不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

満州国・国籍法不在の後遺症

2018年01月10日 | 昭和11年~15年
近所に住むおばに
結婚して満州に渡る時の国籍のことを聞いたことがある。
「さあ?・・・・
知らん」という返事が返った。

満州国に国籍は無かった。


太田尚樹「満州帝国史」新人物往来社2011年発行 より転記

cccccccccccccccccccc


満州国には最後まで国籍法が制定されなかった。
入植した日本人は、日本人のままであり、日本の兵営義務が適用された。

日本人が満州国籍になれば二重国籍になる。
日本人であるが朝鮮人が包含されている。
満州国に流入した漢民族にも一律に与える不条理さ。
などの理由である。

さらに白系ロシア人がいた。
コミンテルン指導下のソ連から遊離した、根のない浮き草のような中途半端な存在であった。
ロシア人を入れると満州族を五族から六族ににしてしまいソ連を刺激する。

「五族みな同じ満州人」であることに法的根拠を与えておけば、敗戦後に日本人が遭遇した悲劇も、もう少し違っていた可能性がある。
国籍法不在の禍根は、いまも中国側から「偽満州」「傀儡国家」のままになっている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

満州国・満州農業移民

2018年01月10日 | 昭和11年~15年
太田尚樹「満州帝国史」新人物往来社2011年発行 より転記

cccccccccccccccccccc


満州農業移民
拓務省による移民計画は、1932年に閣議決定された。
第一次移民の募集資格は、農業に従事している在郷軍人に限られた。
そこで「武装移民」とも呼ばれた屯田兵は、匪賊や抗日勢に対抗する任務を負わされていた。

石原莞爾主導の「満州移民百万戸計画案」が1936年、広田内閣で決定された。
農民の過剰人口が送られることになった。

新たな入植地は、既存の満州人の農地を強制的に買い上げ、日本の開拓団に与えられた。
当時の民間価格の1/10という不当に安い値段で、五族協和の謳い文句どころではなかったのである。

開拓農民を最も多く送り出したのは長野県、ついで石原莞爾の故郷山形県がつづく。
動機は、経済的困窮、行政の奨励、満州への憧れなどだったと指摘される。

しかし「被差別」から相当数が送られた事実がある。
宣伝文句は「満州に住めば差別は解消する」である。
被差別出身の多くは、終戦間際、満州の奥地にいたためソ連軍の進撃をまともに受け、全滅の憂き目を見る。
希望の新天地は、地獄だったのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

満州国「日本の生命線」

2018年01月10日 | 昭和11年~15年

太田尚樹「満州帝国史」新人物往来社2011年発行 より転記

cccccccccccccccccccc

満州は日本が国運をかけて建国しただけに一大国家プロジェクトとして動き出す。

新京、
駅前のヤマトホテル、国務院、経済部、満州重工ビル、満鉄支社、満州中央銀行、関東軍司令部、満映など。

満鉄あじあ号は、
大連、奉天、新京、ハルビンを結んでいた。

満鉄は、
撫順炭鉱、鞍山製鉄所、大和ホテル、さらに
豊満ダム、鴨緑江水電、満州重工業、昭和製鋼、満州浅野セメント、満州住友金属、満州沖電気。

五か年計画の重点目標は、
鉄鋼、石炭、液体燃料、アルミ、鉛、亜鉛、金、パルプ、兵器、飛行機、自動車、車両、電力であった。
計画実施の初年度に日華事変が勃発し、日満一体の開発計画が強化された。
この間、日産の総帥鮎川義介が、主力会社をそっくり満州に移転させ満州重工業をスタートさせたのも大きかった。
八幡製鉄所の石炭は内地産に変わり、北満の粘結炭が使われた。

1941年、第二次産業五か年計画がスタートした。満州国の産業は戦時下の日本を支えるようになる。
それまでの高粱畑・大豆畑に、工場の大きな煙突から太い煙が立ち昇る風景になった。















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

満州国・岸の人脈

2018年01月10日 | 昭和11年~15年

太田尚樹「満州帝国史」新人物往来社2011年発行 より転記

cccccccccccccccccccc

岸の人脈
岸が渡満した翌年、盧溝橋事件が起き、内地の戦時体制に呼応して、満州の産業開発にも滑車がかかった。

満州でもっとも親しくしていた軍人は東條英樹で憲兵隊司令官だった。
闇の部分を取り仕切る甘粕正彦とは刎頚の友だった。
阿片王といわれた里見甫(さとみはじめ)とも関わる。

官界では
大蔵省の星野直樹、古海忠之、松田令輔、内田常雄など。
農林省、商工省、内務省(人名略)が岸のまわりにいた。
メディア界も検挙にいとまない。
多くが戦後も、政治家岸を支えた。

「満州の二キ三スケ」のうち、三スケ(岸信介・松岡洋右・鮎川義介)とは、
長州人のうえに、姻戚関係でも結ばれていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする