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野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

中国製二輪、ベトナムでの失敗例記事

2023-04-17 06:37:44 | 二輪事業
4月11日のFBに「一時は大躍進した中国のバイクが見放された理由とは、日中の激突で日本勢勝利―ベトナムメディア」なる記事が投稿してあった。「recordchina」がアジア周辺国の記事を投稿しているもので、面白いので時々読んでいるが、2000年過ぎ、中国二輪製品がベトナムで失敗し撤退せざるを得なかった事例の記事だった。もう20数年前の出来事をなんで今頃記事にするのか不明。
 「recordchina」 

ベトナム共産党機関紙の人民報(中国語電子版)が投稿した記事だと書いている。ベトナムは現在、世界第4のオートバイ市場だそうで、2022年における二輪販売台数は前年比20.5%増の300万3160台の市場規模。市場はホンダ、ヤマハ、イタリアのピアッジオ、スズキ、台湾のSYMの5社が占めているが、ホンダが8割強のシェアを維持し続けている。そんな市場に、2000年初頭、中国の二輪メーカーがベトナムに進出してきた。圧倒的な安値を基本に、わずか3年間ほどで、中国製二輪のベトナム市場におけるシェアは、8割程度に達した。べトナム当局が国内企業保護のため関税を引き上げると、中国メーカーはベトナムに生産移管を始め、さらに価格競争を始めた。小売価格は下落する一方で、最終的には1台当たりの利益が30ドル(23年4月9日時点の為替レートで約4000円)程度にまで落ち込んだ。中国メーカーは価格を下げつづけるためにコストを圧縮せざるを得ず、製品品質を下げた。すると、消費者は中国製から離れてしまった。そして市場は再び日本製二輪に戻った、と言う記事。

思いだしてみると、確か2000年初頭頃、ベトナム市場では中国資本が低価格二輪車をもって参入し、一時的にはシェアを拡大した時期があったのを覚えている。その頃のベトナムの二輪市場を見る機会があった。旧現地資本企業がベトナムに進出し、ベトナムに組立工場を建てた時期だ。タイでは評判の悪かった小型モペットが小柄なベトナム女性(ベトナム女性のバイク利用は高い)には好評で、そのモペットをベトナムで本格生産する計画だった。ホーチミン市内を数日かけて数か所見てまわったが、販売店や路地裏のモペット修理屋と部品屋が集合した地域が市内のアチコチに点在しており、その数カ所丹念に見て回った。当時日本製モペットを主に販売する販売店も驚異的にのしてくる中国製の低価格車を恐れ、どこの店でもその話を聞かされた。しかし、数年後、中国製は一掃され日本製モペットに変わる。日本車に取って代わった理由は分析され、その報告書も一般公表されているが、結果的に中国製品の品質の悪さが敗因だった。

数年にわたり、東南アジアの二輪事情を見る機会があり、タイ、フィリピン、マレーシャそして中国(当時は自転車が主流で二輪は実用がメイン)でも二輪車が生活の基盤として活用され、国の隅々に多数のモペットやバイクを見ることができた。その中でもベトナムとインドネシアは別格で、その街でモペットの大軍を見たときは驚きを通り越して言葉を失った。信号らしきものが無い交差点で、雲霞(ウンカ)の如く湧き出てくると表現した方が適正だと思うほどのモペットの大群を見たとき、モペットをこれ程までに市場に認知させてきたホンダ技術者と営業担当には本当に敬服した事を覚えている。この光景は「二輪事業に携わったホンダマンこそ男冥利に尽きる」と感心したものだ。本当に頭が下がる思いがした。ホンダと言えば、「勝ちに拘る」とか言って二輪レースに集中する姿を主に見てきたが、現実のホンダの姿、テリトリーの広さと集中力は驚くべきものだった。ホンダの言う「勝ちに拘る」と負う意味は、モータースポーツだけに当てはまるのではなく、全世界にホンダ独自の哲学を広げることにあると再認識させられた。一見よく目立つ中大型の二輪ばかりを対象にしていると、モペットの開発と言うと何となく力が入らないと言うのを聞いたことがあるが、ある二輪企業は最も優秀の人材をモペット市場開発に投入していると聞いたこともある。実際に現場・市場に来て現場の流通を見てみると、その考えの価値はある。

こうした世界の二輪市場の歴史や趨勢をみると、家電や半導体市場で見られたような中国や韓国による日本企業追い出しを日本の二輪企業が今なお許さないのは、戦後、日本での熾烈な競争に勝ち残った浜松企業を中心とした二輪企業の強さであろうし、世界的にみると稀有な産業に見える。二輪の超優良企業だった米国ハーレーの営業利益は20%前後の時もあり(今は低迷しているが)で、後進国を現在の主戦場として伸びているホンダ二輪は先進国の低迷にも拘わらず営業利益率は14~19%を維持し、二輪事業は極めて高い収益性を確保できる事業体である。その理由は、市場動向を見た的確な戦略と素早い決断/実行力こそが高い収益性を確保できる事業体に成長することを、ハーレー、ホンダの柔軟性のある企業体質から見える。

ベトナムでの品質不具合は二輪事業から撤退するほどに大きく影響した事は中国製二輪の失敗例からも理解できるが、これは中国製だから品質が悪かったということではない。市場信頼性の高い有名二輪メーカーでさえも販売好調の機種に品質不具合を発生させ販売を大きく毀損 させた事例もあるので、東南アジアのように二輪が生活基盤の財産として考えられている市場では品質トラブルは致命的な問題なんだと思う。20数年前、東南アジアの路地裏の市場を見て回ってすぐに感じたこと、それは、この市場は大きく伸びる要素満載でビジネスチャンス大だと感じた。そして、現在のホンダやヤマハのIR資料からも読み取れるのは、東南アジアを主とする後進国での二輪事業は経営手腕によってはまだまだ「未来ある事業体」と言えるのではないだろうか。最後は結局、経営戦略の優劣が勝敗を決すると思えたし、東南アジアを主とする市場は我々にとって有機質な市場で面白みがあるのは昔も今も変わらないようだ。
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勢いの形、$53百万のKTM北米新社屋

2023-04-03 06:34:29 | 二輪事業
3月31日付けの”Motocross Action mag”の「RUMORS, GOSSIP & UNFOUNDED TRUTHS:」の中に「KTM NORTH AMERICA’S ALL-NEW $53 MILLION HEADQUARTERS OPENS ON 20 ACRES」と言う記事があった。総費用$53百万(約70億)のKTM北米新社屋を紹介している。
 
