しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

満州国・終焉に向かって

2018年01月17日 | 昭和11年~15年

太田尚樹「満州帝国史」新人物往来社2011年発行 より転記

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当時の満州で原油は採れなかった。
もし、産出されていれば、南方の原油を手にいれるために、無謀な太平洋戦争は避けられたのである。

鉱山の開発は急ピッチで進んでいた。満州各地の鉱山で必死でウラニウムの調査を行った事実がある。
原爆製造のためだった。
進駐したソ連軍高官が、満業総裁の高崎達之助に向かって、「まずほしいのは石炭だ。だがその前に、ウランはどこにあるのか」と尋ねたので、高崎は「その鉱山の所在をおしえた」と自叙伝に記している。

1944年の秋、関東軍精鋭はフィリピンの戦場に送られ、満州はがら空きに等しかった。
そして春が過ぎ、夏になると周囲は慌しくなり、落日に向かってつるべ落としで、奈落の底へ引き込まれていく。
1945年7月後半のある日、満州国東京駐在の武藤富男が、出張で満州に戻ってきた。
新京のヤマトホテルで甘粕と語り合った。
「ソ連の満州占領は早急に実現する見通しです」と伝えると、甘粕は
「戦局の見通しは、私も同意見です」と答えた。

東京に帰った武藤は8月10日朝、総理官邸で昔の部下からポツダム宣言受諾を知った。
そこで武藤は、満州総務長官へ暗号電報で知らせようとしたが、官邸の電信室は憲兵隊に押さえられて、叶わなかった。

(管理人記・すでに8月9日午前0時0分、ソ連軍は満州侵攻を始めている)




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