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野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

「KX50周年」の歴史の一コマ・・・Kawasaki Racing Teamの始まり、1972年

2023-10-16 06:17:54 | 二輪事業
  
2015年4月、「Kawasaki USA 」のFBに、「The 1973 season saw Team Kawasaki's factory race teams ready to go!  The team is full of racing legends both riders and tuners! PC: Kawasaki Heritage Hall Museum in Irvine, CA. 」とあった。
1973年のKMC(米国カワサキ)レースチームの写真で、当時は、ロードレース、モトクロス、トライアルのワークスチームで構成されていた。当時、アメリカ二輪レース界に強烈なインパクトを与えた「Team Kawasaki」のワークスチームは、モトクロス(MX)ではJ.Weinert、B.Lackey、ロードレース(RR)ではY.Duhamel、G. Nixon、A.Burmann等の著名な優秀ライダーを抱えていた。そのまとめ役は齋藤さん(中央、背広ネクタイ)で、5年前の「KX45周年」の懇親会に出席され本レースチームの写真を持参された。その際、カワサキレースマシンの代名詞となっている「ライムグリーン」は齋藤さんが決めたと証言された。

当時、特に1970年代のUSカワサキ・ロードレースチームがアメリカ二輪市場に与えた強烈さ加減は度を超えていた。その効果もあってか、時々出張するロスアンゼル移民局での通関時、カワサキステッカーを貼ったバッグを持ちバイクテストと言えば、職員は「Kawasaki!」といってニコッとして何の質問もなしに0Kだった。また、当時の関係者も健在で、「KX40周年」ビデオにも元気な姿を見せてくれた。

一方、日本では1972年、技術部内にレースマシンの専任開発担当部門 ”開発1班”が創班された。当時、雑誌に載った写真を当時の班長の百合草さんが送付してくれたが、雑誌コピーによると、当時の国内のレース活動は、ロードレースがH2Rで和田、杉本、大本、トライアルがKT250で山本、加藤、山田、モトクロスがKX125/250で竹沢、川崎、安井とある。
 

「Kawasaki Racing Team」と言う、所謂カワサキMXのワークスチームは1972年から始まった。1972年当時から「Team Kawasaki」ワークスチームは、日本では技術部が、アメリカではKMC内に設置された技術部の出先機関 ”KMC R&D”が担当した。
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「KX50周年」の歴史の一コマ・・・Jeff Wardの引退

2023-10-15 06:25:50 | 二輪事業
 
FBの投稿記事を眺めていると、思いがけない場面が出てきてびっくりすることがある。この写真(2014年10月10日にFBに投稿した写真)もそうで、FB友達で、大昔、オフロード車の米国テスト時、一緒にテスト担当した、当時のKMC社員Bret Leefさんがつい先日投稿していた。これも、「KX50周年」の長い歴史のある一場面で、Jeff Ward選手がリタイヤした1992年、「お別れパーティ」をカワサキ本部主体で開催した際の写真で、Bret Leefさんも写真に納まっている。
   

世界のプロスポーツ界では、長期にわたって同一のチームの第一線で活動し続ける選手、つまりワークス入りから引退まで同一のチームで活躍した選手を指すとされる「フランチャイズプレイヤー」は非常に珍しいが、「Kawasaki racing Team」のフランチャイズプレイヤーと言えば、Jeff Ward選手が筆頭に挙げられる。彼の顕著な能力と成功を考えると、多くのチームから高額マネーでの引き抜き話は数多くあったと推測されるものの、それらを蹴って終始一環して「Kawasaki racing Team」 から離れることはなかった。そのJeff Wardがリタイヤしたのは1992年、「お別れパーティ」をカワサキ本部主体で開催した際の写真が、これだ。時の高橋事業本部長をはじめ本部の幹部全員が出席され、当時のMX開発部隊や全日本とUSMXチームも同席した。中央、赤ちゃんを抱っこしているのがJeff Wardでその隣が奥さん。向かって右端にJeff Ward の母親だったと思う。

米国の有名な専門ネット誌”RacerX” 誌は、数多の綺羅星のごとく輝く米国モトクロスライダーの中で、 AMA MOTOCROSSERS: #4 JEFF WARD として史上4位に位置付けている。その巻末に、
「His amazing career would finally come to an end in 1992, with Wardy―
 still a Kawasaki factory rider―winning his second-to-
 last outdoor national with a win at Steel City」

として、ワークスライダーとしてまだまだ十分な高い能力がある中のでリタイヤとしている。


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the good times roll

2023-10-02 05:26:36 | 二輪事業
 
9月23日、今年最後のモトクロスの大イベントSMXが開催された米国LAコロシアムの現場で、カワサキのモトクロスKXが発売されて以来50周年を記念したイベントも同時開催され、多くの二輪専門誌が取材していた。その中の一つ、「DIRT BIKE」誌が投稿したKAWASAKI’S 50th ANNIVERSARY」には、かってカワサキのモトクロスバイクで多くのレースを戦った歴戦の雄が集まり多くの観客と楽しみを分かち合っていた。出席したモトクロスのレジェンド は”Jimmy Weinert, Brad Lackey, Jeff Ward, Damon Huffman, Jeff “Chicken” Matiasevich, Mike Kiedrowski, Mike LaRocco, Mike Craig, Ryan Hughes, Jeff Emig , Ryan Villopoto ”等で、楽しそうに語りあっていたのが印象的で、これも”Kawasaki let the good times roll”の一つのあり方だと思った。
 「DIRT BIKE」

