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2007-2008 ユーゴスラヴィア三都物語 ~3 ベオグラード

2008-01-20 | 旅行
(写真:セルビア共和国の首都ベオグラード、冬の朝)

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日が暮れてから着いた街で飛び込みでホテルを探すのは、かなりしんどい。
増してや雪も段々激しくなる、足取りも重く、一刻も早く暖かいシャワーと清潔なベッドにありつきたくなる。という訳で、手っ取り早くベオグラード駅前ロータリーの正面に見えるその名も「ホテル・ベオグラード」に飛び込んでみるが、「満室です」あ~あ、ツライなぁ。。。
しかし孤独な一人旅では落ち込んでいても誰も助けてくれない。次いくぞ次!
やはり駅前のロータリー沿いにある「ホテル・アストリア」に入って
「ドブロヴェーチェ…イブニング…I don't have reservation.Do you have a room…tonghit?」
「OK! One night?」
ああ~良かった!2軒目にして今夜の風呂とベッドを確保出来たぜ~!

あてがわれた部屋はこのホテルでは上級ランクにあたるらしいプライベートバスとトイレが付いているタイプだったが、まあ日本のビジネスホテルを思いっきりくたびれさせたようなシングルルーム。前回のベオグラードの宿泊先は空港までお出迎えつきのハイアット・リージェンシーだったから大したランクダウンだが、それでもこっちの方が気を遣わなくていいし気楽で僕に向いてるね。

部屋で一息ついてから、水と夕食を調達するついでに周辺を散歩。



ベオグラード駅周辺は、煌々とライトアップされたビルが並び華やかで威厳のある都市の夜景が広がる。流石、元ユーゴスラヴィア連邦の首都。
但し、これらのビルと通りを1本隔てただけのクネズ・ミロシュ通りには無残に瓦礫の山と化した廃墟が暗闇に不気味に佇む。
クネズ・ミロシュ、またの名を「空爆通り」…1999年のNATO軍によるベオグラード空爆の傷跡は、今なお暗闇から我々に何かを訴え続ける。

ホテル近くの大通りのキオスクでミネラルウォーターや地元産ビールを調達してから、ベオグラード駅へと戻る。明日はまた列車に乗り、アドリア海に面したモンテネグロの港町バールへ行こうかと思うので、チケットを調達しておく為だ。ベオグラードとバールを結ぶ路線は風光明媚な山岳路線として、鉄道旅行者の間ではちょっと有名である。
コンコースに掲げられた黄色い発車時刻案内ポスターで1日1便しかない昼行のバール行き列車の時刻を確認し、行き先別に別れている発券窓口(旧ユーゴスラヴィア最後の連邦を組んでいたセルビア・モンテネグロの分離独立から1年以上経つのに、モンテネグロ方面行きはいまだに国内路線扱いのままだ)に並んで「明日の、バール行き。2等を1枚」と御馴染みの指差し会話長片手に伝えると、何やらWindows XPの端末にカタカタ入力していたが、「明日のバール行き、満席だよ」何ー!?
マケドニアからの国際鈍行はあんなに空いていた(というか僕しか乗っていなかった)のに、モンテネグロ行きは満席かよ…どうなってるんだセルビア鉄道。

しかし、バールに行けないとなると明日以降の計画が大幅変更を余儀なくされるなぁ~、本来は明日からバールまで2日かけて往復し、それから最後の訪問地であるクロアチアの首都ザグレブに行こうと思っていたんだが…
まあ行けないものは仕方がない。取り急ぎ、明日からの替わりの計画を立てなければ。
ベオグラード駅の薄暗いコンコースの柱に貼られた出発時刻表と、トーマスクック時刻表を見比べながら明日の行き先を吟味する。
バール方面行きの路線には、全区間を直通する列車以外にも数本の区間運転のローカル列車が走っているのが分かる。ローカル列車は座席指定ではなく、全車自由席らしいのでこれなら明日の列車でも飛び込みで乗れる。とりあえず明日は適当なローカル列車に乗って適当な駅まで行って適当に帰って来よう。
何だか、使い残した青春18きっぷを期限内に消化するために用もないのに列車に乗る時のような堪らん脱力感を感じるこういうスタイルの旅、実は結構好きだ。。。