“This is an emotional day for me,” said Stefan Pierer, CEO of Pierer Mobility AG. “Exactly 30 years ago I started in the USA with only a dozen employees. Today, we are Europe’s leading Powered Two-Wheeler group, we’re selling approximately 100,000 units annually in the US market, so more than one billion dollars in sales. The most important success factor for us is racing, that is the driving force that pushed us over the years, even in the US market. Building our new North American headquarters in Murrieta was the biggest single investment we’ve ever made yet. We set a new standard for the whole US market.”
北米KTMは KTM、 Husqvarna、 GasGasの各ブランドの二輪や幾つか電動を含む自転車そしてWPブランドの高級パワーパーツ部品を取り扱う会社で、CEOのStefan Piererは「今日は私にとって感慨深い一日だ」と述べ、「ちょうど30年前、アメリカでわずか10数名の従業員でスタートした事業が今日、KTMはヨーロッパを代表する二輪事業のリーディングカンパニーにまで成長し、米国市場で年間約10万台を販売して10億ドル以上の売上高を達成している。KTMがここまで成長してきた大きな要因はレース活動を中心にした企業活動であり、レース活動こそが、それが米国市場でも長年にわたるKTMの原動力であった」と話した。
そして、「北米グループの組織は、2009年の30人の従業員から2023年には約360人の従業員へと成長し、3棟からなる新しい複合施設は、北米にある1000以上のネットワークをサポートするために、さらなる拡張を計画している」と続けている。

KTM社と言えば、2016年の”racerxonline.com”に「KTM FACTORY TOUR IN AUSTRIA」の記事では、オーストリアに本拠地がある、KTMの新しい開発部隊の本陣が公開されている。KTM社といえば、今や世界のオフロード界では押しも押されぬ頂点に立つ雄で、かってこの領域を占拠していた日本企業を蹴散らし、世界選手権や米国のモロクロス・エンデューロ界の世界の覇者の社内公開であった。 

それが、2020年には、米国の専門誌”Motocross Action mag”でこう解説「KTM SET SALES RECORD FOR THE NINTH YEAR IN A ROW)するまでになった。
KTM and Husqvarna combined for a total of 280,099 motorcycles sold in 2019, an increase of seven per cent over 2018’s sales totals. That makes it nine years in a row of sales growth for the company as a whole. Of the 280,099 units sold, 234,449 bikes were KTMs, and 45,650 were Husqvarnas.
「KTMとハスクバーナを組み合わせた2019年の合計販売台数は280,099台で、2018年の販売台数比+7%。 これにより、会社全体の売り上げが9年連続プラス。 280,099台の販売台数のうち、234,449台がKTMで、45,650台がハスクバーナだった。 さらに別の原文には、KTMグループの主要市場は米国で、特に米国のオフロードユーザーに支持されていると述べ、米国市場における日本のビッグ4の販売が低迷する中にあって、KTMは著しく販売を伸ばしたともある。加えて米国市場でもKTMの2ストロークモデルは強く支持されているとある。
そして、
Pierer Mobility, formerly known as KTM Industries, just released its year-end numbers and they were positive, especially in the US market, where overall motorcycle sales of most brands are either down or flat, but in KTM’s and Husqvarna’s case sales were up. Stefan Pierer has a five-year plan to sell 400,000 motorcycles a year, which would surpass Kawasaki as the third-largest motorcycle manufacturer in the world.
「米国市場では、ほとんどのブランドの二輪車の売り上げが減少または横ばいの中、KTMおよびハスクバーナは販売を伸ばした。次の目標は、5年以内に年間40万台販売する計画で、目標達成時はホンダ、ヤマハに次ぐ世界第3位の二輪企業となる」とある

欧米の二輪販売が低調傾向にあるにも拘わらず、自社ブランドの販売は伸び続けているとするKTMの経営は素晴しいと思う。
1991年に会社倒産(1991年の前年、KTM社が倒産する可能性があると、世界モトクロス選手権の会場、イタリアでこの話題を直接聞いたことがある)に会いながら「RacerXonline.com」の記事「KTM FACTORY TOUR IN AUSTRIA」の説明によると、1992年、KTM社は再び小さなワークショップから出発、エンデューロレースのニッチ領域に参戦しながら成長し、その後、ラリーやモトクロスの世界で輝かしい成功を収めてきた。” Ready to race ”と言う明快な企業コンセプトロゴを旗印に、 モータースポーツへの飽くなき挑戦によって KTMはグローバルに成長し続けている。その目標とするのが、5年以内に世界第3位の二輪企業に成長することだと言う。超優良企業だった米国のハーレーダビッドソンでさえ2019年の世界販売台数は22万台弱に低下し、メディアによる二輪の将来は必ずしも明るいと言えないとする論調もしばしばあるが、大きく成長しているオーストリアの二輪企業KTMの話題は明るい。

過去、KTMの話題が顕著になってきた例の一つに、”Motorcycle USA.com”の「KTM Claims Biggest Sales Growth in 2013」では「2013年、米国で最も急成長している二輪企業はKTMだった。KTMの11月の販売台数は2012年同月比+49%、11月末時点では年初来の数字は28.8%の増加」の記事があった。リーマンショック後、二輪の大市場米国市場が半減したのを契機に、IR資料によると、世界の二輪事業を牽引してきたホンダ、ヤマハは欧米主体から新興国に活路を見出した。日本企業が落ち込んだ欧米の二輪市場に浸食してきたのが、強いブランド力をもつ欧米の二輪企業だと言われていた。その中で、KTMは、その明快なコンセプト”KTM Ready to Race”でON,OFF車とも豊富な品揃えと地道な「草の根活動」を展開し、日本二輪企業の販売が低調な、この時期を絶好の機会だと捉え、アメリカのオフ市場を席巻する動きをみせた。結果、モトクロスの分野では、世界選手権や米国のスーパークロスレースの王者として君臨し、そこから生み出す製品の優秀性を訴求し続けることでKMT信者を増し続けた。今まではハーレーは別格で日本企業間で其々の立位置を論議していれば良かったが、今や、そうではないようだ。

KTMの企業コンセプトロゴ”Ready to Race”は企業倒産後の出発点から何ら変わらず、その持つ意味は、KTMはレースばかりする企業ではなく、KTMはKTMユーザーと一緒に楽しみ、KTMユーザーと良い時を過ごしたいという意味だろう。末端市場はKTMの真の意味を理解し信頼し続けているのは間違いない。レースという言葉を企業指針にするなど以ての外だとする企業人やレースと聞くとそっぽを向く二輪関係企業人もいると聞くが、欧州二輪企業は自身の立ち位置を明確にすることでブランド構築に躍起になっており、結果、世界中の二輪愛好家は必然的に気にかけざるを得なくなる。オフロードのKTMの印象が強いが、オンロードの分野でも2018年にはロードレースの世界選手権のMoto3クラス、Moto2クラスおよびロードレースの最高峰MotoGPクラスの3クラスにワークスチームを送り込む唯一の企業でもある。勝つには三桁前後の億予算が必要と言われるMotoGP参戦だが、2020年のプレシーズンテストから著しい成長を見せ、2022年には王者Ducati と覇権を争う技術力を高めるまでになった。
 
