しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

宇垣内閣の流産

2018年01月11日 | 昭和11年~15年
板野潤治「昭和史の決定的瞬間」ちくま新書2004年発行より転記

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昭和12年1月末、宇垣一成が天皇に組閣を命じられながら、陸軍大臣を得ることができずに流産した。
それから半年もしない7月7日に盧溝橋事件が勃発し、それが日中全面戦争に発展し、さらには昭和16年の太平洋戦争に突入していったことを振り返れば、この内閣の流産は日本の将来にとってまさに致命的であった。

陸軍長老の宇垣を総理とし、戦争とファシズムを阻止しようとする構想は、民政党と政友会の二大政党の一部によって昭和6年の満州事変以来、一貫して抱かれていた。

宇垣は「反ファッショ」の覚悟を決めて組閣に乗り出した。
「私は今、ファッショか憲政か分岐点に立ちありと信ずる。
震源地は陸軍にある。
これを脱線させぬように、犠牲になってもやる」
宇垣内閣を流産させたのは石原莞爾を中心とする陸軍であったが、もう一人の犯人は湯浅内大臣であった。(226事件で内大臣が殺された事)

1月25日の組閣大命から29日に断念した。

歴史的に見れば、
半年後の日中戦争を回避できたかもしれない宇垣一成の組閣に際して、天皇側近や元老西園寺公望には、この内閣が戦争回避のための最後の橋頭堡だというほどの認識はなかった。
気軽にその失敗を受け入れたのである。





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占守島①

2018年01月11日 | 占守島の戦い
浅田次郎「終わらざる夏」集英社文庫2013年1刷より転記

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「千島列島に占守島という小さな島がある。
札幌の第五方面軍司令部からは遥かに離れ、91師団司令部も手前の幌莚島だ。
しかもその占守島には、最新鋭の戦車連隊と一個旅団、一万三千の精兵がいる。
本来なら本土決戦用に転用して然るべきだが、四十輌もの戦車を輸送する船腹がない。
実にもったいない話だが住民もいない北の孤島に、帝国陸軍の精鋭部隊が奇跡的に無傷のままあるというわけだ。
こうした場所にはともかく英語に堪能な兵隊を送っておかねばなるまい」

昭和18年5月アッツ島が玉砕した時、米軍が千島列島を南下すると考えられた。
そこで急遽、第91師団の動員を下令し、満州から戦車連隊まで転用して上陸に備えたのだが、米軍はついに千島にはやってこなかった。

占守島という千島列島最先端の島に、まさしく奇跡の帝国陸軍が残されたのである。

「米軍ではなく、ソ連が来るということはありませんか」
「ある。
だが、樺太と満州に限定されるだろう。わざわざカムチャッカから輸送船を出して、北千島に上陸するほど暇でもあるまい」

国土として価値も薄い北千島に、ソ連が米軍の頭越しに上陸してくるはずはあるまい。

「まあ、万一の為、通訳を出しておかねばならんという好例だ」











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