という訳で、再び国内路線窓口に並び、11:40発の2103列車の2等切符を入手。行き先はPozegaという駅。トーマスクック時刻表に拠ると、ここで1時間半程度の接続でバール方面から来るベオグラード行き432列車に乗り換えて帰って来ることが出来るようだ(所謂「返し」と呼ばれる乗車テクニックだ。列車に乗って、その日のうちに出発地に帰って来るという、青春18きっぷ等を使い列車に乗ることだけに主眼を置いた常識では考えられない技なのだ。学生時代、北海道や信州で何度となく実践したテクニックが、まさか今こうしてセルビアの地で役に立つとは…)。

さて、明日の予定も決まった。ホテルに帰って一風呂浴びてビールでも飲もう、と駅を出ると「雪が本降りになってきたなぁ…明日、列車が雪で止まらないといいけど」一抹の不安を感じながら、降り積もりぬかるんだ雪に足を取られないように難儀して駅前のロータリーを渡っていると、雪解けの水溜りにモロに足を突っ込んだ。靴の中がびしょ濡れで実に気持ちが悪い。
ホテルに戻ってシャワーを浴びると、ホッとして気が緩んだのか今日の長時間の列車の旅の疲れが出たのか、熱っぽくてフラフラする。良くない傾向だ。こういう時はさっさと寝てしまって風邪と厄を撥ね返すに限る。
濡れた靴をスチームの上に並べてから、ビールを流し込んでそのままベッドに横になると、隣の部屋の会話や廊下の足音が筒抜けで聞こえてくることに気が付いたが、気にせずそのまま就寝。

2008年1月2日

昨夜早寝をしたおかげで、朝にはすっかりいい気分で目覚めることが出来た。
水溜りに突っ込んだ靴もすっかり乾いている。スチームで暖まった靴を履いて、地階のレストランに朝食を食べに行くと、「あれ?何か東洋人のお客が多いな」昨夜は気がつかなかったが、ホテルアストリアには日本人も多数宿泊していたようだ。「地球の歩き方」を手にした家族連れや、バックパッカー風の学生グループを見かけた。アジア人を全く見かけなかったスコピエとはやはり様相が異なる。
このホテルの朝食はビュッフェではなく一々注文を取りに来るスタイルで、ちょっと優雅な気分。まあ出てくるのはコーヒーかチャイと卵料理だけで、スクランブルにするかサニーサイドアップで焼くか聞かれるだけなんだけど。


しっかり朝食を食べて、朝シャンなどもして、ゆっくり身支度を整えてからチェックアウト。
今日乗る列車は昼前発だし、駅は目と鼻の先なのでのんびりダラダラできる。
駅は昨晩降り積もった雪に覆われていたが、列車の運行に大きな支障は出ていないようだ。到着列車は軒並み1時間程度延着しているが、そんなのよくあること。4時間遅れに比べたらマシだ、気にしない。


さて、11時半を回り発車時刻表示版にも11:40発2103列車の出発案内は出ているのだが、肝心の発着番線がまだ決まっていないらしく乗り場案内が空白になっている。
乗客は皆、手持ち無沙汰にプラットホームの端に並んで待っているが、いつまで経っても乗り場案内のアナウンスがない。そのうち、11時40分を過ぎてしまい、発車時刻表示版には10分遅れと表示が出た。雪の積もったホームで待つこと暫し、やがて遅れは20分になり30分になり、いつまで待っても列車に乗れそうにない。
遅れには慣れているであろう地元の乗客の皆さんも、寒さが堪えるのか駅構内の待合所やカフェに避難し始めた。でも、ベオグラード駅構内の放送案内は難解なセルビア語のみなので、構内アナウンスをあてに出来ない外国人の僕はじっとプラットホームで凍えながら発車時刻表示版を睨んで待機するしかない。
「さすがに雪の上に立ってると寒い…いつになったら乗り場が分かるんだ?発車が遅れてもいいから、暖房の効いた車内で待たせてくれよー。。。」
すっかり身体が冷え切り、こりゃまた風邪引きそうだなとすっかり情けない気分になった頃、ようやく2103列車の乗車案内があり、一斉に列車目指し駆け出す乗客の群れを追いかけて、端っこのホームにポツンと停車していた2輌編成のローカル列車に乗り込む。