こうしたKTM成長の事例を見ると、二輪事業は経営手腕によってはまだまだ「未来ある事業体」と言えるのではないだろうか。当たり前のことだが、最後は結局、経営戦略の優劣が勝敗を決する。

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懐かしい光景、”Jeff Ward ”

2023-01-30 06:30:03 | 二輪事業
懐かしい写真が29日、FBに投稿されていた。
元カワサキUSAのモトクロスワークスライダー”Jeff Ward ”が、当時のワークスマシン’84KX125に乗っている写真だった。
Wardy Rides Again! Jeff Ward Rides '84 KX125 National Championship Works Kawasaki - VTG Iron Project
世界のプロスポーツ界では、長期にわたって同一チームの第一線で活動し続ける選手、つまり入団から引退まで同一のチームで活躍した選手を指すとされる「フランチャイズプレイヤー」は非常に珍しく、知っているスタープレイヤーは、MLBではヤンキースの”Derek Jetery”が有名。モトクロス界では、リタイヤするまでカワサキ一筋で戦った、”Jeff Ward”もその一人。Jeff Ward はワークス入りからリタイヤまで同一チームでレースをした、「Kawasaki Racing Team」のフランチャイズプレイヤーだ。

そこで思い出したのが、1992年、Jeff Ward がリタイアした際、「お別れパーティ」を明石のカワサキ本部主体で開催したこと。その写真があったはずと探したのが下記写真。当時の高橋事業本部長をはじめ本部の幹部全員が出席され、当時のMX開発部隊や全日本とUSMXチームも同席した。中央、赤ちゃんを抱っこしているのがJeff Wardでその隣が奥さん。向かって右端にJeff Ward の母親だったと思う。
 

RacerX 誌は、数多の綺羅星のごとく輝く米国モトクロスライダーの中、 AMA MOTOCROSSERS: #4 JEFF WARD として史上4位に位置付けている。
その巻末に、
「His amazing career would finally come to an end in 1992, with Wardy―
 still a Kawasaki factory rider―winning his second-to-
 last outdoor national with a win at Steel City」
として、ワークスライダーとしてまだまだ十分な高い能力がある中のでリタイヤとしている。

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「Dirt Bike Magazine」のFB記事から。

2022-05-26 06:25:47 | 二輪事業
25日の米国オフロードバイクネット誌「Dirt Bike Magazine」のFBに投稿されていた写真。
’97全日本モトクロス選手権のチャンピオンJeff Matiasevich’のチャンピオンマシンSR250だ。「Dirt Bike Magazine」には、The one above is Jeff Matiasevich’s 1997 SR250, which won the All-Japan Nationals that year. It has more works parts than any bike raced in America. This bike and several of the others below are in the Hugh Parker collection.とある。
 「Dirt Bike Magazine」
記事にもあるように、当時のカワサキワークスチーム(Kawasaki Racing Team )が全日本選手権に投入したワークスマシンは次世代につなぐ先進的なテストバイクを兼ねていた。それはモトクロス大国アメリカでレースに投入された、どのカワサキのワークスマシンよりも多くのワークスパーツを先行して採用していた、と言うのは事実である。

Jeff Matiasevichは’95~’97年の3年間、全日本モトクロス選手権の最高峰クラス250クラスのチャンピオンである。マタセビッチはアメリカカワサキのワークスライダーの一人で二度のAMASX125㏄チャンピオンでもあるが、全日本選手権参戦時、その時のカワサキの開発陣との印象を、2013年、RacerXonline(http://www.racerxonline.com/)「BETWEEN THE MOTOS: JEFF MATIASEVICH」というネット記事で、こう語っている。
「カワサキでレースに専念できたことが一番素晴らしい時代だった。特に1995、‘96、’97と日本のカワサキワークスチームと契約し全日本のチャンピオンシップに勝ったこと。日本でレースに専念できた3年間は、私の経験したなかでも最高の時間だった。日本のサポート体制は最高だった。カワサキのワークスバイク驚くほど素晴らしく、要求するものはなんでもカワサキはトライしてくれた。 他のカワサキワークスバイクより2年も先行する優れた仕様を採用してくれた。それは5年後量産移行する仕様だ。驚くほど素晴らしいバイクをカワサキは用意してくれた」
「私は1986年にプロに転向し、1998年に引退した。この間、最高の契約条件は日本のカワサキとの契約だった。私のキャリアの中で最高の3年間だった」

これ等は、カワサキが勝利にこだわる姿勢を明確に打ち出し、圧倒的なプレゼンスを誇った黄金期だったからこそ、カワサキはモトクロス市場のリーディングカンパニーとして行動を起こすべきと判断した一つの事例に過ぎない、一時代の昔の話である。

当時、カワサキの全日本モトクロス参戦史の中に、アメリカンライダーを起用した時期は、'92~'94年のEddie Warren、'95~'97年のJEFF MATIASEVICHの二名。カワサキKXマシンの事業性が確立し、かつ勝利にこだわる姿勢を明確に打ち出した時期だったが、この経緯はカワサキが発行した「 DIRT.CHRONICLES vol09」に記載されている。全日本選手権にアメリカンライダーを採用する是非についての異論は甘んじて受けるが、しかし、これを機に日本人ライダーの技量は確実にUPし、レースも活性化たことは事実だ。更に言えば、Eddie Warrenが全日本選手権から引退する最終戦の菅生で、当時のホンダワークス選手の東福寺選手が全ライダを代表してEddieに感謝の挨拶をしてくれたことで、カワサキの選択が正解だったことが結果的に証明されている。菅生での出来事は予期せぬ事だっただけに感無量の思いがした。

カワサキの「 DIRT.CHRONICLES vol09」の一節にはこう書いてあった。
「外国人ライダーの起用には、チャンピオン獲得という使命以外にも目的がありました。当時からレース活動は量産車の先行開発の場という位置付けでしたが、日本人より速いペースで走れるアメリカンライダーを介せば、もっと高い次元での開発が行える。そしてマシン開発だけでなく、日本のモトクロス界に刺激を与え、全体のレベルアップにも貢献できる。そんな理想を掲げていたのですが、ただトップアメリカンを呼んでも、日本のレベルとは差がありすぎるという懸念がありました。ぶっちぎりで勝ちまくっては意味がない。程よく競り合いながら勝ち、日本人から見ても手が届くぐらいのライダーが理想でした。ちょうどいいのは誰か。この人選が難しかった部分でした」
 
「日本人は限界まで無理していないし、一方アメリカンたちは倒れる寸前まで攻めているんだなと、レースに対する姿勢の違いを痛感しました。みなさんはアメリカンなら全日本で勝てて当然だと思われるかもしれませんが、彼らがどれほど真剣に取り組んでいたのか、再認識してもいいのではないでしょうか。優等生だったウォーレンでも、負けた悔しさからトランスポーターの中でヘルメットを叩きつけていたことがありました。マタセビッチの場合は、2位のトロフィーをゴミ箱に投げ捨てていました。行儀は決してよくありませんが、彼らはとことん本気だったのです」
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Kawasaki , letting the good times roll.

