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2006-2007東欧バルカン旅行記その1 ベオグラード

2007-01-16 | 旅行
(写真)ベオグラード カレメグダン公園から見るサヴァ河


2006年12月29日

日本から飛行機を乗り継ぎ約20時間、ついにセルビア共和国の首都ベオグラードのニコラ・テスラ空港に到着した。

ベオグラード。「白い都」という美しい名を持つ都市。
しかし、そこは止むことのない戦闘と破壊を宿命付けられた、悲劇の都市である。
かつてこの街に首都を置いたユーゴスラヴィア連邦の解体と、1990年代以降泥沼化する民族問題。ついには20万人が死んだボスニア・ヘルツェゴヴィナ戦争での「民族浄化」の惨劇と、その後のコソヴォ戦争。1999年、NATO軍はベオグラードを空爆する。この都市が最後に戦火に包まれてから、まだ7年しか経っていない。

東西文明のせめぎあうバルカン半島の、ドナウ河とサヴァ河の合流点という要衝に位置する故に、有史以来幾多の戦火を経験した、破壊を運命付けられた都ベオグラード。
統計によるとベオグラードは平均70年に1回の割合で攻撃され炎上しているという。


フランクフルト空港でのベオグラード行き便との接続が悪く、ベオグラードへの到着は深夜になってしまった。
空港で客待ちしているタクシーは「100%ぼったくる。悪質運転手ばかりで危険!」との情報を得ていたので大事を取ってホテルに迎えの車を手配してもらっていた。手持ちのユーロを現地通貨ディナールに替えてロビーに出ると、僕の名前を書いたボードを持った青年が爽やか笑顔で出迎えてくれた。
「うわあー!やめてくれぇ」と言いたくなる位気恥ずかしいが仕方がない。
爽やか青年の運転するピカピカのBMWに乗って、飲み物や音楽までサービスして貰って市内へ向かう。
安全快適で楽チンなんだが、どうにもこそばゆくて座りがよくない。
「やっぱりこういうのは僕には似合わないね」
数十分の快適ドライブで気疲れしてクタクタになりながらホテルに到着。フロントにパスポートを預けて(セルビアでは警察への外国人滞在者情報の届出が義務付けられているらしい。こんなのは初めてだ。)、部屋に入ると一気に疲れが出て時差ボケも関係なく熟睡した。

翌朝、目覚めてカーテンを開けると郊外のニュータウンっぽい風景が広がっている。全面ガラス張りのモダンなビルが見える。(←追記:旧共産主義者同盟中央委員会ビルだった。このビルは1999年4月21日午前3時15分と27日午前1時05分、NATO軍によって空爆され廃墟となったが現在は改装されUSCEビジネスセンターとなっている。)案外小奇麗な街だな、というのが第一印象。
さあ出かけよう。


2006年12月30日

ホテルをチェックアウトして、「トラム(路面電車)の停留所はどこ?」と尋ねると「何でトラムなんかに乗るんですか?」と聞いてくる。
「中央駅まで行きたいんです」と言うと「トラムはやめた方がいい。タクシー使いなさい」とか言われる。
よく分からんが、面倒くさいのでタクシーを呼んでもらう。一応、外資系の有名ホテルなので悪質ドライバーのクルマは呼ばないだろう。
タクシーに乗って中央駅へ向かう。今日の夕方のルーマニア行き国際列車に乗るので、予め荷物を駅で預けておくためだ。
タクシーの運ちゃんは誠実そうな爺さんだったので一安心。英語は通じないがフランス語で「トレン、ガール(列車、駅)」と言うと何故か通じた。
ホテルのあるニュータウンから、サヴァ河を渡って旧市街の中央駅へと向かう。たいして距離はないはずなのだが、渋滞していて時間がかかる。渋滞の原因は何と、サヴァ河の橋が「トラムと道路の共用橋」でしかも「時間制限一方通行」のせいだった。
駅までの道すがら、運ちゃんが「ヤポーネ?ヤーパン?」と聞いてくる。「ヤー、ヤーパン」と答えると「ヤーパン、グレートカントリー!」「スモー、アサショーリュー!」と言ってくれる。相撲取りなら東欧だとブルガリア出身の琴欧州が有名なんじゃないかと思ったが、朝青龍を知ってる人がいるなんて驚く。