”Kawasaki let the good times roll”・・・”Kawasaki に出会う人たちがハッピーになるような活動をKawasakiは展開し続けます”
カワサキ汎用機の行動指針として、当時、世界中に流れていたカンパニーロゴなので、愛着もありよく知っている。が、その後、いつのまにか使用されなくなり、雑誌にも取り上げられず片隅におかれ、そして長く見ることもなかった。でも、それを再び取り上げた雑誌記事がある。2016年の12月、アメリカの著名モトクロス専門ネット誌”racer X”「KAWASAKI’S SUPERCROSSMAS PARTY」にあった。この記事は、カワサキの米国本社が、この年の6月に新しい建屋に移転した後、創立50周年記念に合わせた色んなイベントを開催していたが、その12月に開催されたのが、2017年米国カワサキモトクロスワークスチームの紹介と会社従業員のクリスマスパーティーを兼ねたイベントで、現役のモトクロススター達と往年の大スター達がカワサキの従業員家族達と一緒に楽しんだパーティの模様を取り上げた記事。参加したカワサキモトクロス新旧ライダーは、Monster Energy Kawasaki riders のEli Tomac と Josh Grant、250㏄クラスのMonster Energy/Pro Circuit Kawasaki の若いライダーに加えて、カワサキの大スター Jeff Ward、 Ron Lechien 、Jeff Matiasevich、 Ryan Villopoto、 Jeremy McGrathの各選手が参加している。楽しいイベントの流れの最後に、RacerXネット誌はカワサキをこう結んだ。これが”Kawasaki let the good times roll”だと。「Kawasaki に出会う人たちがハッピーになるような活動をKawasakiは展開し続けます」、このカンパニーロゴはカワサキを端的に表すのに最も象徴的なものだと今も思っているが、40数年前のカワサキ二輪の基本理念を、なんで今ごろ、そして遠い米国で記事に出たのだろうと大いにびっくりしたが、その理由は簡単で、カワサキを表す言葉としては最適だとRacerXの記者も知っていたのだろう。

一方、ヤマハのモトクロスバイクYZも50周年ということで「YZ誕生50周年」活動を今、展開している。ここには、「YZ誕生50周年」祝う一年間の世界的セレモニーがこれから始まると書いている。そのキックオフは、全米AMA Pro Motocross Washougal NationalとベルギーのLommelで開催されるMXGP of Flanders で、1993年のカラーリングYZマシンが登場する。
YZモトクロスマシンYZ250が生産開始されたのが1974年で、そのルーツは革新的オフロードバイク 250cc DT1。 その後、YZシリーズの開発を通じ多くの素晴らしい技術が開発され、多くの世界最高の選手が勝利とチャンピオンシップを獲得した、として年代の有名選手を紹介している。 
ヤマハは「“With racing and performance at the heart of the Yamaha brand, there’s no better place to kick off the 50th Anniversary of the YZ than at the racetrack. 」だと表現し、また「“The 90s was a special era for me as a teenager racing on the weekends and watching my hero, Damon Bradshaw」だして、ヤマハの二輪ブランドの神髄は ”racing and performance” にあり、ヤマハ社員も若い時は週末にレースを楽しみ、そして我々のヒーローだった Damon Bradshawの活躍を見て楽しんだ、と綴っている。

ヤマハが展開している、”bLU cRUサイト(bLU Off-Road Racing Amateur Support)、ここには、ヤマハYZシリーズのアマチュアオーナーのためのレース参戦サポートプログラムとして、こう書いてある。「汗をかき、土にまみれ、情熱の限り戦う オフローダーたちへ―。bLU cRU(ブルー・クルー)は、ヤマハオフロードコンペティションモデルを使用する、アマチュアライダーを対象としたレースサポートプログラムです。この日本には、トランスポーターにYZを積み込み、チームで、家族や仲間と昼夜を走ってレースに向かう多くのヤマハオーナーがいます。ある人は「ファクトリーライダーになりたい」と夢を描き、ある人は自らの限界に挑み続ける。またある人は純粋にレースを楽しむなど、その思いはさまざまです。 レース会場では、輝く笑顔やくしゃくしゃの泣き顔など、レースに全身全霊をかけ、心を奮わす姿に何度も出会いました。その度に、ヤマハ車を選んでくれたことへの感謝とともに、「なにか恩返しはできないか」と自問自答を繰り返したのです。そして、ヤマハのブランドスローガンである“Revs your Heart”にも込めた想い、「心躍る瞬間、そして最高の経験を届けたい」という答えに辿り着きました。 bLU cRUは、オフロードを愛し、汗をかき土にまみれ、刺激的な日々を過ごすヤマハオーナーのオフロードライフをさらに豊かにするために生まれたのです」と。ヤマハによると、米国で生まれたbLU cRUは、既に数千人がメンバーとして活動し、その中からは、アメリカ最高峰のAMASXで活躍中のクーパー・ウェブ選手やジェレミー・マーティン選手を産んだと紹介されている。ここだけを見ると、米国ヤマハの”bLU cRU”も米国カワサキの”TEAM GREEN"も、” let the good times roll”のよい見本だと思う。

かって、BSフジプライムニュースに出演した”ジャパネットたかた”の高田社長が面白いことを言っていた。「最近のメーカーは新商品の特徴をさかんに強調するが、重要なのは、その商品を買う事でお客がどんな素晴らしい生活を楽しめるかを十分説明しきれていないことだ」
・・・" Let The Good Times Roll"

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KX50周年記念C&Gのモトクロスバイク

2023-09-27 06:04:55 | 二輪事業
  
23日の米国二輪専門ネット誌”Cycle News.com”を読んでいると、今年最終のモトクロス戦が有名なLAコロシアムで開催されている様子
2023 Los Angeles SuperMotocross Press Day」が投稿されていた。その中に、「Bring back the 90’s! Kawasaki is celebrating 50 years of KX and wrapped their box van for the occasion.」として、´90年代に採用されていたTeamGreenバンや’90年代のカワサキモトクロスバイクのC&Gを採用したファクトリーバイクそして当時のワークスTシャツを着たスタッフが紹介されていた。で、翌日の同ネット誌には
Kawasaki Motocross Legends Celebrate 50 Years Of The KX」に参加した往年のカワサキワークスライダーやチームマネージャーが紹介されていた。
カワサキのワークスマシンで大活躍した、Jimmy Weinert, Brad Lackey, Jeff Ward, Damon Huffman, Jeff “Chicken” Matiasevich, Mike Kiedrowski, Mike LaRocco, Mike Craig, Ryan Hughes, Jeff Emig , Ryan Villopoto そしてマネージャーのRoy Turner

カワサキ本体のKX50周年に関する記事「https://www.kawasaki-cp.khi.co.jp/KX50years/」の
 「  KX450 50th Anniversary Edition / KX250 50th Anniversary Edition 」には 「先進のメカニズムとレトロデザインの融合」として、    
  半世紀にわたる歴史を記念し、KXの持つアグレッシブさとたゆまぬ進化を具現化した特別なモデルが登場。モチーフとなったのは、1990年モデルのKX250。ペリメターフレームを初採用した革新的な車体に斬新なカラー&グラフィックを取り入れた、当時のフラッグシップである。50周年記念モデルには、この1990年モデルをオマージュした蛍光ピンク&ブルーのポップなKXロゴ、鮮やかなブルーシート、そしてアニバーサリーロゴなどがあしらわれた。先進のメカニズムにレトロデザインが加わり、往年のファンには懐かしさを、新しい世代には斬新さを感じさせる、記念モデルにふさわしい佇まいを身にまとっている。」、と90年代のカワサキモトクロスバイクのレトロデザインを採用したKX50周年記念モトクロスバイクを紹介されている。加えてまた、川崎重工のHP「2024年KX450のKX50周年記念モデルを発売」には、KX50周年記念バイクの概要が解説されている。


「川崎重工業HPのKX50周年記念モトクロスバイク」
 
で、’90年代にカワサキが採用したC&Gが下記写真で、’93年のチャンピオンマシン  Mike Kiedrowski 車と´94年のチャンピオンマシン Mike Larocco車。
1993 KX250SR Mike Kiedrowski
 
「1994 KX250SR Mike Larocco」
 
Kawasaki USAのFBに投稿されているコメント欄をみると、レトロ調のKX50周年記念C&Gは概ね好評価されている。こうしてみると、好き嫌いはどうでもよいが、30数年前のグラフィックは今もなお通用するような気がするが、思い過ごしかな。30年前の遠い昔のカワサキは、このようなC&Gのモトクロスバイクを市場に問い、そしてチャンピオンを獲得していた。
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KX 50 Years Anniversary: Kawasaki Dirt Chronicles 1973-2023

2023-07-31 06:06:10 | 二輪事業
 
7月29日、「#kx50yearsanniversary 」の「 Kawasaki Dirt Chronicles 1973-2023、Taking a look down memory lane at some of the most successful KX motorcycles of all-time.What's your favourite KX?」は、1973年から2023年の50年で、歴代のKXモトクロスマシンの中から最も成功を収めたバイクの幾つかをを紹介している。そして、そのなかで一番好きなバイクはどれかとの質問があったので個人的に思うに、次の二つのマシンに思い入れがある。
①「1994 KX250SR Mike Kiedrowski 」
  
②「2000 KX80 James Stewart
  
ここ数年、各専門ネット誌が投稿するモトクロスバイク関連記事を読むと、記事を読んだユーザーからのコメント欄に”2ストローク車要望”の書き込みが非常に多い。特に125の2ストローク車要望が多くみられる。
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#kx50yearsanniversary:③、KIPS

2023-07-19 06:20:03 | 二輪事業
 
「KX50周年のwebsite」関連情報の続編③がカワサキから投稿されている。
#kx50yearsanniversary」という動画で、カワサキの2ストロークエンジンモトクロスマシンに採用された出力可変制御装置「KIPS」の事を、カワサキはこう書いている。
「KIPS - Kawasaki Integrated Power-valve System was revolutionary. Exhaust devices for 2-stroke engines can be divided into two types: those that offer exhaust port control, and those that offer exhaust chamber control. The former type regulates the size of the exhaust port opening, making it smaller at low rpm and larger at high rpm; the latter added a resonator near the entrance of a high-rpm exhaust chamber, enabling chamber volume to be increased so that it could function as a low-rpm exhaust chamber as well. KIPS (Kawasaki Integrated Power-valve System), the device that Kawasaki developed, did both. 
Debuting midway through the 1984 All Japan Motocross season, a KIPS-equipped KX125SR earned its first win in the hands of Mikio Tatewaki in only its second round of competition. It also helped Jeff Ward win his first AMA National Motocross 125 title that same year. KIPS was later adopted for use in mass-production machines: the 1985 KX250 and KX125 featured KIPS valves that simultaneously opened and closed the exhaust sub-port and resonator. 
Favorably received for its ability to generate easy-to-manage low-mid range torque from its first year, KIPS continued to evolve with every model change. In addition to controlling exhaust sub-ports and resonator opening and closing, later versions added a valve to regulate timing of the main exhaust valve. 2-stage 3-way KIPS also moved sub-valves in two stages.#KX50yearsanniversary #KawasakiKX #KIPS」
KIPS(カワサキ・インテグレーテッド・パワーバルブ・システム)は画期的なエンジンの性能向上装置だ。2ストロークエンジンの排気制御装置は、排気ポートの制御を行うものと、排気ポートにつながるチャンバー室の制御を行うものがある。前者は排気ポートの開口部の大きさ(排気口を開くタイミング)を制御し、低回転域ではその開口部のポート面積を小さく(排気口を開くタイミングを遅く)、高回転域では大きく広げる(排気口の開くタイミングを早く)する制御機構で、後者は高回転域の排気ポートの出口付近に設けたレゾネーターを、低回転域時、固有振動数域で共鳴させることでトルクを向上させる装置である 。カワサキが開発したKIPS(カワサキ・インテグレーテッド・パワー・バルブ・システム)は、その両方を有機的に実現したもの。
KIPS搭載のKX125SRは、1984年の全日本モトクロス選手権シーズン中盤にデビューし、その2戦目で、カワサキワークスライダー立脇三樹夫選手が騎乗し初優勝した。また、同年、全米モトクロス選手権においても、KIPS搭載のKX125SRは、USカワサキのワークスライダーJeff Ward選手のAMAナショナル・モトクロス125㏄チャンピオン獲得にも、大いに貢献した。1985年のKX250とKX125には、副排気ポートとレゾネーター室を同時に開閉するKIPSバルブが採用された。初年度から低中速トルクを扱いやすく発生させることで好評を博したKIPSは、モデルチェンジのたびに進化を続けた。副排気ポートとレゾネーターの開閉制御に加え、後期型ではメインエキゾーストバルブのタイミングを調整するバルブが追加された。2ステージ3ウェイのKIPSは、サブバルブも2段階に動かした。
#KX50yearsanniversary #カワサキKX #KIPS
  