2021-10-08 06:10:53 | 二輪事業
先日、FBを眺めていると、懐かしいロゴが出てきた。
「 let the good times roll」、約40年前後前、カワサキの二輪部門が企業の活動指針として採用していたロゴだ。FBになんで今頃、こんなロゴが流れているんだろうと写真を眺めていると、その活動説明の中に数年前の全日本モトクロス選手権・レディーズ部門で活躍した”半田こはく”さんが登場していた。その”こはく”さんへの応援メッセージが多かったのだ。つれて”こはく”さんを登場させたカンパニーへの応援メッセージが続いた。つまり「 let the good times roll」をカンパニーロゴとして採用したカワサキの新会社「カワサキモータース」への市場の期待は好意的に受け止められている、とFBコメントを見ながら感じた。

”Kawasaki let the good times roll”はカワサキ汎用機の行動指針として、当時、世界中に流れていたカンパニーロゴなので、愛着もありよく知っている。が、その後、いつのまにか使用されなくなり、雑誌にも取り上げられず片隅におかれ、そして長く見ることもなかった。でも、それを再び取り上げた雑誌記事がある。2016年の12月、アメリカの著名モトクロス専門ネット誌”racer X”「KAWASAKI’S SUPERCROSSMAS PARTY」にあった。この記事は、カワサキの米国本社が、この年の6月に新しい建屋に移転した後、創設50周年記念に合わせた色んなイベントを開催していたが、この12月に開催されたのが、2017年米国カワサキモトクロスワークスチームの紹介と会社従業員のクリスマスパーティーを兼ねたイベントで、現役のモトクロススター達と往年の大スター達がカワサキの従業員家族達と一緒に楽しんだパーティの模様を取り上げた記事。参加したカワサキモトクロス新旧ライダーは、Monster Energy Kawasaki riders のEli Tomac と Josh Grant、250㏄クラスのMonster Energy/Pro Circuit Kawasaki の若いライダーに加えて、カワサキの大スター Jeff Ward、 Ron Lechien 、Jeff Matiasevich、 Ryan Villopoto、 Jeremy McGrathの各選手が参加している。楽しいイベントの流れの最後に、RacerXネット誌はカワサキをこう結んだ。これが”Kawasaki let the good times roll”だと。「Kawasaki に出会う人たちがハッピーになるような活動をKawasakiは展開し続けます」、このカンパニーロゴはカワサキを端的に表すのに最も象徴的なものだと今も思っているが、既に社内では忘れられたカンパニーロゴ、40数年前のカワサキ二輪の基本理念を、なんで今ごろ、米国で記事に出たのだろうと大いにびっくりしたが、その理由は簡単で、カワサキを表す言葉としては最適だとRacerXの記者も知っていたのだろう。

今回のカンパニーロゴ” let the good times roll”に、「楽しんじゃえ宣言。We are good time Rollers」と書いてあった。そこには、新会社カワサキモータースの伊藤社長が「日本ではまだまだ仕事を楽しむこと自体に遠慮があり、不謹慎だと言われることがありますが、私自身は仕事は楽しむものだという考えがあります。ですので、社員のみなさんにもぜひ楽しみながら仕事をやってほしいと思います。もし仮に、楽しんでやって良いと言われても、そこに遠慮や忖度が発生するとすれば、それらをなくすことも私の仕事だと考えています。仕事だからやるということだけではなく、そもそも取り組んでいる事自体が好きかどうかが大事です」などと「楽しみながら働くこと」を宣言した、とあった。”楽しんじゃえ”と言えば、大昔30数年前、カワサキが出したオフロード車KDX200SRを取り上げた案内書「KDX200SR TECH-SPIRIT Vol.1や250SRのTECH-SPIRIT Vo.2」のスタッフコメントに「オフロードが大好きな人のために、オフロードが大好きな設計者が開発しました。・・・大地を楽しんでください。」などと書いているので、昔からカワサキにはそんな仕事の流れがあったのは事実かもしれない。

「楽しんじゃえ」で直ぐに思い出したのが、AKB48。AKB48というグループのヒット曲「恋するフォーチュンクッキー」を思い出すが、当時、多くの自治体、県庁がこの歌をもとに自部門の紹介をして一世風靡したもの。正直言ってAKBをその時初めて知ったが、それまで歌番組は殆ど見ないのでどんな歌手かは知らなかった。当時、AKBを取上げたブログ「製造業はAKBに学べ」の中に、「企業は投資リターンより独占レントを目的として行動する時代が来たのかもしれない。日本の製造業が連敗しているのは、レントをいかに取るかという戦略がなく、バカ正直にいいものを安くつくれば売れると思っているからではないか。その意味では、日本のメーカーはAKBに学んだほうがいいのかもしれない」つまり、AKBはマーケティング手法の重要な要素を元に製作されたと解説。県庁の堅いイメージを払拭し、どのような部署をどのような人数の規模でやっているのか、どのような担当者がいるのか、たった3分の動画に、県庁の情報を飽きさせずに見させる、そしてそこで楽しく働いている人達を見せるのに成功しているように思えて結構面白かった記憶がある。

