天燈茶房 TENDANCAFE

さあ、皆さん どうぞこちらへ!いろんなタバコが取り揃えてあります。
どれからなりとおためしください

2006-2007東欧バルカン旅行記その2 トランシルヴァニア

2007-01-19 | 旅行
(写真)トランシルヴァニア 要塞教会跡の丘から見るサスキズ村


2006年12月31日
ティミショアラはトランシルヴァニア地方の工業と文化の中心都市で、1989年にルーマニア革命の発端となる市民蜂起の勃発した地としても知られる。

昨夜はネットで予約した「ティミショアラ北駅から至近」というホテルがなかなか見つからず往生したが、街角で新聞スタンドの店仕舞いをしていたオヤジさんに道を聞くと
「兄ちゃん、もう大丈夫だ!安心しろ!そのホテルの事なら俺はよく知っている!いいか?この大通りを真っ直ぐ500メートル進め!教会が見えてきたら、右にターンだ!その先に、そのホテルは見えている!(多分そういう事を言ってたんだと思う)」と身振り手振りで教えてくれた上に「もう大丈夫だ!安心しろ」と握手までしてくれた。流石、東欧唯一のラテン系民族であるルーマニア人、旅人に優しいしノリがいい。
しかしホテルに着いた時には、セルビアとの+1時間の時差もあって既に午後11時半を回っていた。

今朝は朝8時には再びティミショアラ北駅へ。普通列車で出発する。


さあ、トランシルヴァニアだ。
バルカンの森の彼方の国トランシルヴァニア。吸血鬼伝説に彩られた大地。
高校生の頃、地理の教師が授業中の雑談で
「皆さんはドラキュラの話をご存知でしょうか?吸血鬼ドラキュラの故郷とされるのがルーマニアのトランシルバニア地方です。私は以前、国際研修でトランシルバニアへ行ったことがあるのですが、列車で移動中に見える風景はとても荒涼としていて、寂しくて、思わず後ろから吸血鬼に襲いかかられるような気がして怖くなりました。トランシルバニアの田舎はそんなところです。」
と話してくれたのを憶えている。
その話を聞いて以来、僕はトランシルヴァニアに行ってみたくて仕方がなかったのだ。
ちょうどその頃、親しかった現代国語の若い先生に薦められて吸血鬼伝説をモチーフにした萩尾望都の名作漫画「ポーの一族」を読んでいたこともあり、日本から遥か彼方の森の向こうにある荒涼とした大地、バンパネラの息衝く地に想いを馳せていたのだ。
いよいよ拾五年越しの夢が叶い、今からそのトランシルヴァニアに足を踏み入れるのである。


ティミショアラを発車して暫らくは、草原の中を列車は走って行く。
今は雪に覆われているが、夏には一面の緑の中を風が吹き抜けて気持ちが良さそうだ。
やがて、車窓が次第に山がちになってくると、いよいよ憧れの森の彼方の荒涼とした景色が広がる。
「ああ、ここがトランシルヴァニアだ。バンパネラの村だ。僕はこの景色を15年間も想い描いていたんだ…先生、僕はとうとうここまで来たよ」などと多少ヤバイ感傷に浸っていると、あることに気が付いた。
「何か…この風景、どことなく日本的だな」
そうなのだ。雪のトランシルヴァニアの山村の車窓は何故かとっても「詫び寂び」を感じて日本的なんである。家々が線路の近くまで建てこんでいるせいかもしれないが、中国地方のJR芸備線辺りを走っている感じに近い気がする。
そういえば、何となく風景が水墨画のように見えてくる気が。。。



ティミショアラから約3時間半、Devaという駅で乗り換えの為に下車。いかにも旧共産圏らしい威圧的だけど中はがらんとした駅舎。
駅前には社会主義時代を感じさせる無機質なアパート群と、真新しいショッピングセンターとマクドナルドが並び建つ。街外れの山の上には古城らしきものが見える。
列車の遅れを見越してここで3時間近く乗り継ぎ時間を取っていたが、ルーマニア国鉄のダイヤは予想以上に正確でほぼ定刻の到着。おかげで時間を持て余す。ショッピングセンターに入ってみたり(野菜と果物が盛り沢山!熊本名産の『デコポン』そっくりのオレンジを買った)、マックで世界中どこに行っても全く同じ味がするハンバーガーを食べたりして時間を潰す。