モトクロスエンジンの出力向上競争の過程で得られたKIPSは、カワサキの2ストロークエンジン性能向上を図る最大の技術の一つである。その過程は、当時の社内技報や国内外の内燃機関の専門誌等に論文発表され、なおかつ内燃機関の国際会議でも報告されたカワサキの誇るべき固有技術である。

さて、2ストロークエンジンの開発を成功させるためには、たくさんの汗をかかねばならない(=多くの実験をこなすこと)ことはよく知られた事実で、勘の鋭さと執念も同じくらい必要であるが、しかしながら当時、400PS/L以上を簡単にだせるエンジン形式はそうざらに有るものではなかった。例えば、同時期、戦績が振るわず悪戦苦闘していた2ストローク2気筒250㏄ロードレースマシンが開発中断に至った時期に、2ストロークロードレース用エンジンの可能性を調べてくれとモトクロス部門に指示があり、急遽KIPS付き125㏄の単気筒エンジンを試作しモトクロスの技術で性能向上をテストした。試作エンジン完成後1月も満たない短期間で50PS(400PS/L)以上を確保実現したが、すでにロードレースからの撤退が決定していた。KIPSがない時代の2ストロークエンジンの出力向上は、排気系を試行錯誤しながら、それこそたくさんの汗と勘の閃きが重要な要素だったが、KIPSが出来てからは低速域と高速域のコンビネーションの最適な組合せの選択となった。しかし実際のレースにおいては、モトクロスやロードレースのエンジン開発で台上数値以上に重要なのは、エンジンがライダーの要求に素早く反応してくれることである。レースと言う競争の場で、必要な時、必要なだけ、それこそ他社のマシンより素早く反応する出力特性の追求であり、それは台上ベンチ上だけで確保するのははだはだ難しい。選手が必要とする優れたエンジンの過度特性を得るためには、吸気孔や排気孔の形状も大きく影響し、単に大きいだけではだめで、設計や実験者固有の経験と勘の良さが重要となってくる。更に加えて気化器、電気系統、点火特性も極めて大きく影響する重要な要素だ。特に気化器の研究には多くの時間を割き新形式の気化器開発にも大きく関与したこともあって、過度特性の優秀さにおいては、他社に先行した技術を得たと信じているし、また当時の主流の点火装置だったインナーローターマグネットは非常に高価だったが、小型アウターロータを三菱電機と共同で試作研究し量産化に漕ぎつけたのは大成功で、コスト低減と過度特性向上に貢献した。2ストロークエンジンの性能向上にKIPSが果たした役割は大きいが、基本である素性の良い特性を得るにはたくさんの汗をかき、勘の鋭さに執念でやり遂げるしかないのは変わらない。思うに2ストロークエンジンは摩訶不思議なエンジンで、これらを改良していくには一芸に秀でた職人を日頃から育成していく覚悟がいると痛感したが、かつ競争という世界で生き延びるには、持てる技術を磨き続ける忍耐も必須の道だと思う。
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#kx50yearsanniversary:②、KXディスクブレーキ

2023-07-07 06:28:21 | 二輪事業
 
「KX50周年のwebsite」関連情報の続編②がカワサキから投稿されている。
#kx50yearsanniversary」という動画で、モトクロスマシンに始めて採用されたディスクブレーキの事を、カワサキはこう書いている。
「Over forty years ago, Kawasaki did what many thought impossible: disc brakes on motocross machines. 
The KX125SR and KX250SR took to the track in the 1980 All-Japan Motocross Championship featuring liquid-cooled engines, Uni-Trak single shock rear suspension, and front disc brakes. These bikes were equipped with the most advanced technology of the time, but the disc brakes stole the show, attracting a parade of people to the Kawasaki paddock.
The 1982 KX125 and KX250 were both equipped with front disc brakes, a first for mass-production models. Rear disc brakes followed on the 1986 models. When supercross rose in popularity in the 1980s, riders started using the rear brake to adjust the pitch of the bike in mid-air, and to initiate brake turns into tighter corners. These riding techniques were made possible by a rear disc brake. #KX50yearsanniversary #KawasakiKX #GoodTimes #Kawasaki
40年以上前、モトクロスマシンにディスクブレーキを搭載することは不可能だと言われていたが、カワサキはそれを実現した。1980年代になると、カワサキは時代を先駆けた斬新な機構をカワサキのワークスバイクKX125SRとKX250SRに装着し全日本モトクロス選手権を戦った。例えば、水冷エンジン、ユニトラックリヤサスペンションそして前輪のディスクブレーキがそうで、これ等は当時の最先端技術だった。なかでもモトクロスのディスクブレーキは注目を集め、これ見ようと、カワサキのワークスピットの前には多くの観客が埋め尽くした。1982 年モデルのKX125/ KX250は前輪にディスクブレーキを標準装備した世界最初の量産モトクロスマシンである。そして、1986年KXは後輪にもディスクブレーキを採用した。
1980年代にスーパークロスの人気が高まると、ライダーはリアブレーキを使って空中でバイクのピッチを調整したり、タイトなコーナーでブレーキターンを開始したりするようになった。こうしたライディングテクニックは、リアディスクブレーキによって可能となったのだ。
 「前後輪にディスク ブレーキを装備した’86KX250」
その後もカワサキは全日本モトクロス選手権を戦いながらディスクブレーキの開発を続け、例えばブレーキの鳴き対策を始め、極低膨張ブレーキホースの研究、ブレーキレバー形状を含む更なるブレーキタッチ改良等を進め、モトクロスバイクのディスクブレーキを改善・改良を進めてきた。