” let the good times roll”を具現化した活動として思いだしたが、例えば米国のアマチュアモトクロス界を底辺から支援する組織、米国アマチュアモトクロスを支える3人を紹介したことがある。これは、米国で最も人気の高いアマチュアモトクロス界を底辺から指導・支援している、二輪メーカー(カワサキ、ヤマハ、KTM)の取組である。かって、日本メーカーがオフロード市場に進出する際、最も大事にした購買層はアマチュア市場で、各社ともキャンペーンを組んでこの層のユーザーを大事に育ててきた。だいぶ昔の話しだが、アメリカの訴訟問題が加熱した時期に、訴訟問題を恐れた日本の二輪企業ヤマハ、スズキ、ホンダが全米のアマチュアライダー支援から全面撤退し、全米のアマチュアライダーを支援しづけてきたのは唯一カワサキの「Team Green」のみとなった。かくして「Team Green」はカワサキ車のみならず、カワサキ以外のユーザーまでを分け隔てることなく支援しつづけた。アメリカのオフロード市場を底辺から支える、1981年に開始された「Team Green」活動ももう40年になる。そして今、数年前から欧州のKTM社がアマチュアモトクロス分野の支援に参入した。更に、日本の二輪企業の中では最も多くのオフ車の品揃えを提供しているメーカー、ヤマハがアマチュアライダー支援を開始した。多くのアマチュアライダーにとって、自分が購入したバイクメーカーが支援してくれる企業が増える事は、鬼に金棒だ。これこそ” let the good times roll”の典型的な見本みたいな活動で、米国では、モトクロスを中心とするアマチュアライダーの支援活動が、今もなお活発化している。一方、翻って、相対的に弱体化している日本の二輪モータースポーツ市場、一部の末端に頼るのではなく業界が率先し音頭を取って活動しないと、かっての盛況は一人ではやって来ない。しゃかりきになって勝ち負けを競うのも大事だが、その底辺で市場を支え同時にまた支援を求めているのは、このようなアマチュアやプライベートライダーだ。

6月10日、ヤマハ発動機から”bLU cRUサイト(bLU Off-Road Racing Amateur Support)が公開された。
これには、ヤマハYZシリーズのアマチュアオーナーのためのレース参戦サポートプログラムとして、こう書いてある。「汗をかき、土にまみれ、情熱の限り戦う オフローダーたちへ―。bLU cRU(ブルー・クルー)は、ヤマハオフロードコンペティションモデルを使用する、アマチュアライダーを対象としたレースサポートプログラムです。この日本には、トランスポーターにYZを積み込み、チームで、家族や仲間と昼夜を走ってレースに向かう多くのヤマハオーナーがいます。ある人は「ファクトリーライダーになりたい」と夢を描き、ある人は自らの限界に挑み続ける。またある人は純粋にレースを楽しむなど、その思いはさまざまです。 レース会場では、輝く笑顔やくしゃくしゃの泣き顔など、レースに全身全霊をかけ、心を奮わす姿に何度も出会いました。その度に、ヤマハ車を選んでくれたことへの感謝とともに、「なにか恩返しはできないか」と自問自答を繰り返したのです。そして、ヤマハのブランドスローガンである“Revs your Heart”にも込めた想い、「心躍る瞬間、そして最高の経験を届けたい」という答えに辿り着きました。 bLU cRUは、オフロードを愛し、汗をかき土にまみれ、刺激的な日々を過ごすヤマハオーナーのオフロードライフをさらに豊かにするために生まれたのです」と。ヤマハによると、米国で生まれたbLU cRUは、既に数千人がメンバーとして活動し、その中からは、アメリカ最高峰のAMASXで活躍中のクーパー・ウェブ選手やジェレミー・マーティン選手を産んだと紹介されている。ここだけを見ると、米国ヤマハの”bLU cRU”も米国カワサキの”TEAM GREEN"も、” let the good times roll”のよい見本だと思う。

ヤマハが世界隅々の末端の国に至るまでライダーの支援活動を展開している事実は、最近のSNSである程度知ることができる。世界中の二輪市場を開拓し定着させることでホンダやヤマハが、ひいては二輪市場が、飛躍的に成長を遂げてきた歴史があるだけに、こうしてみると、二輪事業は経営手腕によっては「未来ある事業体」と言える。二輪市場を大きく成長させ続けたホンダ、ヤマハを見ると浜松企業の力強さを感じるが、当たり前のことだが、最後は結局、経営戦略の優劣が勝敗を決する。

かって、BSフジプライムニュースに出演した”ジャパネットたかた”の高田社長が面白いことを言っていた。「最近のメーカーは新商品の特徴をさかんに強調するが、重要なのは、その商品を買う事でお客がどんな素晴らしい生活を楽しめるかを十分説明しきれていない。職人はいるが商人が不十分」
・・・" Letting The Good Times Roll"
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どうなる、電動化

2021-03-02 08:53:52 | 二輪事業
今日(2日)のアメリカの専門誌「Motocross Action」は「KTM, HONDA & YAMAHA AGREE TO CREATE UNIVERSAL BATTERIES FOR ELECTRIC MOTORCYCLES」を記事にしている。

ほぼ同時期に、ホンダ、ヤマハもリリースを発表したので記事内容を確認できるが、例えば、ヤマハのプレスリリースは「ヤマハ発動機株式会社は、本田技研工業株式会社、KTM AGおよびPiaggio & C SpAとともに、電動二輪車および小型電動モビリティの普及を目的とした、交換式バッテリーコンソーシアム(以下、コンソーシアム)の創設に合意しました。(略)コンソーシアム創設に合意した4社は、標準化された交換式バッテリーシステムにより、小型電動モビリティの普及および、より持続可能な交換式バッテリーのライフサイクル管理に貢献できると信じています。また、バッテリーの共通化により、航続距離の伸長や充電時間の短縮、インフラコストの低減や車両コストの低価格化が期待できると考えています」としている。

KTM社は、既に電動モーター搭載の小型モトクロッサーを発表しているので、大型バイクへの波及は興味あるところだ。一方、本件、米国末端市場のユーザー意見を代弁している著名専門誌はどう反応しているのか興味があって読み進めると、彼らはこんな意見をもっているようだ。例えば、
We here at MXA are two-stroke and four-stroke riders to our core and aren’t wishing for electric motors to replace combustion engines. In fact, we often wish we could all go back to racing two-strokes full time. Still, we’re interested in what the manufacturers are up to, and, when given the chance, we’ll put the electric bikes through the rigorous MXA testing protocols.Still, we’re interested in what the manufacturers are up to, and, when given the chance, we’ll put the electric bikes through the rigorous MXA testing protocols.
要約すると、
「我々Motocross Action(MXA)誌は、2ストロークと4ストロークエンジンを中心においており、バッテリー式電動モーターが内燃機関にとって代わることを望んではいない。むしろ、我々が実際に優先すべきは、全てのモトクロスレースにおいて2ストロークエンジンのモトクロッサーが復活し参戦できるようにすることだ」と読める。個人的には、二輪の電動化は四輪に比べ難しく至難の業だと思っているが、アメリカの市場の声を代表している専門の雑誌社は、モトクロッサーの電動化なんぞより、当面の課題は2ストロークエンジンの復活、つまりあらゆるレースに2ストロークエンジンモトクロッサーが参戦できるように、かつそんなマシンをメーカーは供給すべきではないのかという意見のようにも読み取れる。

