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2007-2008 ユーゴスラヴィア三都物語 ~4 白い街の休日

2008-01-24 | 旅行
(写真:ベオグラード市民の憩いの場、カレメグダン公園) GRAPHIC EFFECT by USACO

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あれこれ話していると寒さも忘れ、あっという間に終点のベオグラードに到着した。
ここでニシュ方面行きの列車に乗り換える兵士とはお別れ。
「15分だけいいだろう?お別れに乾杯しよう」という誘いを勿論快諾し、構内のカフェへ。ビールで乾杯を交わす。
「もう列車が出る時間だ。さようなら!日本の友よ」
「うん。ビールをありがとう!さようなら」
兵士はカフェを出て行った。僕も残りのビールを煽り、プラットホームに出ると、「何だ、ニシュ行きはまだ発車してないじゃん」相変わらずののんびりダイヤのセルビア鉄道である。

プラットホームを歩き車内を覗き込んで、さっき別れた兵士を探してみるとすぐに見つかり、デッキに出てきてくれた。
「また会ったね」
「ああ、…せっかくだから一緒に記念写真を撮ろう。ちょっとあなた、シャッター押してくれない?」
呼び止めた男性は快く引き受けてくれたが、何と彼はキプロスの政府職員だった。バルカン諸国の鉄道が1等車乗り放題のバルカンフレキシーパスを使って休暇旅行中とのこと。
「インターナショナルな3人が揃ってしまったな。」
兵士と一緒に、肩を組んで記念撮影。
「日本に帰ったら、写真をメールで送ってくれよな」
「請合うよ」
昔ならエアメールでプリントを送るところだろうが、インターネット社会では日本からセルビアにも瞬時に情報を送ることが出来る。有り難い話だ。

まだ列車が発車しないので、暫く3人で話す。シャッターを押してくれたキプロスの男性は、以前JICAの仕事に関わっていて、大阪で働いていたとの事。本当に人の縁とは不思議なものだ。

いよいよ、車掌がデッキに出てきて笛を吹いた。
「これでお別れだ。来年、またセルビアに来て、俺の家に泊まってくれ。息子と妻にも会って欲しい。約束だぞ!…もう時間だ。ここはセルビアだ、セルビア式の別れをしよう、友よ」
抱擁と接吻(ホントにする訳じゃなくて、口を鳴らすだけなのが正式なのだ)で兵士と別れる。
「ドヴィヂェーニャ!セルビアの友よ!」

現在、コソボ自治州の独立宣言は時間の問題となっている。セルビア共和国は独立を絶対に承認しない構えで、独立宣言後は経済封鎖等の制裁措置も辞さないとしている。但し、コソボとの武力衝突は有り得ないとセルビア政府は表明しているのが救いだが…
友達になったセルビア軍の戦士がコソボで戦う事がないことを、もう二度と聖地で血が流されることがないことを祈りながら、今から夜行列車でブダペストに向かうというキプロス人男性と別れ(彼の話だと、キプロスではバルカンフレキシーパスが僅か数千円相当で購入できるらしい。羨ましい、日本で買うと約3万円…)、雪の舞うベオグラードの街に出た。
「さて、今夜もホテルを探さないと…」

駅前の大通りを空爆通りを越えて10分ほど歩き、トラムがロータリーしているスラヴィア広場へ向かう。
今夜は広場を見下ろすように建つ高層ビルの「ホテル・スラヴィア」に飛び込んでみる。ここは目立つ建物なので、前回ベオグラードに来た時から気になっていたのだ。それにセルビアの航空会社JATの系列なので安心感がある。
薄暗いレセプションで「予約ナシ。部屋あります?」と聞くや否や目の前にカギが差し出された。早っ!
「え~っと、2連泊したいんだけど、大丈夫?」と聞くと「ノープロブレム!うちは最低2泊から受け付けてるんですよ、お客さん。なーんちゃってワハハ!」…何なんだこのノリの良さは。

陽気なオヤジギャグをお見舞いしてくれたフロント氏にパスポートを預け(セルビアでは外国人旅行者はパスポートを警察署に登録する義務があるそうで、通常はホテルが代行している。でも昨日のアストリアではそんなことやってなかったな)、部屋に入ると、無愛想でだだっ広い箱のような空間にポツンとベッドが置かれ、あとは机と電話があるだけ。テレビもありません。
「おお~!1980年代から改装もせずにそのままですって感じだな。社会主義ユーゴスラヴィア時代の雰囲気だ!!」いや、社会主義ユーゴが実際どんな感じだったのかよく知らないけど、何となくそんな気がしてね。