Devaからはルーマニア国鉄の最上級種別列車IC(インターシティ)526列車に乗車。今まで乗ってきた、日本のJR12系客車を草臥れさせたような色褪せた水色の客車とは比べ物にならない、白と深紅に塗り分けた颯爽とした列車が現れた(デッキの銘板を見るとフランス製だ)。さらに嬉しい事に、編成には車体にBord Restrantと書かれた車両が組み込まれている。食堂車だ!
早速、荷物を自分の席のあるコンパートメントに置いて、自転車用の盗難防止チェーンで座席の足に括り付けてから食堂車へと向かう。

欧州を汽車旅していて楽しみなのが食堂車での食事だ。
日本では既に北海道行きリゾート寝台特急にしか残っていない食堂車だが、ヨーロッパ各国では今でも食堂車が現役で、多数の列車に連結されて利用者に喜ばれている。
連結される列車によって食堂車のメニューに個性が出るのも魅力で、列車で移動しながら風景を楽しみつつ各地の郷土料理を味わう事ができるのだ。
さて、ルーマニア国鉄の誇るインターシティの食堂車はどんな料理を食べさせてくれるのか。。。と、期待しながら食堂車のドアを開けると…
「あれ?車内に厨房がない?まさか…」
残念ながら飲み物とスナックメニューしか出さないようだ。嗚呼、なんてこったい。。。
気を取り直して、カウンターで地元の銘柄とおぼしきビールをオーダー。それだけだと寂しいのでコーヒーも頼む。
「こうなりゃヤケ飲みしてやるw」
蝶ネクタイのウェイター氏が、仰々しくテーブルまで缶ビールを持ってきて栓を開け、グラスに注いでくれた。雰囲気だけは往時の食堂車そのものなので、まあ良しとしよう。しかし、あのウェイター氏、気のせいか酒臭いような?ちょっと千鳥足だし。


ビールとコーヒーで食堂車を「堪能」しているうちに、IC526列車は快調にトランシルヴァニアを突っ走り、日が暮れる頃に今日の目的地シギショアラに到着した。ほぼ定時で到着。積雪のある山地を走ったのにたいしたものだ。革命の頃までは「時間通りに走るとニュースになった」と言われていたというのが信じられない。

シギショアラは「トランシルヴァニアの宝石」と称えられる、ドイツからの入植者によって築かれた美しい街。
中世の面影が色濃く、というか殆どそのまま残っており、街の中心部の旧市街がそのまま丸ごと世界遺産となっている。
今夜から、この街に3日間滞在する。

ライトアップされた美しい塔が見える丘を目指して、階段道を延々と登り、息を切らしながらホテルにチェックイン。指定された部屋は最上階だったので、荷物を持ってくれたポーター氏と一緒にまた息を切らしながら階段を登る(世界遺産の建物には当然エレベーターなんかない!)。部屋に着いたらポーター氏共々完全に息が上がってしまい、思わず一緒になって笑ってしまった。

さて、今夜は大晦日。しかも嬉しい事に、シギショアラのホテルをネットで予約する際に手配会社から「ダブルブッキングになってしまった。済まないがホテルを替わって欲しい。」と連絡があり、代償にと年越しパーティの「ガラ・ディナー」に招待されているのだ。早速、小奇麗な格好に着替えてガラ・ディナー会場のレストランへと向かう。

ガラ・ディナーではボリュームたっぷりのご馳走を食べながら、飲めや踊れの大騒ぎ。ルーマニア人はラテン系らしく踊るのが大好き!みんな散々飲み食いしながら踊っている。しかもいつまでたっても大騒ぎが終わらない。
僕は隣席のギリシャ人の老夫婦(旦那さんは船長だったそうだ)と話しながら飲み食いしていたのだが、夜中近くなっても一向に終わる気配のない大騒ぎにとうとう船長さんがギブアップしてしまい「私はもう眠くて仕方がないから、部屋に帰って寝るよ」
僕もいい加減疲れ果てたので部屋に戻りたかったが、料理がまだ3品も出てくる予定らしいので頑張る事にする。ルーマニア料理のデザート「パパナシ」はうまいらしいから、何とか最後まで居残るぞ。でも既にワインをボトル1本空けてるしなあ…しかもウェイターが「トランシルヴァニアのワインです。おいしいでしょう?」とか言いながら、わんこそばみたいにドンドン追加で注いでくれるし。。。

とうとう日付が変わる時間になった。
ウェイターが各テーブルにシャンパンのボトルを配り、ガラ・ディナーの参加者はみんなボトルとグラスを持って外に出て行く。
僕も一緒に外に出て行くと、いきなり街の広場に花火が打ち上げられ始めた。
あちこちでシャンパンの栓を飛ばして酌み交わしたり、中にはシャンパンをかけ合って大はしゃぎしている連中までいる。