欧州のKTMやHusqvarnaは新型の2ストロークモトクロスマシンを毎年継続的に市場に供給し続け、 そしてヤマハも2ストロークモトクロスマシンを安価で市場に提供している現実はあるものの、今だ、2ストエンジンを排除しているモトクロスレースが多く存在している規則に困惑し、市場は末端ユーザーの選択権を増やすべきとする声は全くの正論であろう。1998年、ヤマハが4ストロークエンジン搭載のモトクロスマシンを上市して以来、2ストロークエンジンを閉め出すルール化となった。しかし現実には、構造がシンプルで取扱い軽量、加えて瞬発力があってコストパフォーマンスに優れたモトクロスマシンを市場(特に、モトクロスやオフロードの大市場である米国)は求め続けていること、それが、現在の市場が求める2ストマシンだと、多くの雑誌社が幾つかの誌面を割いて書き続けている事実からも読み取れる。2ストロークエンジン付きモトクロスバイクを開発供給してなんぼ儲かるんだと言う冗談めいた話を過去、聞いた事あるが、今度は4ストロークエンジンが電動モーターに置き換わる可能性に、市場は常に変化しているのだろうから、どのように対応していくかを予測するのは面白そうだ。
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ある形のZ1評価

2020-11-13 06:22:14 | 二輪事業
「大槻幸雄博士の日本自動車殿堂入り記念グラス」
先日、川崎重工業OBの大槻幸雄博士が「日本自動車殿堂入り」された記念品を、当方もお裾分けで頂いたと書いた。
大槻さんは、カワサキが誇るカワサキZ1(1972年に生産開始)の開発総責任者として有名だが、二輪の開発や二輪レースの責任者でもあり、その後ガスタービンエンジン開発・販売にも深く関与され、その経緯は大槻さん本人の著書「純国産ガスタービン開発物語」(617ページの大作)として単行本が刊行されている。

Z1は当時の二輪車事情からすれば画期的な二輪で、’72年に発売されたZ1が世界の二輪を代表する機種として君臨していく過程で、Z1の優秀性を市場にアピールすべくプロモーションが次々と計画され成功した。例えば、Z1が発売開始された翌’73年、デイトナスピードウエイでの24時間スピード記録挑戦したのも一例。その都度、Z1は驚嘆すべき性能を発揮し、主戦場だったアメリカ市場で、”Z1はパフォーマンスバイクの代名詞”となっていく。加えて、著名なチューナーによって更に性能向上され、過酷なレースにも耐え続けることで、持てるポテンシャルを如何なく発揮し、Z1の基本性能の優秀性と耐久信頼性を更に高め、「パフォーマンスバイク」の名を揺るぎないものとした

ところで、Z1の優秀性を示す資料として、競合他社の技術者が話る一節があったので紹介したい。
その後のZ1は競争相手から常にマークされ開発のベンチマークとなっていくのだが、次の資料も、優秀な商品を開発し続けた二輪企業のチームが、如何にして開発したマシンの優秀性を市場に訴えたかの記録である。ある開発機種の超えるべきターゲットはZ1で、そして市場に訴求するやり方がZ1類似なのが面白い。元スズキ二輪車設計責任者であった横内悦夫さんが、出身の宮崎の宮崎日日新聞に連載した、「世の中の流れを変えよう」 だ。下記は「世の中の流れを変えよう」の中から、文章の一節。

 「昭和51(1976)年の・・・・以下略
マシンの速い・遅いは結局比べてどうかの話だ。・・・(略)テストの最終日は、夕方、私たちは一週間、3,200キロのテスト走行を終え、ロサンゼルスに戻った。翌朝、全員でミーティングを始めると、パフォーマンスバイクのことが話題になった。テスト走行の経過から見て、スズキGS750だと思ったのに、カワサキ900ccZ1がパフォーマンスバイクだという。この世の中で最も優れた速いバイクをパフォーマンスバイクと呼び、それがカワサキだというのである。

 「パフォーマンスバイクを考える上で、過去に私は貴重な体験をしている。
1972年10月、・・・・以下略  西ドイツでの走行テストが終わって、4人のヨーロッパのライダーたちとパフォーマンスバイクについて話し合ってみた。最初はまとまりのない話ばかりが続いたが、メンバーの一人が耐久レースの話を始めた。すると、みんな話に乗ってきた。耐久レースとは、24時間連続して走るという過酷なレースだ。中でも、フランスのル・マン24時間が有名である。」

 「フランクフルトから南へ三十分ほど走ったヘッペンハイムだ。
まずはアウトバーン(高速道路)でテストしようということになった。この時代のアウトバーンはどこでも超高速で走ることができたからだ。時速200kmのスピードは、テストコースでは怖くないが、アウトバーンという混合交通の中では速度感がまったく異なり、恐怖さえ襲ってくる。橋などのわずかな路面の継ぎ目も、時速200kmともなると、大きな衝撃となって車体を突き上げる。これをきっかけに車体が左右に振られる。この挙動が増幅すれば、転倒という悲劇の二文字が待っている。一人乗りで問題ないことを確認した後、二人乗りでのテストに移った。ではなぜ、二人乗りで時速200kmもの高速テストを公道上で行わなければならないのか。答えは簡単で、数多いお客さまの中には、ほんのわずかだが、所有するオートバイにその能力があれば、時速200kmで二人乗りする人がいるからだ。私たち開発者が最初に考えなければならないのが、お客さまの安全を守ることなのである。」

 「“安全で世界最速のパフォーマンスバイクを造ろう”が基本の発想だ。まずエンジンパワーが強力でなければいけない。半面、パフォーマンスバイクは、ただ速いだけでなく、乗り心地の面でもトップレベルでないといけない。大陸横断や縦断の相乗りロングツーリングで疲れの少ないものにする必要があるからだ。・・・(略)・・・  ’76年、カワサキZ1に対抗できる1000ccを造りたいとの要望が提案されていた。翌年の9月に、ほぽ目標通りのGS1000の最終試作車が完成。評価ライダー、その中には「スズキはパフォーマンスバイクではない」と言ったボブ・クレーマーもいた。例によって、ロサンゼルスをたち、サンフランシスコに向かう。ゴールデンゲートブリッジを渡り、レークタホで一泊。翌日カリフォルニア山脈の東を南下、国立公園ヨセミテの山間道で走行テストをした後、3泊4日の行動走行試験を終えた。バイクのことに詳しいボブ・クレーマーらに評価を求めると、「これは立派なパフォーマンスバイクだ」との答えを得た。次いで私は、GS1000を世界にアピールする手段を考えることにしたのである。」