当時の、カワサキの全日本モトクロス選手権に参戦する意義は、次年度以降の量産モトクロスマシンの戦闘力を実戦研究することに徹したこと。それは、例えば、アメリカの専門誌「RacerX」に投稿された「JEFF MATIASEVICH(ジェフ・マタセビッチ)のインタビュー」記事にも書いてある。 JEFF MATIASEVICHは、全日本モトクロス選手権3年連続チャンピオンだが、このカワサキワークスで戦った時代を、RacerX記者の「あなたのキャリアで突出したハイライトはなんですか?」との質問にこう答えている。「カワサキでレースに専念できたことが一番素晴らしい時代だった。特に1995'96'97と日本のカワサキワークスチームと契約し全日本のチャンピオンシップに勝ったことだ。日本でレースに専念できた3年間は、私の経験したなかでも最高の時間だった。日本のサポート体制は最高だった。カワサキのワークスバイクは驚くほど素晴らしく、要求するものはなんでもカワサキはトライしてくれた。他国のカワサキワークスバイクより2年も先行する優れた仕様を提供してくれた。それは5年後量産移行する仕様だ。驚くほど素晴らしいバイクをカワサキは用意してくれた」「私は1986年にプロに転向し、1998年に引退した。この間、最高の契約条件は日本のカワサキとの契約だった。私のキャリアの中で最高の3年間だった」として、当時のカワサキ技術陣のワークスレース活動の考えを適切に説明している。それが、当時のカワサキワークスが全日本選手権に出場し戦う目的で、そしてその時代がMATIASEVICHにとってもモトクロス人生最高の時間だったと語っている。
   「全日本選手権での JEFF MATIASEVICH」

「#kx50yearsanniversary」 が上段にも書いたように、大昔、’80から’90年代、全日本モトクロス選手権大会でのメーカーのワークテントの下では、次年度のマシンはどうなるんだろうかとか、どの位の戦闘力があるんだろうかとか、じっと目を凝らしている観客や競争相手の目が幾重も続く時代も確かにあった。ワークステントの下には、帆ロを被せたワークスマシンが数台。レースが近づくとワークスマシンがピットから出てくる。すると、観客もカメラマンもワークスマシンの後をぞろぞろと付いていく。ワークスチームのワークスマシンを、みんなワクワクしてワークステントの前で釘づけになって見ていた。ワークスライダーを、ワークスマシンを憧れの目で見ている子供達も沢山いた。80年代から90年代の全日本モトクロス選手権大会、そんな雰囲気が満ちていた。そんな時代も確かにあった。みんな何処に行ったんだろうと、そんな昔の記憶を「#kx50yearsanniversary 」が思いださせてくれた。何も、昔が良くて今はどうかと比べるつもりは毛頭ないし意味がないことで、50年の歴史をたどると、こんな時代もあったよねと思い浮かんだだけの話。


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#kx50yearsanniversary:①、KXペリメータフレーム

2023-06-28 06:23:37 | 二輪事業
 
「KX50周年のwebsite」関連情報の続編がカワサキから投稿されている。
#kx50yearsanniversary」という動画には、世界のモトクロスマシンフレームに大きな変革をもたらしたカワサキぺリメータフレームの誕生を紹介している。カワサキはこう書いている。 
In 1989, the KX125SR and KX250SR entered the All Japan Motocross Championship with a revolutionary new type of frame: a steel perimeter chassis that used two tubes that wrapped around the fuel tank rather than a single beam. That year, Kawasaki factory rider Atsushi Okabe won in the 250 class on this new chassis which eventually evolved into the aluminium perimeter frame still in use today and first introduced on the 2006 KX250F and KX450F.  」
1989年、新型ペリメータフレームを装着したワークスバイクKX125SRと KX250SRは世界で初めて全日本モトクロス選手権のレース場に登場し、その年度、ワークスライダー岡部篤史選手がペリメータフレームを搭載したワークスマシンで最高クラス250㏄クラスチャンピオンとなった。
 「KX250SR」

「RACERS」と言う、全世界の二輪レースサーキットで大きな戦績を挙げ話題となった各社のワークスマシンを取り上げた日本の専門雑誌がある。日本の購買層の特殊性から、取り上げる話題は圧倒的にロードレースで活躍したマシンが多いが、そんな中で編集長が取り上げた数少ないモトクロスバイクがカワサキのペリメータ搭載のKXだ。「RACERSvol26」誌は編集長がKXペリメータフレーム開発物語を取り上げた理由をこう書いている。
「巻頭言で、編集長はペリメータフレームを採用したカワサキKX125デザインの”圧倒的かっこよさ”を「RACERS」特集に選んだ理由として述べている。かつ、他社比較車と対比しながらKXを絶賛し、この”圧倒的かっこよさ”が多くのユーザーを引き付け、例えば当時カワサキKXの最大の競争相手だった、ホンダの技術者でさえ、ホンダのモトクロッサーではなくKXを買ったと書いてある。その理由とは”KXが格好良いから”だったという。それまでのモトクロスフレームとは一線を引いた、言わばモトクロッサーのフレームとはこれだと言う既成概念を一掃してしまう”かっこよさ”がKXにはあった。そのことがホンダの技術者のみならず多くのモトクロスユーザーに注目されたとある」
その後のモトクロスマシンの多くはカワサキのペリメータフレームを基本に発展していった。当ブログでも「RACERSvol26」読書感想として取り上げている。