花火とシャンパンと狂喜乱舞の中、新しい年が始まった。
そしてこの時、ルーマニアは正式に欧州連合EUの一員となり新たな一歩を踏み出した。
しかし僕はこの時、旅の疲れとワインの酔いと喧騒のせいで朦朧となってしまい、そんなことを考える余裕はなかった。結局、パパナシは諦めて部屋に戻り、そのままベッドにぶっ倒れてしまったのである。



2007年1月1日
シギショアラの初日の出。

ホテルの最上階の部屋は、旧市街の中央広場に面していてシギショアラのシンボルである「時計塔」がよく見える。この時計塔、14世紀に街が商工ギルドの自治都市となったことを記念して建てられ、その後火災で焼け落ちてしまい17世紀に建て直されたものだそうだ。
窓から時計塔が見えるので、この部屋には時計なかった。時計塔が部屋の置時計代わりなのだ。

…頭が重い、二日酔いだろうか。。。って、そりゃあハードな旅で疲れてるのにワインをボトル1本飲めば潰れるわな、と新年早々反省の朝なのであった。それにしても、昨夜のガラ・ディナーは一体何時まで続いたんだろう?ルーマニア人って、タフ過ぎ。。。

二日酔いのせいで食欲がないので朝食は食べず、何となく部屋でダラダラして過ごす。
窓から旧市街を見下ろすと、日が高くなっても人けが全然なくてガラーンとしている。みんな、昨夜頑張りすぎて死んだように眠っているのに違いない。
それでも、美しい街並みを見ていると出掛けたくなってきた。
熱いシャワーを浴びて身体に喝を入れて、さあ世界遺産の街を見に行こう。


シギショアラの旧市街は、丘の上に広場を中心にして小さくまとまっているので30分も歩けば一回り出来る。そんな小さな街なのだが、その雰囲気は本物の中世のものである。重厚な城塁とたくさんの塔に囲まれた街並みは独特の威圧感があり、どことなく神秘的な雰囲気が漂っている。
そんなシギショアラ旧市街の時計塔の脇でひっそりと客を待つレストラン、そこは実はドラキュラのモデルである串刺し公ヴラド・ツェペシュことワラキア公ヴラド3世の実家(生家)だったりする。


ちょうど小腹がすいてきた(朝食を食べてないもんね)ので、せっかくだからドラキュラの実家で遅い昼ご飯をいただく事にする。
このドラキュラレストラン、完全な観光客向けの店なので味は期待していなかったのだが、前菜のとうもろこし粥の乗った煮込み肉は結構うまかった。でも前菜だけで腹一杯になるくらいボリュームがあるぞ。本当、ルーマニア人はよく食べる人たちだなあ。。。

腹も一杯になったので、時計塔の下の門をくぐって新市街の方に行ってみる。
新市街はどこにでもありそうな普通のヨーロッパの田舎町という雰囲気。旧市街に戻ろうとすると、何だか背後から妙な視線を感じるんだが…誰だ?
振り返ると「…屋根に見られていた」
この「屋根の目」、魔よけのような意味があるらしいのだが…人間の目にそっくりすぎて怖いぞ!夜になったらまばたきとかしてそうだし。何で町の中にこんな怖いものつくるんだ?


旧市街に戻って、ホテルのある通りの突き当たりに不思議な屋根のある階段がある。
この階段は街の一番高い位置にある「山上教会」に通じているらしい。

かなり急な階段を苦労して登ると、日が落ちて真っ暗な山の上に出た。
確かに教会らしい建物があるが、人けがなくてひっそりとしている。
しとしとと小雨まで降り始めた。
「これは、本当に吸血鬼でも出てきそうな雰囲気だなぁ。そういえば確か、この街にハーメルンの笛吹き男が現れたという記録もあるんだよなぁ…」
この時やっと僕も感じることが出来た「背後から吸血鬼に襲いかかられそうな恐怖」。
地理の先生もこんな気持ちだったのかな?

シギショアラはドイツ名でシェースブルグ。東方の地に入植したドイツ人移民は、迫り来る異民族の襲撃の恐怖から逃れる為に町の周囲を幾重にも城塁で囲み、以来500年以上に渡って自分達の文化を守り続けてきた。現在、美しい姿を残すシギショアラ旧市街は、故郷から遠く離れた地で暮らすことになった人々の感じた恐怖と、それに打ち勝ち自分達の精神の拠り所を守りたいという誇り高い気持ちを礎にした歴史の記憶そのものなのかも知れない。

(つづく)


コメントを投稿