昆虫を食べたことはないが、年上の人は戦時中にバッタを「捕っていた」というようなことを言っていた。
母の話だと、茂平は農村なのでバッタを食べるほどの食糧難ではなかった。
飢えて食べたのか、害虫を取るのが子供の努めだったのか、学校か役場に供出したのかは不明。
下記↓に出ているうち、タニシは美味かった。
カエルのうち食用ガエルは飛び切り美味かった。
いまでも、その美味を思い出すほど美味かった。
「日本の風土食探訪 市川健夫 白水社 2003年発行
動物性食品としての昆虫
現代日本人の多くは昆虫食と聞くだけで、「悪食」とか、「如何物」だと思っている。
しかしかつて 虫は貴重な動物性蛋白源であった。
世界的にみても、東南アジアの山岳地帯、メラネシアのニューギ ニア、アフリカなど焼畑耕作を営む発展途上国では、昆虫が常食になっている。
特に焼畑耕作の端境期には、虫は欠くことができない食料である。
日本は全国的には昆虫食が盛んであるとはいえないが、地域によっては虫がよく食べられていた。
大正8年(1919)、農商務省農事試験場の調査によると、全道府県のうち宮城・富山・大阪・香 川など四府県を除いて昆虫が食用にされていた。
食用昆虫の数をみると、長野県が17種で最も多く、山口県 (12種)、山梨県(10種)、山形県・愛媛県(以下各8種)、福島県・埼玉県・奈良県・福島県(以下各7種)がこれに次いでいる。
いなご
全国的に食べられていた昆虫に、蝗がある。
稲作の害虫である蝗は、全国の水田に棲息していた。
つくだに
昆虫の中では見た目にもよいので、よく佃煮にして食べられてきた。
第二次大戦後、殺虫剤の大量消費とともに、蝗はほとんど姿を消したが、農薬の投下の抑制とともに復活した。
タニシ
田蝶は水田に棲む淡水性の巻き貝である。
貝殻をとって佃煮にして食べられたが、弾力があって実にうまい。
しかし、第二次大戦後、農薬が使われるようになってから、 田螺は水田から姿を消した。
さかな
沢蟹は淡水性の蟹で、水の清い渓流の礫の間に棲んでいる。
この沢蟹を天ぷらにしたり、あるいは 油で空揚げにして、酒の肴にしている。
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「日本の風土食探訪 市川健夫 白水社 2003年発行その3
蚕
養蚕は蚕の飼料になる桑の栽培を行ない、桑の実を収穫して蚕に与えて成長させる生業である。
蚕の幼虫は、黙々と桑の葉を食べて大きくなり、30~40日間で五齢を迎え、糸をはいて繭をつくる。
その直前の蚕は体の内部まで透き通って見えるが、それは繭殻をつくる蛋白質である。
伊那市では上簇間近い蚕を缶詰にして売っている。
見た目は姿、形ともに不気味だが、栄養の点では 蛋白質に富む高級食品である。
残った蛹は鯉などの飼料や肥料にされる。
しかし蛋白質や脂肪が多いので、缶詰にしても売られている。
カマキリ
カマキリの種類は多いが、蝗と同じようにして食べられる。
薬用としては幼児の癖やリューマチの鎮痛剤などにも用いられている。
かえる
昆虫ではないが、両棲類の蛙も古くから食べられてきた。
香川県讃岐平野の溜池ではアメリカから 導入した食用蛙が飼われている。
日本の在来種で一番うまいのは赤蛙で、鮭のような味がし、刺身にして食べられている。
これもまた子供の痔の薬としても用いられている。
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長野伊那谷Web
国民的昆虫食「イナゴ」
日本の昆虫食の中で、もっともポピュラーな虫といえば「イナゴ」。
昆虫食にあまり馴染みのない人でも、
「イナゴだけは食べたことがある」「子どもの頃食べた」「おばあちゃんの家で食べた」などと話す人もいます。
1919年に昆虫学者、三宅恒方氏がまとめた報告書によると、イナゴは国民の50%以上が食べていたとされ、
いわば国民的昆虫食でした。
当時はイナゴだけでなく、蜂の子・カイコのサナギ・カミキリムシ・タガメなど55種類の昆虫が食べられていたとされています。
(出典:「食用及薬用昆虫に関する調査」三宅恒方)
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