入の決断を後押しした」とある。’90年レース参戦時、トップライダーはオートマチック車を選ばず、’91年オートミッション車に騎乗した宮内選手によって初優勝と全日本チャンピオンを獲得した。が、その後オートミッションは再度登場することはなく、20年以上の月日を超えて今回の誌上登場となった。
★RACERS vol17は、幾多の開発の課題を持ちながらもジクジクたる苦節6年を取り返して勝利を掴む物語。
レース界は単なる設計開発作業と異なり、色んな職種の人が社内人脈との絡みもあって複雑なので、泥臭い人間模様が一般的にはある。HFTというハードウエアを、本田宗一郎から綿々と続いた思いでレースに参戦させ、チャンピオンまで導いた流れを期待して読んだ。そこにある、蓄積したノウハウを社内に残し、歴史として後輩に伝えるという流れには共感できるものがあった。更に要望が許されるなら、開発に携わった技術者の思いや執念を、社内で孤立しながらも燃やし続けた葛藤の生の声を脚色なく質問形式でも良いから、誌上に書いて欲しかった。そこには開発陣の本当に泥臭い葛藤があると信じられるから。
★一方、HFTの実力、つまり幾多の問題点を多く抱えたままレース参戦し、HFTという技術向上のみを主としたホンダブランド車に、我々は恐怖にかられることもあった。この本を読みながら、過ってホンダファクトリーと全日本レースを戦いながら参戦してきた経験から振り返りみれば、こんな未完の技術を当時恐れていたのかと思うと情けない。ホンダは’80年から’91年の間’82年にヤマハ、’89年にカワサキにチャンピオンを獲られた以外、数度に渡ってチャンピオンブランドであった。しかし、その後のホンダは’91年に宮内選手がRC250MAでチャンピオンを獲得した以降は低迷し、カワサキとスズキが複数年にわたりチャンピオンを維持し続けてきた。
当時、カワサキで全日本モトクロス選手権に参戦した経験からいえば、ホンダのレース戦略は常に気になったのは事実である。
ホンダが新機構で戦う戦略に一喜一憂し、特に自動変速には恐怖を覚えた事を記憶している。なぜなら、モトクロスで第一コーナーまでを先頭で走るホールショットは、レース結果を左右する重要な要素であるが、そのホールショットを獲る確率の高い自動変速機は有利だ。何せ全開でマシンを進めることが可能となったのだから勝つ可能性が飛躍的に高まる。だけど、こうしてホンダの苦労話しを素直に読んでみると、孫子の兵法「謀攻篇 戦わずして勝つ」を結果的に実践していた事になる。「ホンダと言うブランド」を如何に恐れていたか、今さらながらに思いだす。
★また、HFTの写真や説明資料を読みながら、この機構は機構の複雑さやコストは避けられない課題のように思える。
翻ってみると、昨今の量産モトクロッサーの値段の高さが多くのオフロードユーザーを敬遠させているような気がしてならない。モトクロスマシンにアルミ車体が採用され、次は4ストエンジンで、更にはインジェクションだ。外部環境からそうせざるを得ないのかどうかは知らぬが、ユーザーが高いマシンを押しつけられている様な気がする。
USモトクロス選手権や世界モトクロス選手権における、KTM車の活躍や品揃え等を見ると、日本車に見られる先端技術と称する機構は必ずしもレースにおける勝利の道でもブランドへの信頼性でも無いのではないか思えてきた。最近発表された、「Beta Announces Two-Stroke Off-Roaders」は随所に日本車と異なる手法で勝つための技術が適用されているようで、欧州車に一様に見られる個性が散りばめられて参考になる。更に加えて言えば、全世界のオフロード市場で大活躍しているKTMの市場戦略や草の根戦略を見るに、つくづくそう思うようになった。
★以前書いたブログの繰り返しなるが、
『技術レベルの高さの優劣を、勝負として競争するのがレースであり、過去、日本企業はレースで勝つことで優秀性をアピールし企業自体が発展してきた歴史がある。二輪ユーザーが求めるものは多様化しつつあるが、最も技術力を誇示できる場がレースであることは現在も何等変わらない。更に加えるなら、書籍「失敗の本質」では、技術には兵器体系というハードウェアのみならず、組織が蓄積した知識・技能等のソフトウェアの体系の構築が必要と指摘している。組織の知識・技能は、軍事組織でいえば、組織が蓄積してきた戦闘に関するノウハウと言っても良い。組織としての行動は個人間の相互作用から生まれてくるとある。
この指摘から言えば、戦いのなかで蓄積された人的・物的な知識・技能の伝承が最も必要なレース運営組織は経験的に企業グループ内で実質運営されるべきであり、レース運営を外部団体に委託すること等は組織技術ソフトウェアの蓄積から言えば絶対に避けるべき事であろう』
ホンダのRC250MAを見て、改めてそう感じた。