参考までに書くと、カワサキはその後、ペリメータフレームを発展させたアルミフレームを試作し、’90年代初頭にはアルミフレームのKX250SRを当時のワークスライダーエディ・ワーレン選手に乗せて全日本モトクロス選手を戦ったこともあり、またミニバイクにもアルミフレームをトライしたこともある。これ等を通じて、当時のアルミフレームの課題を追求していた。

その後、日本製モトクロスマシンは4社とも類似のペリメータ構成のアルミフレームに転換して長いが、そのアルミフレームに異を唱え、鉄のクロモリフレームを依然として採用し続けているのが、欧州の覇者KTMとHusk社だ。昔はいざ知らず、KTMのモトクロスマシンは、今や世界の頂点に立ちその地位は揺るぎないもので、世界中の顧客から信頼と支持され続けている。モトクロスマシンは二輪の原点でもある競争するためだけに、そのレースに勝つためだけに開発販売されるマシンだから、技術的合理性にそって設計されている。昔から技術的合理性の追及は日本の二輪企業が得意とするところで、その技術的優劣を競うレースに勝つことで、日本企業は彼らの技術的優秀性を世界中に認知してきた歴史がある。その戦いの場で、日本の企業はモトクロスバイクのアルミフレームを固守し、一方、世界の頂点に立つ欧州企業のKTMとHuskは技術的合理性を求められるモトクロスマシンに鉄のクロモリフレームを採用してきた。

2018年に発行された「RACERS vol49」は、スズキ125MX(RAシリーズ) 栄光の10連覇を成し遂げたライダーの一人、モトクロス世界選手権唯一の日本人チャンピオン”渡辺明”選手を特集しているが、この雑誌 の最後に、渡辺選手が雑誌記者に”これだけは言っておきたいので、ぜひ掲載して欲しい”と述べた文面がある。そこにはモトクロスのマシン作りに関することで、こう書いてある「ここ15年、日本の4メーカーはアルミフレームの商品価値にこだわり作り続けてきましたが、世界のレースシーンでは鉄フレームが勝ち続けている。アルミの場合、剛性は優れていても、特にオフロードでの重要な衝撃の吸収性では鉄に劣り、ライダーの体力的負担が大きい。過去15年のレース結果がすべてを証明していませんか。新しい鉄フレームの開発を決断すべき時だと思います」とある。つまり、モトクロスマシンの主流をなす、アルミフレームの是非を問うている。

渡辺選手が言いたいのは、類推するに多分、今やモトクロスの頂点は欧州のマシンであり、彼らが長年にわたり採用しているのが鉄フレームであること。モトクロスマシン設計で最も重要要件の一つはフレームやサスの衝撃吸収性であるが、フレームが適度にしなり衝撃を緩和することによってライダーへ衝撃負荷を軽減させ体力的負担をより少なくすることでレースに集中できる、と言うことだろうと思われる。フレームが適度に撓むことによる衝撃吸収性は強度上断面係数つまり剛性を高くせざる得ないアルミ材より鉄フレームが優れており、鉄フレームについて再検討すべき時期にあるとの意見だと思う。こうしてみると、モトクロスバイクの開発にはまだまだ検討すべき課題がいっぱい残っているようにも見えるから面白い。
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「KX50周年のwebsite」が投稿された

2023-06-21 09:01:17 | 二輪事業
  
今日(21日)、海外のカワサキ系販売会社のFBは「KX50周年」の記事を投稿している。
「The KX 50 Years Anniversary website is live!
https://www.kawasaki-cp.khi.co.jp/KX50years/en/

In addition, a KX brand movie highlighting its glorious history and innovative technology has also been released. More KX stories and history will be posted on the website as they become available, so stay
tuned!
To all KX fans, let’s celebrate this anniversary year together!
#KX50yearsanniversary #KawasakiKX
  
   

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カワサキKXが50周年となった

2023-05-26 06:31:25 | 二輪事業
今年、2023年、KXが市場に販売されて50周年となった記念に、神戸のカワサキワールドが「KXシリーズを展示している」と案内があった。展示期間は2023年中を予定し ているそうだ。 
  「カワサキワールドHP」

カワサキの二輪車の中で、開発、生産、販売そしてレース活動を51年間も絶えることなく続けてきた唯一のモデルが”KXシリーズ”。1972年に技術部に開発1班が結成され、始めて名付けられたモトクロス専用車”KX”、その機種名を一度も変える事なく続いた51年間だ。こんな機種をカワサキでは他にない。言い換えれば、カワサキのリーディングモーターサイクルである、その”KX”が50周年となった。我々も、KX50周年の歴史のある一時期、KXを筆頭とするオフロード二輪、三・四輪車の開発やレース運営を担当していたこともあり、当時の昔話を思い出してみた。

1972年、カワサキ技術部内にレースマシンを主に開発/レース運営を担当する開発班が誕生し、その翌年1973年にモトクロス専用車KXシリーズが量産販売開始された。それ以降、一度たりとも開発を中断することなく、一度たりとも生産を中断せず、一度たりともレース参戦を中断することなしに51年が経過した。この間、モトクロッサーの最適技術を開発し続け、世界中のモトクロスファンに愛され、多くのチャンピオンシップでチャンピオンを勝ち取りながらKXは改良されてきた。世界中で毎年開催される、アマチュアからプロクラスに及ぶ多くのチャンピオンシップの場で、同じ目的で開発され続けた他社競合車と戦い続け、互いの社内外の環境変化によっては、時には後塵を浴びることもあっただろうが、多くのカワサキファンからの真摯な指摘と支持を受けて、毎年進化し続けてきた経緯があり、そして現在も進化し続けている歴史がKXの50周年。