たった2輌の列車はたちまち超満員。
何とか窓側の席を確保できたが、立ち客で混み合う車内に大荷物を引き込むことが出来ず、トランクはデッキ脇の荷物棚に放置してきてしまった。チェーンロックで括り付ける余裕もなかったので、ちょっと心配。まあ貴重品は入ってないし、万一盗まれてもどうにかなる代物なのだが…

乗り込んだ車内は、ヨーロッパでは珍しい開放式(オープンサロン)。日本のL特急などと同じスタイルだが、コンパートメント(個室)式に比べると風情がない。まあ超満員なので風情も何もあったものではないのだが。
この列車はBijelo Poljeというモンテネグロの国境の街まで行くらしいので、一応国際列車だ。
僕の降りるPozegaはコソボ方面へと続く支線の分岐駅らしいのだが、急遽決めた目的地なので予備知識は全く無く、どんなところなのか見当もつかない。
分岐駅という事はそれなりの街だろうし、もし駅前に良さそうなホテルがあれば今日はそこで泊まってもいいかな…等と考えているうちに、超満員のローカル国際列車は約1時間遅れでベオグラードを発車。

車窓はとにかく一面の銀世界。
列車はモンテネグロ国境の山岳地帯を目指し、山を登っていく。

時々、小さな集落に立ち寄っていくが、辺りに人の気配がなく乗客の乗り降りも殆どない。ということはつまり、車内はずっと超満員のままである。


車内は人いきれで息苦しい位だが、雪山の車窓はそれを忘れるほど美しい。窓側に座れて良かった。
つくづく、セルビアは山国なんだなぁと感心する。隣国モンテネグロもまた、自国を「ツルナ・ゴーラ」黒い山と称する山岳国家である。

雪化粧した黒い山に冬の陽が沈む。山に囲まれた旧ユーゴスラヴィア連邦の首都ベオグラードとアドリア海を結びつける大動脈として、難工事の末に開通したのがこの「バール鉄道」なのだ。
冬は深い雪に閉ざされるセルビアの人々の海への渇望が滲むこの路線の行く手には、今は新しい国境線が横たわる。ユーゴ最後の連邦構成国モンテネグロと袂を分かち、内陸国となったセルビア。
それでも、列車は変わることなく今日も黒い山を越えて走り続ける。


車窓の雪はどんどん深くなり、列車は山路に分け入っていく。
峠の途中で停まった小さな駅には、プラットホームも駅舎もなく物置のような雪避けしかなかった。
「北海道のローカル線みたいだな。」

列車は始発駅発車の時点で既に1時間遅れていたが、途中の雪の峠道で遅れは更に拡大し、今は大体2時間位遅れているだろうか?定刻なら目指すPozegaには14:47到着なのだが、もう4時を回って辺りはすっかり暗くなった。
時々停車する駅の駅名とトーマスクック時刻表に掲載されているダイヤを見比べているのだが、トーマスクックの時刻も実際のダイヤと微妙に違うし、それにセルビアの駅はラテン文字ではなくキリル文字のみの駅名表記が多いので、混乱してしまい列車が今どこを走っているのかよく分からなくなる。
仕方なく、駅に着くたびに隣の席に座っていた女性客に「Pozega?」と聞いて確認してもらう。そのうち、隣の女性が「Pozega!」と教えてくれたので、礼を言って席を立つ。人を掻き分け、デッキで無事にトランクを回収しているうちに列車は減速し、雪の中の駅に停車した。

