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2007-2008 ユーゴスラヴィア三都物語 ~1 スコピエ

2008-01-12 | 旅行
(写真:マケドニア共和国の首都スコピエ、マケドニア広場のクリスマスツリー)

 かつて、東欧バルカン半島にユーゴスラヴィアと呼ばれる国家があった。
それは「七つの国境」「六つの共和国」「五つの民族」「四つの言語」「三つの宗教」「二つの文字」を持つ「一つの連邦国家」。
多くの民族が独自の文化と共に共存を実現していた、多種多様な性格を持つこの国は、1980年代以降その多様性を維持できなくなり徐々に崩壊していく。
現在、かつて連邦を構成した「六つの共和国」は多大な犠牲を払いながらも完全に独立を果たし、地上からユーゴスラヴィアは消滅した。

かつて、バルカンに存在した多民族国家。同じ国民として隣人として暮らしながらも、やがて憎しみと流血の果てに別れた人々。
何故、そのような悲劇が起きたのか?

昨年冬、僕はベオグラードからルーマニア、ブルガリアを抜けてヨーロッパの終点イスタンブールまで旅をした
20世紀初頭に電気の力で世界を束ねる脅威のネットワーク「世界システム」を提唱したセルビア人の天才発明家ニコラ・テスラに興味を持ち、孤高の発明家の功績を伝える「テスラ博物館」をベオグラードに訪ねるのが当初の目的だったが、
初めて訪れたバルカンに残された最後の「ヨーロッパの真の姿」に触れ、またこの地に来たいと思った。

あれから1年。
僕は再びバルカン半島へと旅立った。今回の目的地は、前回旅の出発点だった旧ユーゴスラヴィア。今まさに歴史の彼方へと消え去ろうとしている多民族国家の、最期の姿を記憶に留めたい。そんな想いから、今回の旅は始まった。
旧ユーゴスラヴィア連邦を鉄道で北上し縦断、3つの旧構成国を訪ねるユーゴスラヴィア三都物語。
先ずは、旧ユーゴ最南端の共和国マケドニアから旅を始めよう。

2007年12月29日

現在、日本と旧ユーゴ諸国を直結する航空路はない。今回、欧州での乗り換え都市に選んだのはオーストリアの首都ウィーン。流石、かつてバルカンを支配したハプスブルグ家のお膝元だけあり、今もなおバルカン諸国との航空路が集結する一大ハブとなっているのだ。
オーストリア航空の最新鋭機ボーイング777による成田からの12時間のシベリア越えフライトの後、日暮れのウィーンに到着。今夜はこの音楽の都で1泊。
乗り換え待ちの滞在とは云え、折角ウィーンに来たのだ、ホテルに引っ込んでるのは勿体無い!
トラム(路面電車)に乗り込み、ウィーンの街を夜の散歩と洒落込んだ。

ウィーンの中心部を一回りするトラムの環状線「リング」。
道路沿いにライトアップされた金色の像が見えたので停留所で飛び降りた。
シュタットパークの木立の中を歩いて行くと、御馴染みの音楽家の姿が…

ライトアップされ輝くヨハン・シュトラウス像。
この寒い中、ヨハン先生がバイオリンで奏で続けているのは「美しく青きドナウ」だろうか?これからまさに、そのドナウを遡るバルカンの旅が始まるのだ。
明日は一気にドナウを下る。

夜が更けると共に輝きを増すウィーンの街並みに後ろ髪を引かれたが、今夜はそろそろホテルに戻り、これから始まる旅に備えるとしよう。


2007年12月30日

ウィーン・シュヴェヒャート国際空港を飛び立ったオーストリア航空のフォッカー機は、雪雲にべったりと覆われたバルカン半島上空を飛び続け、午後3時過ぎに雲に突入してマケドニアの首都スコピエ近郊にある国際空港に着陸した。

「ここって、ホントにマケドニアの首都の空港?」

…今までに世界中あちこちの空港に降り立ってきたが、こんなに寂しい国際空港は初めてだ。だだっ広い滑走路に沿って、小さなターミナルビルというか事務所棟が建っていて、軍用ヘリが2機停まっている以外はなーんにもない。今乗ってきたフォッカー以外には旅客機の機影は見えない。
滑走路脇には「WELCOME to SKOPJE Alexander The Great Airport」の看板。凄いアレクサンダー大王空港もあったものだ。

タラップを降りて日暮れ間近の滑走路を歩いて事務所に向かい、入国審査。
噂では数年前までマケドニアでは外貨持ち込み申請をしていないと出国時に問答無用で全額没収される、と聞いていたので「何が何でも入国の時に外貨申請書類を貰わないと…でも外貨申請書って現地語で何て言うんだ?」とドキドキしながらパスポートチェック。しかし、入国審査官はパスポートのページを手早くめくってスタンプを捺すと「ほれ、さっさと行け」って感じで文字通り「投げて寄越した」。
流石にこれには頭にきて「チェッ、感じ悪いなあ。分かったよとっとと退散しますよ」とつられてこちらもさっさとゲートを出てしまった。
「しまったー!!申請書を手に入れられなかった!…まあいいか、いざとなったらポリスに袖の下でも渡して見逃してもらうさ」何だか投げやりな気分でのマケドニア入国である。

入国ゲートを出ると、一斉に客引きが群がってきた。
「タクシー?」「ホテル?」「マネー、エクスチェンジ?」
…ここは東南アジアか?何だか雰囲気がベトナム辺りとそっくりなんだが

さて、今日はスコピエ市内にホテルを予約しているので、先ずは市内に向かわないといけないのだが、何とこの空港、市内までの公共交通手段がタクシーしかない。しかも出発前にネットで下調べした情報によるとタクシー料金は一律20ユーロ、高い!
群がってくるタクシーの客引きはぼったくり上等の雲助白タクの可能性大なので(正規料金でさえ充分ぼったくりレートなのに、これ以上むしり取られて堪るか!)、必死で振り払いタクシーカウンターを探す。何故か出発ゲート内にあった市内行きタクシー案内カウンターで「Hello…ドバルダン…I want to go to city of Skopje…」とか云うと「この人たちに20ユーロ払って、連れてって貰いな」結局、群がる運ちゃんに連行される羽目に。

アレクサンダー大王空港からスコピエ市内までは結構遠く、30分程かかった。
近代的なビルが多く、どことなく日本の地方都市のような雰囲気のスコピエ市内を走り抜け、街外れのニュータウンにある「インペリアルホテル」に無事到着。エアポートタクシーの運ちゃんはきっちり20ユーロだけ受け取りぼったくりはしなかったが、何度も「帰りも空港までエアポートタクシーで送るから、電話で俺を指名して呼んでね」と念を押した上に名刺を渡して帰って行った。お気の毒だけど、僕は帰りは空港には行かず駅から列車で出国するつもりなんだけどね。。。

チェックインしたインペリアルホテルはスコピエ市の裏山を切り開いたような場所に建っていて、所謂「山の手の新興高級住宅地」らしく新築一戸建ての豪勢な家が建ち並ぶ中にあり環境はいい。フロントのスタッフも気さくで雰囲気がいいのだが、何しろ山の上にあるので街の中心まで距離があるのが難点。

さて、これから鉄道で隣国セルビアの首都ベオグラードまで移動するために、駅に行ってチケットを入手しておかないといけない。タクシーで行くと簡単だが、値段交渉が面倒くさいし、それに初めて来た街を理解するには自分の足で歩くのが一番だ。日も暮れたし少々遠いが、歩いて行く事にする。
それにしても、ホテル周辺の雰囲気は日本の東京近郊、USACOが住んでいる田園都市線沿線辺りのニュータウンとそっくりだな…日没後も全然危険な感じがしない。