それでも浴室には立派なバスタブがあった。たっぷり張ったお湯に肩まで浸かるのは何日ぶりだろう?疲れが取れるなぁ。。。やっぱり風呂はいいなぁ。。。

湯上りに部屋のカーテンを開けると、隣のビルの屋根の上にライトアップされたドームが見える。明日はあの「聖サヴァ教会」を見に行こう。

2008年1月3日

「寒い…」
明け方、寒くて目が覚めた。
やたらと広い部屋なのに(シングルルームなのに8畳位ある。その割にベッドは小さいが…)、暖房器具が窓の下の小さなスチームだけなので底冷えがする。
ガタガタ震えながらクローゼットの中から予備毛布を引っ張り出して被り、縮こまって寒さに耐える。
「…こんなホテル初めてだ。社会主義時代の東欧ってみんなこうだったのかな。。。」
結局よく眠れず、縮こまり疲れて朝を迎えた。
こんな時はしっかり朝御飯を食べるに限る。レストランに行くと、一応食べ放題のビュッフェなのだが「魚のオイル漬け」とか「ネギのピクルス?」とか微妙なメニューばかりで、それにパンはよく焼けてなくて中がベトベトする。
それでもしっかり食べたので、なんだか胸焼けがする。

ともあれ、腹ごしらえは済んだ。今日は特にやることがないので、1日ベオグラードをブラブラ見て歩くことにしよう。列車で移動してばかりの旅にも、たまにはこんな休日があってもいい。


先ずは昨夜、「ホテル・スラヴィア」の窓から見えた大ドームへ。
ホテルの前の通りをスラヴィア広場と反対の方向へ5分ほど歩いたところにある大寺院、聖サヴァ教会。


正教会の寺院としては世界最大の規模を誇り、セルビア正教の総本山として建設された聖サヴァ教会は、幾多の戦乱で建設工事の中断を余儀なくされ、今なお完成の目処は立っていない。外観は概ね出来上がっているが、よく見ると細部はコンクリートの地肌が剥き出しのままである。
内部もがらんどうで祭壇も急ごしらえのものしかなく、それでもクレーンや足場が設置され装飾作業が地道み進められているが、この聖堂内部が華麗なイコンで埋め尽くされるまでにはあと数十年、いや数百年はかかるのではないだろうか?

それでも、未完の聖サヴァ教会には朝から信心深いベオグラードの善男善女が集まり、思い思いに何もない祭壇に向かい祈りを捧げる。
ステンドグラスもまだない大ドームの窓からは自然光が差し込み、コンクリート打ちっぱなしの天井に反射してあたかも洞窟の中にいるような気分になる。工事用足場に架けられたタペストリーのキリスト像が光に浮かび上がり、これはこれで独特の崇高な感覚が空っぽの大聖堂を包み込んでいた。
「ここで祈る人がいる限り、聖サヴァ教会の建設は続くだろう。それに、セルビア正教の神の子たちにはこの大聖堂が完成していようがいまいが、豪奢な装飾が無かろうが関係ないような気がするな。きっと、彼らにとってここは自分の神に祈り、神とつながる場所でしかなく、それで充分なのであって、だから今でも彼らの心の中ではここは既に煌く大伽藍なんだ、きっと」

大聖堂の隅にぽつんとあった売店でろうそくを買い、寄進させてもらう。
ついでに、お土産で売られていたイコンの複製画を買う。「これ頂戴」とケースの中のイコンを指すと、隣でろうそくを買っていた若いカップルが「それ、ミカエルだよ」と教えてくれる。
「ミカエル…え~っと、確か四枚羽根のある天使長だっけ?」いや、漫画で得た知識ですけどね。


大聖堂から出ると、丁度10時の鐘が打ち鳴らされ始めた。
白亜のドームが朝日に浮かび上がる。
「この教会は、多分僕の生きているうちには完成しないだろうけど、正教徒と共に歩み続けるこのドームにはまた会いに来たいな。」


聖サヴァ教会からスラヴィア広場へ戻り、そのまま10分ほど歩くとテラジエ広場。ここがベオグラードの中心部で、周辺はブランドショップやレストランが並び賑やか。
でも、デパートとおぼしきビルに入ってみるとエスカレーターは止まっていて店舗のテナントも1つ2つしか営業していない。
寂しいデパートと対照的に、何故かやたらと目立つのが、両替店。ほぼ50メートルおき位の間隔で両替店が並ぶのは何とも不思議な光景。これってやっぱりセルビアの通貨経済がマケドニア同様に外貨のユーロや米ドルとの共存状態にあるからなんだろうか?高価な買い物は外貨でないと出来ないとかあるのかな?
まあ、外国人旅行者にとっては両替店が多いのは便利なので大いに結構だが、気になる。それにしても、最近ユーロが高騰してるせいかセルビアディナールも連動して上がってるねぇ日本円のレートが随分安くなってるじゃないか、こちらも大いに気になるし気掛かりだぞ。

