しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

満州国樹立

2018年01月09日 | 昭和元年~10年

太田尚樹「満州帝国史」新人物往来社2011年発行 より転記

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1932年3月9日、新京市で盛大な満州国建国式典が開催された。
粛然とした満場に司会から、
「執政宣言!」の声がかかると、溥儀は宣誓文を読み上げた。
こうして満州国はスタートした。

周りを見渡せば、
米国は経済恐慌で国内釘付け。
ソビエトは社会主義建設に躍起に第一次五か年計画の途上。
中国本土は内戦で、満州との国境には手を出せない。
その間隙を縫って、関東軍は満州のほぼ全土を占領して満州国とした。

だが、これからは国際世論、国際連盟も黙っているはずがなく、前途多難を思わせる船出であった。

その一方で、閉塞状態から抜け出ようとする時代のうねりに乘って、満州に一大国家プロジェクトを立ち上げる英知と技術が待ち構えていた。
日本民族の大きな夢は、大陸にはばたいていったのである。

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占守島の戦い(小説・「8月15日の開戦」)

2018年01月09日 | 占守島の戦い

占守島はアメリカ軍に対峙していたが、ソ連の参戦、玉音放送後は、ソ連軍が敵国となった。

占守島を守る杉野巌旅団長は、
小説では杉原巌旅団長として登場する。


池上司書「八月十五日の開戦」角川書店 平成12年発刊より部分抜粋転記する。

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昭和20年8月16日
「司令官!来ました!」
『即時戦闘行為を停止すべし、但し停戦交渉成立に至る間、敵の来攻にあたりては、止むを得ざる自衛のための戦闘は妨げず』
桧山は文面の空虚さに呆れ果てるしかなかった。


昭和20年8月17日

略。


昭和20年8月18日
深夜0時の竹田浜は静まり返っていた。
時折、金属的な音が聞こえた。
村尾少佐は起きていた、旅団司令部からは相反する二つの命令を受けていた。
敵が、降伏と武装解除はそれに従う。
しかし、交渉を経ずして戦端が開かれた場合、迎撃する。

初動の方針を誤ると、作戦全体を崩壊させる危険がある。
敵より先に発砲すれば、国際法違反と、命令に反することになる。
竹田浜正面に国籍及び種別不明の戦艦が接近中である。

占守島の竹田浜は、間断なく火柱を立てていた。
0時55分、いよいよ敵の上陸だ。
幌莚の師団司令部では、竹田浜の単独作戦に切り替えた。

杉原旅団長を乗せた兵員輸送車は暗夜の道を時速35kmで戦場を目指していた。
鬼瓦のような風貌に加え、長身で厚い胸板の杉原は、まるで阿修羅のようであった。
午前2時40分、杉原巌少将は四嶺山に到着した。「状況を聞こう」
「支えきれそうか?」
旅団長は状況を聞きたいのである。
兵力、火力は一点に集中しなくてはならない!
杉原は豁然と目を見開いた。

占守島の朝は早い。特に夏のこの時期は、午前3時ともなると夜明けと言っていい。

旅団の司令部は情報の統制が整いつつあった。
ソビエト軍機は出ていない。
「大いなる朗報だ」杉原は感嘆の声をあげた。
「師団司令部、方面軍司令部にも転電しろ。各陣地、各部隊の航空管制官にもだ、急げ!」




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