時間はかかったが無事に中央駅に到着。運ちゃんの請求もメーター通りの正規料金。駅構内の荷物預かり所にトランクを放り込んで、ついでに窓口でバルカン半島諸国とトルコの鉄道が乗り放題の「バルカンフレキシーパス」をバリデード(日付を入れて使用開始すること)してもらって、身軽になって改めて構内を見回す。
「…小ぢんまりしてて薄汚くて寂しい駅だな。」何だか、JR門司港駅を思いっきり裏ぶれさせたような駅だ。

でも、危険な感じはしない。窓口の職員も総じて親切だ。荷物預かりの係員氏に至っては即席のセルビア語教室を始めて数字の読みを教えてくれた程だ。

駅前にSLがいた。いかにも旧共産圏らしい特異なデザインで、ボイラーの位置が異様に高いので日本の9600型に似ている。


駅前の大通りを暫らく歩き、未だに空爆で瓦礫の山と化した政府機関のビルの廃墟がそのままの姿を晒す「空爆通り」を越え(カメラを出した途端、憲兵が飛んできた。撮影は原則禁止らしい)、マクドナルドのあるスラヴィヤ広場(ここのマック、NATO空爆時は怒った市民に襲撃されたそうだ)から小路に入って数ブロック歩くと瀟洒な洋館がある。
ここが、今回の旅の目的地の一つ「ニコラ・テスラ博物館」である。

エジソンの宿命のライバルとして、交流モーター、リモートコントロール、そして全世界を束ねる究極のネットワーク「世界システム」を提唱するも、孤独な晩年をおくりたった独りで世を去った天才発明家、ニコラ・テスラ。
永らく陽の当たらなかった彼の功績は近年、ようやく世界的に再評価されつつあり、生誕150周年となる2006年、ベオグラード国際空港は彼の名を冠してニコラ・テスラ空港と改名された。また、セルビアの100ディナール札紙幣には彼の肖像が描かれ、国民に広く親しまれている。
彼の死後に遺族によってユーゴスラヴィアにおくられた遺品、発明品、論文を収蔵・一般公開するこの博物館に行ってみたい、そう思ったのが今回の旅のそもそもの始まりだった。
ついにここに来た、ニコラ・テスラの殿堂に来た…しかし、何だか様子がおかしい。妙にひっそりしている。入り口のドアも閉まってるし。まさか、閉館日!?ここまで来てそれはないだろ。。。と不安にかられつつドアを押すと、開いた。
「よかった、閉館日じゃなかった」
でも、セメント袋とか工具が積んであるし工事中じゃないか?
奥のほうから顔を出した学芸員らしい女性に尋ねると、どうやら現在改装工事中だが区画を区切って公開はしているらしい。

展示スペース入り口に掲げられたこの銘板、ナイアガラ瀑布発電所に採用された交流発電機のプレートである。
下の方に特許が列記されているが、13件の特許のうち9件がテスラのものである。
まさに、テスラの功績なくして交流発電はありえなかったのである。

こんな展示もあった。
「ニコラ、テセラ 一流體機関 明治四十五年三月二十六日」と読める、日本の特許証だ。

展示は大幅に縮小されていたが、学芸員さんが付きっきりでこの博物館のシンボルのように鎮座する巨大テスラコイルの放電実演や、ネオン管の点灯実演までやってくれた。
入り口脇の机の上に並んでいた絵葉書を購入し、ゲストブックに日本語で記帳してから、ニコラ・テスラ博物館を後にする。
最初から応対してくれた若い女性の学芸員さんが、建物の外まで出て見送ってくれた。
改装工事は1月中旬には終わるそうなので、いずれまた見に来たい。


