イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

「イワン・アサノヴィッチの”三丁目の夕陽“論」

2015-11-01 13:29:32 | 日記・エッセイ・コラム
日刊現代のウエブサイトで【小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明http://nkbp.jp/1kdAi9x 】 “人の値段が安いから「大家族」になる”という文章を読んだ。
 そこには映画「三丁目の夕陽」論が展開されていた。
小田嶋は、『隣近所の絆の否定はしないが、昭和30年代当時のああいう町や家族を復活させるためには、貧困と不衛生と治安の悪さも含めて、あの時代の負の部分を丸ごとよみがえらせないとならないはずだ。個人的には、そんなのはたくさんだ。』
と言い下している。

イワン・アサノヴィッチは昭和30年代の小学校時代は東京の江戸川区で育ちました。
筆者の言うとおり、貧しかったけれど隣近所が助け合う「相互扶助」「絆・連帯心」が豊で、下町の子ども同士はいつも集団で創意・工夫をしながら遊び合ったものでした。
そこには歴然とガキ大将が存在し支配・服従という上下関係もあった。持続的に引き継がれて行くことで良い意味での義理人情の任侠道みたいなモノも学びました。
また横関係では喧嘩・仲直り・信頼・裏切りetcと、子どもなりに人を評価し評価されたりする本質的な人間関係も学ばされました。
当時は何処にも居た当たり前の集団でしたが、今なら相当な悪ガキ集団に見られて仕舞うでしょう。
しかし、それは大人が偏差値で子どもの序列を決める世界ではなく、鉄腕アトムの正義や信頼・慈悲・約束・譲歩etcが大きな価値を持つ、子ども同士が間違いなく決める世界でもありました。
そんな経験は成人後の、団結や連帯を尊ぶ労働運動や政治活動を通して、自身を含めた庶民の共同利益を追求する私自身の生き方の原資になりました。
現象的には今のイワン・アサノヴィッチは「一匹狼」みたいに見えるかも知れませんが、実は人が好きで、無人島なんかにはとうてい住めそうにない人間なのです。
『格差はあって当たり前』とか『今だけ、カネだけ、自分だけ』 『あとは自己責任』という「新自由主義」という米国流マヤカシ路線が小泉・竹中時代に、迎合マスコミなどを駆使して大々的に喧伝されました。
これは今も続行されている、自民党であれ民主党であれ、従米政権の一貫した支配政策です。
庶民意識の分断は政権の意図的な思想操作によって為されているだけではなく、企業・会社の社員・従業員の「取り込み」によってもなされ、日本の隅々まで行き渡った情況です。それは常に政官財癒着構造の中でつくられてきたものだと思っているのです。小田嶋の言うような一筋縄的な分析は些か甘いと指摘せざるを得ません。