以上はZ1を超えるべく開発されたGSX1000の話だが、今は良く知らないが、かってのAMAロードレースでは、どこのサーキットでもスズキのバイクが溢れ、スズキ主催のレースも開催され、スズキの草の根活動が成功し、米国市場で「パフォーマンスバイクといえばスズキのGSX」という時代があり、それは永く続いた、と記憶している。
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KX500@Motocross Action、2020

2020-08-19 06:30:01 | 二輪事業
今日(18日)の新聞、市場は織り込み済みでおおむね無反応に近いのに、コロナ禍によるGDP 27.8%縮小は戦後最悪、過去最悪、史上最悪と言うビックリ表現の記事を見ながら、他のネット記事を読んでいると、KX500に関するビックリ記事があった。

今日(18日)の米国モトクロス専門ネット誌Motocross Actionは「TWO-STROKE TUESDAY | 1988 KX500 ENGINE SHOED INTO 2003 KX250 CHASSIS」を取り上げている。 KX250の最終年度の鉄フレームにKX500の改造エンジンを搭載したバイクの話。
「The 500cc conversion to a later steel frame is fairly straightforward, and the results are well worth it. The big two strokes have a ton of torque and are easier to ride than you think. You won’t regret buying one.」として、「KX250バイクの鉄フレームにKX500エンジンを搭載するのは至極簡単な作業で、その効果は充分価値あるものだ。どでかい2ストロークエンジンのトルクは思ったよりコントローラブルで乗りやすいバイクになった」と言うところだろう。KX250の旧フレームとKX500の旧フレームは殆どが共通部品で構成されていたので、KX500エンジンはKX250フレームに簡単に搭載できる。ここ数年、30数年前に生産中止したKX500エンジンを使ったモトクロスバイクに関する記事をモトクロス専門誌でよく見かけるのは、多くのモトクロス愛好者や読者は依然としてかってのモトクロスバイクの王者たるKX500エンジンに単純に憧れがあるのだろうと、かってに想像している。 
      「KX500、MotocrossAction」
2016年の米国の著名MX専門誌「DIRT BIKE」が「KX500: THE ONE BIKE TO RIDE BEFORE YOU DIE」として、”死ぬ前に一度は乗るべきマシン、KX500”と言う記事を投稿していた。当時の一担当者として、その記事を読んでの感想をブログに書いたが、度々ブログを読んでくださる読者もおられるようなので再投稿してみようと思う。

当時、カワサキのモトクロスマシンは他社に先駆けてKX60からKX500までフルラインアップし、多くのモトクロスファンの期待に答えていた。加えて、KXを基本に開発したエンデューロ・マシンもラインアップに揃えていたので、日本の二輪企業のなかでは最も多くのオフロードマシンを世界中に供給していた。その最上級排気量クラスマシンがKX500で排気量は499cc。KX500の活躍は、2015年9月にも「Mmotocross Action」が取り上げていたものを本ブログKawasaki KX500に書いたが、1989以降の最上位排気量クラスのレースではカワサキの独壇場で、当時、米国では最も多くのチャンピオンフラッグを獲得したマシンとして評価されている。

専門誌がKX500の戦闘力を高く評価してくれるのは嬉しいのだが、開発を担当した一員として振り返ると、KX500ほど難しい開発はなかったと言う記憶が残る。なにせ、今、振り返って昔を思い出しても、2サイクル500cc単気筒エンジンの開発は難しかった。2サイクルエンジンの制御機構が無い時代に、シリンダー、エキゾートパイプと気化器で、有り余るエンジンパワーをコントローラブルな特性に纏めるのが難しい。この時代、2サイクル500cc単気筒のパワーをコントロールできる選手は世界中探しても5指もいない時代で、誰でもコントロールできるエンジンパワーではなかったのは確かだろう。日本と米国の社内評価ライダーの評価は手厳しく、もっとコントロールできるパワー特性にしてくれと強く要求した。ベンチマークにしていたホンダCR500は一般評価ライダーの評価は素晴らしく、評価ライダーはCR500以上のエンジンコントロール性をいつも要求するが、これが困難で、一時はKX500エンジンの出来の悪さを自虐的に考えてしまう時期さえもあった。だが、いざ本番レースになるとトップライダーが乗るKX500の持つ戦闘力は群を抜いて素晴らしかった。つまり、乗るライダーによって評価が異なっていたのだ。その証左の一つに、「Racer X online」は、カワサキワークスRon Lechienが「1988年Motocross des Nations」に出場した際の、 LechienがKX500を絶賛していた記事を書いている。

加えて言えば、カワサキのワークスライダー Jeff Ward がKX500で米国で当時流行していた、「Superbikers」に出場し何度も勝ったと言う事実や、当時内燃機関研究の先端研究所ベルファストにある大学のブレイア教授にも請われてKX500エンジン数台を研究用に送ったこともある。このように、KX500エンジンは実際は、研究者さえ欲しがる汎用性があり優秀だった。更に、KX500の能力の高さを目の当たりにしたのは、当時アメリカの某社ワークスライダーであった、某著名ライダーを世界モトクロス選手権にカワサキで参戦させるべく、彼が常時使っていたカリフォルニア・ランカスターのMXコースでKX500のワークスマシンを試乗させた際、彼の特別仕様ワークスマシンより、彼用に仕様を合わせていないKX500が4秒速く走ったことだ。現地でこの試乗に、実際立ち合ったので良く覚えている。

だが、月日が経って歴史を振り返って思い出すのは当時の自虐的にさえなった苦労ばかり。こうして多くの専門誌がKX500の、その優秀性を語ってくれることで、やっぱりKX500は凄かったんだと思いだしても微かに微笑みが浮かんでくる程度でしかなく、頭の中を占めているのは苦労し悩んだ事のみが先に出てくる。
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RICKY CARMICHAEL’S 1998 SPLITFIRE KX125