ニコラ・テスラ博物館の学芸員さんに教えてもらった最寄りの停留所からバスに乗車。
列車の時間までまだ少しあるので、カレメグダン公園まで行ってドナウとサヴァ河を見ることにする。

カレメグダン公園は市民も観光客も集まる有名な場所なので、すぐに分かるだろうと思ったのだが、それらしい停留所が見つからない。
そのうち、バスが方角を変えてさっき走った場所をまた通っている。
「いかん!このままだとニコラ・テスラ博物館に戻ってしまう」
やむを得ず次に停まった停留所で下車。
「ここは一体どこだ~?」
(追記:上の丸い屋根の建物は旧ユーゴスラヴィア連邦議会議事堂のようです。って、日本に帰ってから気が付いてもどうにもなりませんね、ハイ)

それにしても、ベオグラード市内には公園が多い。
歩いていると気持ちがいいが、これではいつまで経っても埒が明かない。
そこら辺を歩いてる人をつかまえて、道を聞きまくる。
「え~っと、セルビア語でエクスキューズミーって何だったっけ…スミマセン、カレメグダン?」
我ながらアホな事言ってるが、これですぐに伝わる。それにベオグラードの人は皆親切だ。嫌な顔などせずに教えてくれる。
結局、通りを500メートルほど行くとすぐにカレメグダン公園に着いた。


紀元前4世紀から要塞が造られていた丘の上にあるカレメグダン公園。
ドナウとサヴァ、二つの流れの合流を見下ろす風光明媚な場所だが、同時に軍事的に重要な攻略ポイントであるため、これまでに数え切れないほどの闘いがあり血が流された場所でもある。ベオグラードの宿命を見守り続けてきた丘なのだ。

カレメグダン公園には今も砦の遺構が残る。
砦の石積みの向こうには、紀元前から変わることのない大河の流れがある。

やがて、冬の陽は二つの大河の向こうに沈んでゆく。
川面からは霧が立ち昇り、辺りを幻想的な乳白色に包んでゆく。
かつて、この都を攻め落とそうとしたオスマン帝国軍の将兵は、真っ白な朝靄に包まれた都のあまりの美しさに戦意を失い、ここを「白い都(ベオグラード)」と呼んだという。
街の名の由来ともなった霧に包まれ、ベオグラードの一日が終わってゆく。

「さて、駅に行って列車に乗ろう。ルーマニアに行こうかね!」


カレメグダン公園の前から中央駅方面行きのトラムに乗る。
このトラム、物凄い急坂急カーブでカレメグダンの丘を駆け下りていくので運転席の後ろにかぶり付いて前を見ていると面白い。それに電車のくせにハンドル操作をせずに、アクセルとブレーキのペダルを踏んで運転している。ちょっと自分でも運転してみたくなる、楽しいトラムだ。
中央駅に着いたら、ルーマニア行き国際列車には食堂車が付いていないので乗車前に駅前で夕飯の買出し。マーケットのようなところで直径30センチはあろうかという巨大ハンバーガーを買う。預けていたトランクをピックアップして、いざホームへ。

夕闇迫る、威風堂々たるベオグラード中央駅舎。
かつてはパリへ直通する豪華寝台列車「シンプロン・オリエントエクスプレス」も発着していたという。
これから乗るのは、1日に1本だけ運転されているベオグラードからブカレストまで直通する夜行列車「361列車」。さすがにオリエント急行には及ぶまいが、どんな列車なんだろう。

これが361列車。
年期の入ったアメリカ製と思しきディーゼル機関車が牽く、ルーマニア国鉄の車両を連ねた列車だった。はっきり言って薄汚い。
「ユーゴスラヴィアはソ連とは距離を置いて独自の共産主義政策をとっていたから、アメリカとも交易があったんだろうな。そういえばユーゴは日本の宇宙研から科学観測ロケットを買ったりしてたっけ」とか考えながら、指定された2等座席車へ。

車内はこんな感じ。
今夜はルーマニアに入ってすぐの、ティミショアラという街で降りるので寝台車ではなく座席車。ヨーロッパ伝統の個室(コンパートメント)スタイルだ。
こちらも相当薄汚いですね。

定刻よりやや遅れて、361列車はベオグラード中央駅を発車した。
しばらくゴロゴロと広大な中央駅の構内を走っていたが、やがて停まってしまった。
「なんだなんだ?駅構内から出ないうちにもうトラブルか?」と訝しんでいると…

なんと、向きを変えて再び走り始めた。
どうやら駅構内でスイッチバックする配線になっているらしい。そういえば、件のアメリカ製ディーゼル機関車は中央駅を発車する時点で最後尾に連結されていた。推進運転で列車を駅から押し出した後で、改めてルーマニア方面行きの本線に乗り入れたと言うわけか。こういうのって、鉄道好きにはたまらない面白い運転方法だ。

とっぷりと日の暮れたベオグラード市内をサヴァ河に沿って走る。
今朝、タクシーで渡ったトラムとの共用橋の下をくぐる。河の向こうにはホテルから見えた旧共産主義者同盟中央委員会ビルも見えている。

カレメグダン公園も見えてきた。
砦の石塁がライトアップされて美しい。
さっき、あそこから見たサヴァとドナウの流れに沿って、列車はゆっくりベオグラードを離れて行く。

やがて車窓には街明かりも少なくなり、あとはひたすらドナウの流れに沿って暗闇の中を走って行く。
旧ユーゴスラヴィア連邦の首都だというのに、ベオグラード中央駅を発車してからほんの数十分も走ると車窓は真っ暗な原野になった。

ベオグラードには僅か20時間足らずの滞在だった。
数々の悲劇的な歴史を秘め、幾多の戦禍をくぐり抜けてきた、破壊の宿命を背負った都ベオグラード。
だがしかし、破壊の後には必ず力強い復興があった。
今まさに完全に解体したユーゴスラヴィア連邦の後を引き継ぐ新生セルビア共和国の首都として、新たな歴史を歩み始めた白い都。
その行く末を、これから僕も極東から見つめていきたいと思う。
願わくば、もう二度と戦闘と破壊の宿命がこの街に降りかかる事のないよう祈りながら。

コンパートメントには相部屋の客はおらず、気兼ねなく夜汽車の旅を楽しめそうだ。
誰もいないので今のうちに、残金の整理をする。50ユーロ分をセルビアディナールに替えたが、半分以上残ってしまった。
「いいさ、今度来た時に使うさ!」
ふと、手許の100ディナール札を見ると、髭を蓄えた発明家が微笑んでいる。ちょっと皮肉っぽい目で僕を見ているようだ。
「このニコラ・テスラさんを郷帰りさせるためにも、また来ないといけないようだなこりゃ」

真っ暗闇の中を列車は走る。何故かこの車両は室内灯が点灯せず、車内も真っ暗である。さらに何故か連結部から暖房スチームが漏れているらしくて、さっきからデッキの方から猛烈な勢いで湯気が上がっている。おかげで車内にはちっとも暖気がまわってこない。寒い…
ボロだし暗いし寒いし、余りにも悲惨なので怒る気にもなれず笑ってしまう。


やがて国境の駅に着いたらしい。車窓からルーマニアの紋章を標した表示灯が見える。コンパートメントにパスポートコントロールのポリスが周って来るが、日本国のパスポートを見せると何も言われず入国スタンプを押されて手続き完了。世界中の大抵の国にノービザ顔パスで行ける日本国パスポートは本当にありがたい。

さあルーマニアだ。
驚いた事に国境駅を通過した途端に列車が揺れなくなって乗り心地がよくなり、しかもスチームを繋ぎなおしたらしく、冷え込んでいたコンパートメント内がほかほかに暖かくなった。
「なんか凄いなルーマニア…念願のEU加盟目前なんで気合が入ってるのかな?」
これで灯りが点けば言う事なしなのだが、残念ながらこれは最後まで消えたままだった。

国境通過から小一時間、361列車はトランシルバニアの都市ティミショアラ北駅に到着した。
今夜はこの街に宿を取ることにする。

(つづく)


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