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2015夏 ドイツ/クロアチア/ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紀行 7:ザグレブ技術博物館の宇宙科学関連展示

2015-09-05 | 旅行記:2015 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ
Photo:ザグレブ技術博物館のカールツァイス・プラネタリウム投影機


6:ザグレブ技術博物館を見学するからの続き


ザグレブ技術博物館の本館2階展示室に登っていくと、先ずは天井から吊り下げられた宇宙機模型が出迎えてくれる。
世界の2つの超大国が冷戦期に威信を懸けて争った宇宙開発競争時代を象徴する、米ソの宇宙機のドッキング状態での展示だ。

展示されていた模型はかなり年季が入っていたので、おそらく旧ユーゴ時代から展示されているものと思われるが、ユーゴスラビアは共産主義国とはいえ冷戦期にはソビエト連邦とは反目していたせいか、ソ連に偏らずアメリカ側の展示もしっかり行っているのが興味深い。

とはいえ、展示フロアの真ん中に鎮座ましまして圧倒的な存在感を放っていたのは、ソ連が世界に誇った月面ローバーだった。



人類史上初めて月に送られた探査ロボット、「ルノホート」の実物大モックアップ。
説明パネルにはモックアップについての詳細は記載されていないが、かなり精巧に作られたものである。






「ルノホート」の隣には、ライバルであるアメリカの月ロケット「サターンV」の姿が見える。

ルノホートの奥には、これまたソ連の記念すべきロケットが。



「ボストーク」ロケットの模型。
このロケットは人類史上初の有人宇宙飛行となったユーリ・ガガーリン少佐を乗せた宇宙船「ボストーク1号」の打上げにも使われた。
これもかなり年季の入った模型だが、かなり手の込んだ精密な仕上がりになっている。


ロケットの台座には、ソ連のロケットの特徴であるぎっしり束ねられた「クラスターロケット」の構造がよく見えるように鏡が仕込まれているという丁寧さ。


ペイロードの衛星が搭載されている様子も見えるように、フェアリングが一部透明になっている。
展示スペースの隅っこに置かれて埃まみれなのが惜しい、実によく出来た模型だ。


そして、宇宙展示コーナーの真ん中にあるこのドーム。
これがザグレブ技術博物館のプラネタリウム投影ドームである。

…随分と小ぶりなドームだが、プラネタリウムの鑑賞は大人1名20クーナの博物館の入場料金とは別に一律15クーナの特別料金が必要だ。
そしてプラネタリウムの投影は一日一回のみ。間もなく、投影開始時刻の正午になる。
入場チケット販売窓口のおばちゃんに言われた通りにドームの入口前で待っていると、プラネタリアンの初老の男性が現れてドームの中に招き入れてくれた。


ドームの中では、小さなプラネタリウム投影機が待っていた。
「これは…!小さいけれど凄い名機だ。カールツァイス・イエナのZKP-1だ!!」


ザグレブのカールツァイス・イエナプラネタリウム投影機、プレートに刻まれたナンバーは164番。

この日のザグレブ技術博物館のプラネタリウムの観客は、僕以外には親子連れの父親と子供の3人だけ。
ZKP-1は調整にかなり手間取ったようで投影が始まるまでに15分ほどもかかったが、投影機本体の横に腰掛けたプラネタリアン氏が丁寧に慈しむようにカールツァイスを手のひらで包み込んで操作する様子を見ているだけで、僕は何だか胸が一杯になってしまったのだ。
そして始まった、カールツァイス・イエナZKP-1の生み出す星空の投影。
…それは、世界で一番小さいけれど世界で一番あたたかくて、心に染み入るような星空だった。

投影が終わり、後片付けを始めたプラネタリアンさんに「あの…ありがとう!素晴らしい投影でした」と英語で声をかけた。
プラネタリアンさんは東洋人から突然話しかけられたので最初は少し戸惑っているようだったが、僕がプラネタリウム投影機を指差して「カールツァイス・イエナ…VERY GOOD!!これは本当に素晴らしいプラネタリウムです」と言うと満面の笑顔で「これ、今年で50歳になるんだよ」と教えてくれた。
「50歳…ベリーオールド、バット、ベリーグッド‼︎」

片言の英語で少し言葉を交わしただけなのだが、やっぱりプラネタリウム好き同士、お互いに気持ちが通じ合うんだなぁ…
プラネタリウムってやっぱりいいな、星空には国境も人種も言葉の壁も、何も無いんだ。


とびきりの星空と一緒に、素敵な出会いと豊かな心をくれたザグレブの街のカールツァイス・プラネタリウム。
やっぱり、ザグレブ技術博物館に来てよかった!

でも、ザグレブ技術博物館はこれだけで終わりではない。
ここには、僕が敬愛する天才発明家の功績を称える展示もあったのだ。
数々の脅威の発明で世界を、社会と人々の暮らしの姿そのものを一変させながらも、人々からはその天才性を全く理解されず、狂人扱いされたまま孤独のうちに世を去るという数奇な人生を送った、僕が大好きなあの“稲妻博士”に、これから会いに行こう!

8:ザグレブ技術博物館のニコラ・テスラに続く


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