ある時期は、サスペンション、電装、気化器等の主機能部品メーカーを取り込んだ、「チームカワサキ」を構成し、「チームカワサキ」がレース体制支援から量産に至る開発を共同分担していたので、例えば、「エンジンのトラクションをRサスで叩き出す」、エンジン性能をサスペンションが引き出す事も多く、企業間を連携する開発組織が上手く回転し、互いの連携プレーが上手に機能していた。つまり、チームカワサキに対して部品メーカーのロイヤリティが極めて高かった時代でもあった。遠い昔の事だがそんな時代も確かにあった。古い話だが、ある時、サスの競合メーカーからレースの全面的支援体制の申し入れがあったが、カワサキ担当者の回答は「NO」。理由は簡単で、「カワサキの競争相手と組んでいる部品メーカとは組まない」と非常にシンプルな理由だった。つまり我々の固有技術が競争企業に流れる事を単純に恐れただけの無用な心配事。

レースや量産開発という目的を通じて、KXに関係する企業の各担当者は、互いに個人的な強い信頼関係を築いていた。勿論、コスト意識も互いに共通認識があったのでやり易かった事も事実。遠い昔の話なので今では冗談まがいに話せるが、マシンを開発し上市するだけの一般的な開発業務ではなく、そのマシンをレースという場で競合させ勝たせることで優秀さを市場に示す必要もあり皆必死だった。それほどに完成車開発/生産メーカーと主要部品メーカーとの繋がりは強固だった時期も確かにあった。というか、企業の繋がりよりも個々の人間関係の繋がりが強かったと思う。所詮、開発とは開発を担当する要員個人々の心の繋がりの強さと信頼性で決定されるもの。そうしないと、相手に勝てない時代だった。企業と言う壁を取り払って、何が何でもKXを勝たせたい言う認識が共に共通していた。それが互いの利益に直結していた。

モトクロス専用マシンKX開発の‘73年前後を簡単に調べて見ると、1973年にカワサキ初のMX専用車、
★KX125:空冷6速ロータリーバルブ、線爆Cyl、F/フォーク(¢31/120St)、R/ショック (90St)
★KX250:空冷5速ピストンバルブ、F/フォーク(¢36/200St)、R/ショック(ハンマータイプ)」
★KX450:空冷5速ピストンバルブ」  の三機種が開発販売された。
加えて、当時のエポックメーキングなレース活動から思い出すと、下記が思い出される。
★1972年:新設計のF11Mと若手ライダー竹沢の組み合わせで参戦。他社強豪に対して互角のレースを展開するがチャンピオン獲得ならず。欧州ライダー、O・ペテルソンと契約。KX250開発を兼ねてWGP250に数戦参戦した。米国ではKX500開発の為、新開発の400㏄エンジンを搭載したマシンでAMAナショナルレース500クラスでB・ラッキーがチャンピオンを獲得。
★1973年:国内レースは竹沢正治、川崎利弘で、リードバルブ付KX250(初代KX)で参戦したが、チャンピオンは獲得できなかった。(その後、竹沢選手は‘76年250ccチャンピオン獲得)

このように、黎明期の開発/レース運営で経験した辛苦や成功は次に世代に引き継がれ、またその次の世代に引き継がれる。開発やレース運営は社内外の環境にも大きく影響を受け、全く勝てない苦労の連続な時代がある一方、開発やレース運営が巧く機能し、当時のレース界をカワサキが牽引した時代もあったが、これは前世代から引き継いだ置き土産を周到に分析した結果で、前世代の成せる技が後輩の時代に成功した証しだと思う。誰でも他社競合チームに勝ちたいと思って一生懸命なるも幸不幸の時代は背中合わせで、それは時の運不運のなせるものかもしれない。その歴史が今のKXの成功に連綿と繋がっているのも事実であろうし、否定しようもない。それらは、世界モトクロス界の頂点に立つ米国スーパークロスレースの3年連続チャンピオン獲得等もその結果の一つで、カワサキから数多くのチャンピオンが世界中に今なお誕生し続けている。例えば、アメリカの有名なMXネット情報誌「RacerX」が選んだモトクロス歴史上最高のライダーは「Ricky Carmichael」。彼もまたカワサキで育ち、スーパークロスを含む数度にわたりカワサキワークスでチャンピオンになった。それら成功の原点は、’73年から連綿と続くカワサキKXの歴史がなせる結果であり、これ等を次の世代へと歴史を継続させているのは、その時代時代の現役世代の功績だと思う。
             
      「motocrossactionmag」

一方、KXを支える多くの愛好者と支援者の楽しみや活動はアマチュアモトクロスレースで、その行動の原点は「家族の絆」に尽きる。
米国はモトクロスを中心とするオフロード車の大市場で、もう今はなくなったが、米国モトクロスの聖地と言われた、かってのサドルバックパークやインディアンデューン等の郊外の山や砂漠地帯の現地に行くと、そこには数台のキャンピングカーを中心に、父親と少年少女達が二輪や四輪バギー、VWの改造車でビュンビュンと走リ回っている。側で、母親はキャンピングカーに張ったテントの下で昼食のサンドウィッチを準備をしていて、楽しそうな家族的な風景だった。そこには、暴走族まがいの人達はおらず、あくまでも家族単位の行動で、アメリカの週末の過ごし方の一つを垣間見る事が出来た。アメリカ人は長い開拓移民時代に、家族が一つの単位となり、幌馬車に揺られて 新天地を求めて歩み、永住の地にたどり着いた歴史がある。その頃の開拓民にとっては「家族」が唯一の財産であった時代の名残が、いまも脈々と受け続けられいるのだろうと思った。開拓時代の馬が現代は単に二輪車に替わっただけなのだろう。アメリカは広大な土地なので、チームを構成してレースを楽しむことは実質不可能で、行動は家族単位となる。日曜毎に開催されるモトクロスレースでは、父親がメカニック、母親と家族か応援。燦々と降り注ぐ太陽の下、6~8才前後の子供がレースに出場する事を中心に活動が始まり、そして家族の絆を深めて行く。騎馬民族の子孫、かって戦争に明け暮れた欧米諸国の人々が最後に頼った拠り所は家族であった。大西部時代を生き抜いたアメリカの名残が荒野を駆け巡って生活し、そして生きるための競争だった。それが現代まで続いた楽しみの名残の一つがモトクロスとすれば、モトクロスはアメリカ人の心の故郷の一端を支えてきただろうし、文化として継承されていると思う。

