しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

子供の間食

2024年03月29日 | (冷蔵庫が家になかった時の)食べ物

イモ・あられ・豆は、ほぼ年中あった。

果物
一家の生計を立てるものが、果物であったので、
その傷もの・変形ものが夏の間食になった。
・・・桃・葡萄・スイカ・ナシ瓜・枇杷・サトウキビ・ナンバ・イチジク・柿・ミカン・・・。

野山のもの
ビービー・シーシー・さるきん・野イチゴ・ナツメ・ニッケ・

川・池のもの
トーチカ

海のもの
ツブ・ドンガメ

家のもの
おやき・ハッタイコ・

買うもの
飴玉・アイスキャンデー・ニッケ紙・

買えなかったもの
ミルキー・・・不二家のペコちゃん・ポコちゃん。あれを食べるのは、憧れだったな。
チョコレート・・・中学か高校生になって初めて食べた。(チューインガムのロッテがチョコレートを作りだした頃)


「岡山の食風俗」 鶴藤鹿忠 岡山文庫   昭和52年発行

子供の間食

冷や芋、蚕豆や大豆の炒り豆、
春にはユスラ、ビービー、苺、スモモ、フームーサー、野苺、イタドリ、竹の実・・。
夏には、桑の実、野苺、オオカワイチゴ、ホンボロイチゴ、ビワ・・・。
秋には、トウガキ、ザクロ、アサダレ、ヤマブドウ、ナツメ、ニッケー・・。
冬には、アラレ。

 

「北川の民俗」 北川の昔を訪ねる会 令和4年発行


子どもの頃の食べもの
おやつとしての果物など

昭和30年頃の果物については、大変に多い。 
大抵の家には、 お菓子になる植物が植えてあるのだ。 
子供も大人も食べる。 
桃、ビワ、 サトウキビ。 
サトウキビとは、砂糖を絞るための植物。 
この茎を10 センチぐらいに切って、口に入れて噛んで汁を吸う。 甘いのである。 
イチジク、ザクロ、甘柿、グミ(ビービと言っていた)、ユスラ梅、 桑の実(桑イチゴともいう)、ナツメ。
野には、アケビの実、とか山ブドウが。 
近くの人から梅雨の頃、スモモを貰っていた。

 

 

「矢掛町史」 矢掛町 昭和55年発行

こどものオヤツ
豆類が多く、ソラマメ、ダイズのいりまめ、あげまめ。
砂糖というのは、玄米またはもち米と大豆のいったも 砂糖(Fブザトウ)で固めたものである。
山野のものとして、アサダ、ダイビ、アケミ 山ナスなどを採った。

「鴨方町史民俗編」  鴨方町  昭和60年発行

子供の間食

春には、グイビ(ナワシログミ)やユスラ(ユスラウメ)ノイチゴ(ダイイチゴ・ナワシロイチゴ)・キイチゴ・マスイチゴ(カクミノスノキ)・シャッポン(イタドリ)・シイトー(スイバ・シイナ・ギシギシ)のとう・スモモ・ズンベー(ズンバエ)といって、ノボセ(チガヤ)の穂などを食べる。
ズンベーの白い地下茎をカンゾウだといって噛んだ。
竹の皮を三角形に包み、なかに梅漬けのシソを入れ、角から吸う。
カッコウといった。
炒った大豆やソラ豆・アラレ・カキ餅なども間食であった。
大豆とアラレ、または大豆とアラレと干し飯を一緒に炒ることもある。
また、砂糖をまぶすこともあった。

夏には、ビービー(ナッグミ)の実・サトウキビ・スイカ・マクワウリ・ヒンの実などである。

秋には、ヤマブドウ・ヤマナスビ(ナツハゼ)・アサドリ(アサダレ・アキグミ) ・カキカキのずくし・ミ カン・キンカン・アケビ・ガラビ(エビズル)・桑の実などを食べ、松の幹にできたこぶに出る甘い樹液を蜜といい、ササですくいとってなめた。
松ビービー(マツグミ)といって、松の木に寄生しているヤドリギの赤い実を食べたり、青い実はよく噛んで、口の中でトリモチ状に伸ばしたり、ふくらませたりして楽しんだ。
集落に一本程度あったニッケイの根を掘って、根を噛んだり、葉柄も噛むことがあった。
ゆでたクリや 蒸したサツマイモなども間食であった。
風呂をわかすと、しばしば焼き芋にした。
サツマイモの皮をとって輪切りにしてほうろくに並べ、少量の塩をふりかけ、鍋蓋でおおい焼く。
芋せんべいといった。

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