ここがPozega駅。


Pozegaでは割と多くの乗客の乗降があった模様。やはり乗換駅だけのことはある。
列車が行ってしまってから初めて、プラットホームもない地面に直接降りたことに気がついた。

さて、ここはどんな街なんだろう?
居心地の良さ気なホテルはあるかな…立派な建物の駅舎を通り抜け、駅前に立つと…

ホテルも店も、何にもなかった。
「…ベオグラードに帰るか」

定刻なら、ベオグラード行きの列車が16:28に来る筈なのだが、どうせ雪の山越えでベオグラード方面行きのダイヤも混乱してるだろうから、適当に来た列車に飛び乗ってしまうことにする。往復切符で買ってるから、帰りの分の2等チケットも持ってるし問題ない。
「それに、どうせ帰りはベオグラードまで立ちっ放しだろうからな…」


やがて構内に列車が入線して来た。しかし、これはどう見ても分岐する支線のレールバス。トーマスクックによると、Kraljevoという駅まで行くらしい。
地元の人達が乗り込む暖かそうなレールバスの車内を見ていると、ついフラフラと乗り込んでしまいそうになるが、ホテルも何もない町で放り出される危険があるので我慢。とは言え、やっぱり乗りたい!
「地元密着のローカル線の魅力は抗い難い…今度雪のない時期に、野宿覚悟で絶対バルカン半島ローカル線乗り歩きの旅をするぞ!」と心に誓い、名残りのデジカメのシャッターを押す。

反対側のホームにレールバスが接続待ちをしていたらしいベオグラード行きの列車が入ってきた。早速乗り込むが、予想通り車内は満員。
コンパートメント車の隙間風の吹きぬける通路に突っ立って、暖かくて快適そうな室内で談笑したり居眠りしたりしてくつろいでいる人たちの様子を眺めていると、「あ~僕はバルカン半島まで来て何やってるんだろう…」と情けない気分になったりするが、自分が好き勝手にやってる旅なので誰に文句を言う筋ではない。

通路の車窓からすっかり暗くなったさっき見た風景を逆回しで見ていると、隣の車輌から迷彩服の一団が車内に闖入してきた。バール鉄道は一部区間でボスニア・ヘルツェゴビナとの国境を「越境」しているらしいし(旧ユーゴスラヴィア時代は連邦内の共和国間の国境は無視して線路を敷設できた名残りだろう)、一瞬、国境地帯で何事か起こったかと思ったがそんなことはなく、単に列車に乗り合わせただけのセルビア軍の兵士達らしい。列車に同乗して移動行動中か、或いは休暇で娑婆に帰るのか。
彼らも満員の車内で居場所が無いらしく、僕の隣に立って所在なさ気にしている。
そのうち、仲間内で「おい、東洋人がいるぞ」というような目でこちらをチラチラ見始めた。とうとう、好奇心を押さえきれなくなったのか、陽気そうな顔の兵士がカタコト英語で話しかけてきた。
「キーナ(中国人)か?」
「違う。ヤパンスキー(日本人)だ」
「そうか日本人か!こんなところにいる日本人は珍しいな。何しに来たんだい?」
…この手の質問にはいつも難儀するんだよな。。。「何も用はないけど、鉄道が好きなんで列車に乗りに来た」なんて言ったらあからさまに変人扱いされるからな…でも、僕の拙い英語力で上手く言い逃れる自信はない。下手すると、完全に不審外国人扱いされて面倒なことになるかも知れんし…何しろ相手は本職の兵隊さんだからな、洒落にならん。
という訳で腹を決めて「I like Torain. I like Railroad journey.…I'm,TrainLover!」
…言ってしもうた。。。案の定、兵士はポカーンとして聞いていたが、次には
「TrainLover?あんた、変わった奴だな!」と大笑いされた。
「列車が恋人なのかい?日本人は列車が遅れると凄く怒るとは聞いてたが…面白い奴だ!俺達は今から休暇でNis(ニシュ:セルビア第3の都市)に帰るんだ。これが俺の長男の写真だ、可愛いだろ?」と携帯電話の待ち受け画面を見せてくる。こういう交流のスタイルは日本と変わらないなぁ!
「Nisか、昨日通って来たよ。マケドニアのスコピエから旅をして来たんだ。」
お互いカタコト英語同士で、時々仲間の兵士に英単語を確認したり指差し会話帳をめくったりしながら、意外な位スムーズに意思の疎通が進む。
「俺達はコソボで闘ってきたんだ。…NATOが、アメリカがベオグラードを空爆したのを知ってるだろ?日本もヒロシマとナガサキにアトミック・ボムを落とされて酷い目に合ったよな。」
段々、そっちの方に話題が移っていく。彼らは本物の兵士だ、本当にNATOの空爆やコソボで戦ってきた戦士なんだな…たまたま行き合せた日本人に言いたいことも沢山有るに違いない。
しまいには
「アメリカは××××な奴らさ。日本は1941年にカミカゼでアメリカと戦った。今ならきっと、もっとうまくやれる!」などと物騒なことまで言われてしまった。
そんな話題に少々戸惑い、つい口ごもってしまう僕の姿は、彼らの目には平和にどっぷり浸かった甘ったれな国民に見えたかもしれない。