山の手からスコピエの市街地へ降りて、さらに街外れへ歩いてようやく巨大な高架駅のスコピエ駅に到着。
駅の周辺は更地と雑居ビルが点在し、日本のどこかの寂れた地方都市の駅前みたいな雰囲気。巨大すぎて入り口がよく分からないスコピエ駅のエントランスは外観と裏腹にひっそりしていて人けがない。
がらんとしたコンコースのきっぷ売り場に「明後日のベオグラード行き390列車の予約をしたいんですけど」と「クロアチア語指差し会話帳(クロアチア語は旧ユーゴ全土で何とか通じるらしい、とネットで情報を得ていたのだ)」を頼りに身振り手振りで筆談すると、窓口に座って売り上げ計算中のスラブ系美人の駅員は「今日はもう窓口は閉めたのよ。明日の朝6時以降にまた来て下さいな。」とのこと。あらら、暗い中をせっかく歩いて来たのに出直しか。


駅から更地の中を歩いて市街地へと向かう。
スコピエ市内の中心部、マケドニア広場には巨大なクリスマスツリーが飾られ、日本でも御馴染みのスタンダードなクリスマスソングが流れている。
バルカン半島はキリスト教も東方正教会系の文化圏、正教会では年が明けて1月6日がクリスマスという事になっているらしいので、日本や欧米ではとっくにクリスマスが終わった今の時期が当地ではまさにクリスマスシーズン真っ只中ということになる。家族連れの子供たちがツリーや道端で売られているおもちゃに目を輝かせ、カップルが自分達の世界に浸りきる、幸せなクリスマスの情景は世界共通。孤独な一人旅の僕はショッピングセンター地下のスーパーマーケットを物色したりしてから、寂しくホテルに戻ることにする。

2007年12月31日

朝食を食べようかなと地階に降りていくと、フロントもロビーも食堂も真っ暗。
あれ?とキョロキョロ辺りを見回してると、学生バイトみたいな兄ちゃんが「おお、ソーリーソーリー。グッドモーニン」と灯りをつけてくれたが、応接セットみたいなテーブルに申し訳にハムとチーズが並んでいる所謂「セルフサービスでサンドイッチを作ってね朝食メニュー」だった。あ~あ、ヨーロッパではホテルメイドのヨーグルトが朝の楽しみなのになあ…後でスーパーでヨーグルト買ってくるか、とか考えながらさっさと朝食を済ませる。
それにしても、このホテル全然人の気配がないんだけど今滞在してるのは僕だけなのかな?
さて、今日こそ駅でベオグラード行きの鉄道チケットを手に入れなくては。
という訳で、また歩いて街へ向かう。今日は違う道を通って山を降りてみようかね。

昨日、街の中心を一通り歩いたし、ホテルに帰ってからガイドブックの市内地図を記憶と照合したのでスコピエの大体の地理は頭に入っている。中心部は30分もあれば一回りできる位小さな街だが、ヴァルダル河を境に駅やショッピングセンターのある新市街とバザールやモスクのある旧市街とに区切られているようだ。イスラームなムードが漂っているらしい旧市街にも、後で行ってみたい。
まだ現地通貨を持っていなかったので、ショッピングセンターにある銀行で手持ちのユーロを現地通貨ディナールに両替。マケドニアにはあと2日しか居ないし、物価も安いから鉄道チケット代も入れて40ユーロ程度でいいか…1640ディナール返ってきたので、1ユーロ=41ディナール、ということは1ディナール=4円位か。
駅で難なくベオグラード行きチケットを購入。座席指定は出来ないみたいで、全車2等オンリーで1292ディナール、5168円。なお、鉄道チケットはユーロでも直接買うことが出来る。チケットに限らず、マケドニアでは大概のものをユーロや米ドルで購入することができるから外国人旅行者は便利なんだが、それだけ自国通貨ディナールとマケドニア経済が弱いってことだからマケドニア人は複雑な心境だろうなぁ…

ちなみにショッピングセンター地下のスーパーマーケットで買ったPOCAという銘柄のミネラルウォーターは500mlで19ディナールだった。


せっかく駅まで来たので、高架のホームに上がってみると丁度近郊列車らしき編成が入線してきた。
トーマスクック時刻表には掲載されていない列車なのだが、どこまで行くのだろう。


