「陸軍部隊戦史」新人物往来社・2001年7月発行より転記する
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幌莚島のすぐ北方にある占守島へ日本降伏の三日後に、あたかも降伏は認めないかのように不当にもソ連軍が攻撃をしかけ上陸してきた。
占守島の部隊はこれにたいして徹底した自衛戦闘を展開し、最後はソ連軍約6.000名を海岸に追いつめ、崩壊寸前の態勢で矛を収めた。
日本軍死者数百名にたいして、ソ連軍は三千名以上が戦死した。
停戦に際しソ連上陸司令官は「日本軍が総攻撃しなかったことに感謝する」と述べたほど、近代戦まれに見る水際殲滅戦と言われる所以である。
万一占守島の日本軍が無抵抗でソ連軍に明け渡していたら、勢いに乗じて北海道に上陸していただろうし、あるいは東北地方まで占領地を広げていたかも知れない。
実際、占守島の占領後もソ連軍は武力で千島列島を侵攻し続け、8月28日は択捉島、9月1日は色丹島、5日に水晶島と進み、そこでようやく止まった。
北海道まであと一歩という地点である。