「ところで今からどうするんだい?」
「ベオグラードから、クロアチアのザグレブに行くよ」
「クロアチアか…あんなとこ行くのは止めとけ!あいつらはセルビア人みたいにフレンドリーじゃないぜ」
「ははは、そうかな…」
「何でセルビアに来ようと思ったんだい?」
「去年、セルビア人のニコラ・テスラに興味を持って、それでセルビアに来たくなったんだ。ニコラ・テスラ知ってる?」
「ああ。彼は有名な電気の科学者だ」
流石、セルビアディナール紙幣の肖像にもなってる天才発明家は知名度抜群だ。

→2007-2008 ユーゴスラヴィア三都物語 ~4 白い街の休日 に続きます
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COUNTER from 07 NOV 2007


2 コメント

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不思議な。。。 (ちーやん)
2008-01-17 07:23:12
ユーゴですか..写真から荒廃した感じが伝わってきますが、実際はどうなのでしょう?でも不思議と行ってみたいような、懐かしさを覚えるのはなぜでしょうね。最近は周りが新しすぎて追いつけないような年齢に私がなってきたのでしょうか?

お金没収も怖いですね、日本人が行ける安全はあるのでしょうが、映画のような旅行で、ワクワクしてしまいました(すみません大変な事を!)大丈夫で何よりでした。

マザーテレサの出身地も知りませんでしたが、東欧は深い文化があるのですね、ちょっといろいろ調べてみたくなりました。

チビ1号が「電車?電車乗りたい!」とUP写真を見てうるさいので、今度はうちのチビもバックパックに入れて連れて行ってください^^

それじゃあ又!

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ちーやんさん、こんばんは (mitsuto1976)
2008-01-17 23:16:32
え~っと、リンク先のブログを拝見したのですが、プロフィールから察するにちーやんさんは以前「ザ・カナディアン」号でご一緒した方ですよね!?

旅行記読んで下さってありがとうございます。
…ベオグラード編はこれから書き始めますので、気長にお楽しみ下さい。セルビアの国際鈍行列車並みのスローペースで行きますのでヨロシクw
トップに載せてる写真ですが、種明かしをするとベオグラード駅前の安ホテルの中庭です。不思議な静寂感ですが、寝起きにこの風景を見るとかなり気が滅入ります。

>今度はうちのチビもバックパックに入れて連れて行って
OK!立派な海外派鉄オタに仕込んで差し上げましょう(笑)
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