しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

間食・副食

2024年03月31日 | (冷蔵庫が家になかった時の)食べ物

間食と副食の区分がよくわからないが、
主食の補助としてみると
イモ、それも「ふかし芋」がまっさきに思い浮かぶ。

「ふかし芋」はいつも戸棚にあったので、つまんで食べていた。
たまに「おやき」をした。
「はったい粉」も粉に水か湯をいれて簡単にでき、よく食べていたが、
甘みがなくサッカリンをいれた。
稀に砂糖をいれた「はったい粉」は、それはそれは美味かった。

 

・・・

「金光町史民俗編」 金光町 平成10年発行

間食


店で売っているお菓子といえば、煎餅やこんぺい糖飴玉ぐらいで、大正時代には、二銭で大きな飴玉が四つ買えた。
子供のおやつとはいえ、お菓子を買って食べることはまれであった。
一般的なおやつは、大豆やソラ豆をコウラ(ほうろく)で煎ったもの、氷餅を焼いたり、あられを煎ったものであった。
氷餅は正月餅と一緒にまたは寒の内に餅を搗き、のし餅にして少し固まった時点で薄くへいで(はいで)長方形に切り、 干したものである。
砂糖で味付けしたもの、胡麻の入ったもの、豆板といってたくさんの豆が入ったものもあったが、
焼いたときに膨れやすくするため重曹を入れていた。
また、あられは餅を賽の目に切ったものである。
少し時間にゆとりがあれば、大豆や黒豆と糯米を煎ってぎょうせんにからめたり、おねり(主食の項 参照)も作った。
また、家の庭先や近くの野山にある桑の実、グミ、ユスラ、イタドリなども子供たちのおやつで、友達と遊びながら食べるのは楽しいものであった。
大人たちの間食といえば、大正十年ごろまでは沢庵を摘まみながら番茶を飲み、一息ついていた。
ソラ豆ができれば塩ゆでにして田圃へ持っていき、おやつにした。


「金光町史民俗編」 金光町 平成10年発行


副食

農家、商家を問わず、日常食の副食は四季折々の野菜類や豆類、
町内でとれる淡水魚、行商に来る魚屋から購入する小魚類が主体で、あくまでも地元で自給できる食材料が中心であった。
そして、「ばっかり食」という言葉に代表されるように、収穫時には同じ材料が毎回の食事に登場した。
忙しい田仕事の合間に作られるおかずは、手間のかからないものばかりであった。

 

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「鴨方町史民俗編」  鴨方町  昭和60年発行

炒り粉 
炒り粉と呼んでいるが、麦コガシ・ハッタイコともいう。
裸麦をほうろくで炒って粉にしたものを茶碗に入れ、塩または砂糖を加えて、熱湯あるいは水を注いで箸でかきま
ぜて食べるる。

流し焼き
小麦粉を鍋または鉢に入れて水でかくか、砂糖を加えてかきまぜ、 ほうろくに流して蒸して食べる。

 

 

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