2020-07-18 06:24:19 | 二輪事業
 7月16日の米国専門ネット誌”Motocross Action”がMXA RETRO TEST: WE RIDE RICKY CARMICHAEL’S 1998 SPLITFIRE KX125を投稿している。これは米国モトクロス史上最高選手と評されるRICKY CARMICHAEL選手が、カワサキのKX125でチャンピオンを獲得し続けた時代の車を、今の専門誌専属ライダーが評価した記事であるが、読むとなかなか面白い。暫らくしげしげとCARMICHAELのKX125マシンを眺めていたが、このKX125のデザインはよく出来て秀逸ものだと改めて感じた。人それぞれ感じ方や思いは違うので、誤解されるかもしれぬが、今の時期に市場に出しても多くの愛好家が振り向くと思う、そんな優れたデザインのモトクロスマシンだと実感した。当時のモトクロスマシンは2サイクルエンジンが圧倒的に主流で、外装のプラステックデザインも極力小さくかつ滑らかにと、変なアクセントを付けずかつライダーの動きを邪魔しないで、それでいてカワサキ最先端の戦闘マシンで有ることがデザイナーに要求された。後部ゼッケンも極力小さくしたかったが、規則があるので小さくできず、これとバランスをどうとるのかデザイナーの腕次第。
    「Motocross Action」

一方、 RICKY CARMICHAELが所属したカワサキの「PRO CIRCUIT KAWASAKI」の活躍はカワサキの「KAWASKI DIRT CHRONICLES(現在、消去されているらしく、探せない)」に詳しく記載されていた。下表に示すように、カワサキ車で多くのチャンピオンを獲得することで、KX125のマシン性能を遺憾なく発揮させ、その優秀性を証明してくれた、カワサキモトクロスビジネスにとっても最大の功労マシンだ。
 
    「緑色はプロサーキットカワサキの勝者:KAWASKI DIRT CHRONICLES」
加えて、「KAWASKI DIRT CHRONICLES」の章の一部に、プロサーキット「PRO CIRCUIT KAWASAKI」の会社をこう説明していた、「チームの母体となっているプロサーキットは、ロサンゼルス郊外のコロナにあるエンジン&サスペンションチューナーだ。2ストマシンが全盛だった頃は、特にチャンバーが高い評価を得ていて、アフターマーケットの大きなシェアを占めていた。'91年にホンダ系チームとして本格的なレース活動を開始した後、'93年からはカワサキの専属チームになったが、プロサーキットのショップでは今でも全メーカーのチューニングを手がけている。 ペイトン社長は、チャンバー作りの全工程に携わってきた職人だ。輪切りのコーンパイプでテストを重ね、モナカのスタンプパイプが完成するまで、自身が蓄積したノウハウで突き進む。エキゾーストの仕様が決まった後は、シリンダーのポート削りに没頭する。こうして2ストチューナーとしての名声を築いたプロサーキットだ。」

もう22、23年前の事だが、懐かしい!
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コロナ、二輪販売が伸長したのは本当だった

2020-07-06 06:20:18 | 二輪事業
「The warehouses of distributors like WPS are busy places this year.:MotocrossActionmag」
7月3日、アメリカの有名なモトクロスネット誌MotocrossActionmagの「RUMORS, GOSSIP & UNFOUNDED TRUTHS: THE UNFATHOMABLE MYSTERY OF THE PANDEMIC & BIKE SALES」に、THE BIGGEST MYSTERY OF THE PANDEMIC: MOTORCYCLES SALES SOARとあった。「パンデミックの最大の謎:オートバイの販売が急上昇」と言うところか。
「According to the MIC and Lightspeed DMS sales figures, motorcycles sales were up 60.7% in May of 2020 versus May of 2019. Average revenue for motorcycle shops jumped up 51% over last year, while parts sales jumped 16.4 %. The only negative number was in the service departments which were down 6%. In addition to seeIing impressive and mysterious sales numbers are reports that aftermarket suppliers, distributors and and accessories companies are having the biggest sales months of their history in the midst of the coronavirus outbreak.」
MICおよびLightspeed DMSの売上高によると、2020年5月のオートバイ販売は2019年5月と比較して60.7%増加した。オートバイ販売店の平均収益は昨年より51%増加し、部品販売は16.4%増加した。唯一のネガティブはサービス部門で6%減。コロナウイルスの発生の真っ只中に、アフターマーケットのサプライヤ、ディストリビュータ、およびアクセサリ企業は、過去最大の販売を記録した。
「The most common explanation is that during the lockdown period, when people had nothing to do and no place to go, they turned to motorcycles for fun, exercise and a chance to get away from the world’s worries. Contributing on the street bike sales side was that public forms of transportation had been cut back in many regions and that commuters were wary of the crowded spaces of trains, planes and buses. Bikes represent a unique form of transportation that came with built-in social distancing.」
コロナパンデミックの最中に、バイク販売を大きく伸ばした要因は、多分、ロックダウン期間中、人々が何もすることも行く場所もないので、バイクに熱中したようだ。ストリートバイクの販売面での貢献は、多くの地域で公共交通機関が削減されたことでバイクの効用が見直されたのだと思う。

米国でもコロナパンデミック騒動で自動車の販売が大きく毀損し、世界の自動車生産工場が一時閉鎖されたとの報道に、二輪も大きく影響を受け、二輪の販売も大きく落ち込んだとばかり思っていたが、販売の末端は違って、米国での二輪の販売、特に小型のプレイバイクの販売は大きく伸長したようだと、MotocrossAction誌は書いている。が、即座に信じられず、そ~かなと思って暫くは信じられずにいた。

ところが、4日の産経ネット誌に、二輪車、コロナ禍でも底堅く 3密避ける通勤で需要増とあった。この記事によると、ヤマハ発動機の日高祥博社長は5月29日の決算記者会見で「2~3月は通勤で公共交通機関の使用を避ける動きがあり受注が良かった」と指摘したとある。「新型コロナウイルス感染症で自動車の販売が落ち込む中、二輪車の販売が底堅く推移している。「3密」を避けて公共交通機関の代わりに通勤や外出に使おうと求める人が増えているようだ。 全国軽自動車協会連合会によると、4月の軽二輪(排気量126~250cc)の国内新車販売台数は、前年同月比2・0%増の7772台で、4カ月連続のプラスだった。5月は10・8%減となったものの、5月の新車販売台数が44・9%減で5月として過去最低を記録した四輪車と比較すれば落ち込みは限定的だった。」と書いてあるのを見て、MotocrossAction誌の記事は本当だったのかと思った次第。

つまり、コロナパンデミックによって、結果的に二輪の有効性が認められたことになる。 NHK等のテレビ報道で、コロナパンデミックによって欧州の自転車販売に税の優遇政策が適用されたことで、街中を多くの自転車が走っているのを見て、オートバイはどうなんだろうと考えていたが、やはり、災害発生時のバイクの機動性は今回も生きていた。このあたりの考え方に、ヤマハが言う、人々は自分自身で所有する2輪車や小型4輪車などの「パーソナルモビリティー」を欲する方向で、これは、アフターコロナの世界でヤマハがポジティブに捉える部分であると思う。
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