編成前後で車体色が違う不思議な車輌。ヨーロッパでは余り見かけない気がする「近郊電車」らしい。無骨なデザインがいかにも共産圏的だが、果たして運転席脇にCCCPと刻まれたプレートが掲示されていた。ソ連の忘れ形見か…



ちょっと車内に入ってみた。
室内灯が消えているので真っ暗だが、案外きれいで座り心地の良さそうな座席が並んでいる。それに何より電気暖房がガンガン効いていて、日中も軽く氷点下の東欧バルカンの野外を歩き回ってる身には堪らず心地良い。学生の頃、青春18きっぷで旅行中に吹雪の舞うホームで1時間も待たされて乗り込んだ上越線や奥羽本線や函館本線の鈍行を思い出すなあ。。。
「真冬に暖かい列車の車内に入る快楽は世界共通だなあ。。。ああ、いっそこの電車に乗ってどこかに行ってしまおうか?」
本気でそう考えたが、何しろ運転本数が少ないマケドニア鉄道、それもトーマスクック社の国際標準時刻表にさえ記載されていないローカル路線である。見知らぬ町に連れて行かれた挙句、下手したら今日中にスコピエまで帰って来られなくなるやも知れぬ。後ろ髪を引っ張られ捲る思いで下車し、何処へともなく発車していくソ連製電車を見送る。
「いつか、こういう行き先不詳のローカル列車をあてなく乗り歩く旅もしてみたいなぁ…」

駅から真っ直ぐ伸びる大通りの突き当たりに見える、スコピエ市内で一番の豪華ホテル「HolidayInn」を目指して歩くと、スコピエの街を旧市街と新市街とに隔てて流れるヴァルダル河の畔に出る。河原には気持ちのいい散歩道もあるので(寒くてかなわないが)、川の流れに沿って歩いていくと…

見えてきたのはスコピエのシンボル、オスマン帝国時代に造られた石橋。
新市街側のマケドニア広場と旧市街側のオールドバザールを結ぶこの橋の上はいつも買い物客が行き交っている。橋を渡っていると、興味津々顔の子供から恐る恐る「ヤポネ…ハロー?」と声をかけられたりする。


石橋を渡って旧市街側に入ると、雰囲気はいきなりオリエンタルになる。
迷路のような狭い路地、あちらこちらにモスクのミナレット(尖塔)が突き出している風情は、イスラーム文化圏そのもの。




さらに進むと、スコピエ市民の台所のような食料品や日用品の市場に出る。
衣料や靴、カバンから電気製品まで何でも揃った迷路。
積み上げられた肉塊や野菜、香辛料。店先を縫うように小さなチャイの杯を器用に配る出前のお茶売り。
ここは既にヨーロッパではない。


オールドバザールの外れで偉容を誇る、ムスタファ・パシナ・ジャーミヤ。
マケドニアで最も美しいと言われるこのジャーミヤは現在トルコのイスラーム教会の支援の下で補修工事中。残念。


ムスタファ・パシナ・ジャーミヤの裏山を登っていくと、山頂は城塞公園になっている。
小高い丘の上に半ば朽ちかけた石塁が残るだけだが、ここから眺める市街地の風景は素晴らしい。


城塞から見下ろすスコピエ新市街側。共産主義の旧ユーゴ時代の名残りと思しき無機質なビル群が建ち並ぶ様子は、旧市街オールドバザール側とは明らかに異質。
多種多様な民族と文化、宗教、イデオロギーが交錯してきたこの地の風土をそのまま現しているかのような、二面性を持つ街であることが見て取れる。


街並みを見下ろしていたら、城塞の背後から突如現れたマケドニア軍のヘリからパラシュート部隊が降下を始めた。
市街地での実戦訓練とかではなく、大晦日のイベントらしい。巧みに市街地上空を旋回してマケドニア広場に着地、集まった市民の大歓声を浴びていた。



→2007-2008 ユーゴスラヴィア三都物語 ~2 コソボ、閉ざされた鉄路 に続きます
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COUNTER from 07 NOV 2007