過去、アメリカでは、薬に走ったりや家庭内暴力等の青少年を取り巻く問題が山積していた時期があった。これ等を解消し、家族の絆を醸成してきたものの一つに、こうしたアマチュアモトクロスもあったと言われている。モトクロスが子供の自立心を覚えさせ、行動に対する責任を自覚させていく。彼らが、アメリカのオフロード市場を支えている行動の原点だから、アメリカ市場でオフ車が衰退すること等は決してないと信じてカワサキは彼らを支援してきた。だから、彼らが、今なおカワサキを含む多くのオフロード市場の愛好者であり支援者だ。  下記はネット誌にあった米国モトクロス場の一コマの写真。 
   

レースに参戦し単にお金を使っているだけだと、景気が悪くなったときすぐにレースをやめろと言われたりするので、ここできちっとレースを事業体として位置づけることで、レース事業体、ビジネスとしての収益をあげて、それをモータースポーツ活動や車両の開発に投下していくというサイクルを回していく」とは、とある四輪メーカのレース運営の基本的考えだとある記事にあったが、この思想はカワサキのモトクロス開発・活動の基本理念と同じで、カワサキも50年前に開発1班を立ち上げた原点の思想はまさにこれだ。

カワサキのモトクロスレース活動が戦績を挙げ続けてきた歴史の一番の要因は、ワークスチームが技術部の開発チーム内に所属し量産車の開発をも一緒に担当してきた歴史にあるだろう。カワサキモトクロスのプレゼンスが次第に上昇してくると、常勝カワサキを維持し続ける必然性と責任に加え、いや負けるかもしれないという恐怖感が一緒になって自然と心中に沸き起こる。この恐怖感などは一度でもチャンピオンになった者でしか味わえないものだろうが、実際そうなってくる。負けると散々非難され、一方、少しでもチャンピオンを獲得し続けると「もうええで」とか、雑多な意見がそれとはなしに聞こえてくるものだ。これもカワサキモトクロスがその地位を確立したことを認める証左だと理解するも、レース参戦の意義が単に勝ち負けだけの話題になってしまう虚しさが漂ってくる。だから、レースを継続し続けねばならない環境を何がなんでも構築しておかねばと、そう考えてきた。

  
ある時期の米国カワサキのモトクロスマシンの広告宣伝文句は「誰でもJeff Wardと同じマシンを購入でき、Jeff Wardと同じようにライディングすることができる」だった。かっての昔のカワサキのモトクロス開発組織は、えーと言うぐらい本当に小さな所帯だった。その中で持ち得る戦力で他社と互角に戦うために、カワサキ独自の戦略を立てた。それは、全日本選手権は次年度以降の量産車の先行開発に専念することだった。他社の先駆的な機構を横目に眺めながら羨ましくはあったけど、自社の立ち位置は守った。他社に劣る戦力は如何ともしようがないので、持った戦力をフルに活用し全日本でのカワサキのプレゼンスを明確にすること、それは量産車の先行開発に徹することで、そのためには競合社の最精鋭 ワークスマシンを凌駕したことを立証する全日本チャンピオン獲得は必要だった。その思想の延長上にKXシリーズが完成し、60~500ccまでの品揃えが完成し(当時はカワサキだけだった)、その技術を活用しての公道走行車を含むKDX、KLXそして三輪や四輪バギー車を自組織内で開発し続けた。遠い昔の潤沢な資金などとは程遠い予算で、レース活動を継続し、成功させ、認知してもらうには量産KXを含むオフロード車の開発を広く手掛け事業経営に貢献すること。しかしそれは、技術者は複数の開発機種を同時進行せざるを得ず、ワークスライダーも量産車の開発に多くの時間を費やす事になって、開発担当に負担が重く圧し掛かってくるが、結果、モトクロスを中心とするオフロード車は販売の伸びとともに事業性がみるみる好転してくる。小さな排気量にも関わらず収益性は極めて高くなっていく。しかも工場ラインが閑散期に入る時期にKXやKDXのオフロード車を生産できるメリットは生産の平準化に絶大な効果があり、ライムグリーン一色のマシンが次々とラインオフする光景は壮観なものだった。
    
幸いにも、アメリカの”Team Green”活動が確立した時期もあって、これ等はモトクロスやオフロード車の追い風となり、カワサキオフ車の生産台数は他社を凌駕し№1の時期が数年に渡って何度もあった。この開発と生産のサイクルラインを完成し収益性を向上させ維持し続けるために、ワークスレース参戦は必須と考えてきた。毎年、開発費やレース予算を含むKXビジネスの収益性を計算し、どのようにKXビジネスを展開するかを考えていた。この事情を本当に理解してくれたのが当時企画部門の責任者だった部長で、「KXビジネスは儲かってるか」と電話で何時も気に掛けてもらったが、社内にも我々の開発業務を本当に理解している支援者がいたのも事実。これが、カワサキモトクロスビジネスの成功理由の一つでもあると考えている。結果、「カワサキのモトクロスは”一度たりとも開発を中断することなく、一度たりとも生産を中断せず、一度たりともワークスレース活動を止めることのなかった歴史”」として繋がり続けた50周年と言えるかもしれない。

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