テラジエからお洒落な歩行者天国クネズ・ミハイロ通りを進むと、ベオグラード市民の憩いの場、カレメグダン公園に行き着く。

昨夜の雪で真っ白に覆われたカレメグダン公園。
美しい眺めだが、公園内は坂道や階段も結構多いので歩くのが大変。。。

カレメグダン公園の下を流れるサヴァ河とドナウ河の合流。
「1年ぶりに見た…ここに帰って来れたな!」

ドナウとサヴァの流れが出会うこの地に街が出来、人が住み始めて以来、幾多の戦乱の舞台となり夥しい血が流された場所でもあるカレメグダン。現在は美しい公園となっているこの小高い丘も、元は紀元前より城塞だった。
ベオグラードの歴史はカレメグダンと共にあり、そしてそれは戦乱に血塗られたものなのである。この街が最後に戦火に包まれたのは、NATO軍による空爆を受けた1999年…




白い時計塔を望むスタンボル門。
この門の周囲を巡る空堀の中には、戦車や武器類がずらりと並び、雪を被っている。
戦車の間を縫うように空堀の中を進んでいくと軍事博物館がある。軍事拠点カレメグダンを象徴するような博物館だ。


軍事博物館は有史以前から第2次世界大戦まで、バルカン半島の戦争の歴史の紹介解説と夥しい資料を収蔵展示している。
時系列でバルカンの戦史の説明を見ていると、改めてこの地が入り乱れた民族による気の遠くなるような戦乱に次ぐ戦乱の歴史の上に成り立っていることが分かり、絶望感すら抱いてしまう。


しかし今、雪の降り積もったベオグラードの街は凄惨な過去を雪白で全て覆い隠したようにただ静かで美しい。
「ベオグラード」とは、「白い街」の意。かつて、この街にまさに攻め入ろうとしていたオスマンの将軍が白い朝霧に包まれた街のあまりの美しさに戦意喪失したのが由来という伝説がある。
雪のベオグラード、その名の通り白く美しい街。この平和が、今度こそ永遠に続くよう、そして昨日友達になったセルビア人の兵士の今後の任務での無事を、祈らずには居られない。


カレメグダン公園を出て、再び市街地にやって来た。
共和国広場前に建つ堂々とした国立博物館。ここにはルノワールやピカソ、ゴッホの作品も収蔵されているらしいのだが、残念ながら改装工事で閉館中。




冬の陽がドナウの彼方パンノニア平原に沈み、白い街を赤く染める。
束の間のベオグラードの休日が終わろうとしている。

「そろそろ帰ろうか…」


ホテル・スラヴィアに戻る道すがら、駅に寄ってみるとマケドニアのスコピエ駅で見かけた近郊電車とよく似た車輌が停車していた。
塗装色は違うが、同じメーカーのプレートが取り付けられていたので、同形式だろう。
「どこまで行くのかな。こんな電車にフラッと乗り込んで、気ままに見知らぬ町に行ってみたいよ」
また「乗り鉄」の虫が疼いてきてしまったなぁ。


という訳で駅前からトラムに乗り込んで、終点まで行ってみることにしました。
ベオグラードのトラムの系統は結構複雑で、どこに行くのか見当もつかないが、まあベオグラード市内からそんなに遠くまでは行かないだろうし、終点に着いたら折り返しで帰って来られるので、気楽に行き先不明の小さな旅が楽しめる。


トラムは明々と街灯の燈った住宅地をガタゴト走り、途中で鉄道の操車場をオーバークロスしたり、日の丸とセルビア国旗の描かれた日本からの無償援助の黄色い市バス(遠くてよく読めなかったが日本語とセルビア語で「日本からセルビアの友人へ…」とか書かれていた。こういうのを見るとこちらまで嬉しくなるよ)と競争したりしながら次第に郊外に出て行き、やがてアパートの並ぶ団地のど真ん中でループ線に入り止った。ここが終点だ。
ベオグラードのトラムの車輌は一方通行式で、終点で丸い輪を描いた線路を一周して方向転換するユニークなシステムになっている。ぐるっと輪になった線路にトラムの電車が数珠つなぎになっているのは何とも楽しい光景。
「しかし、日が落ちると寒い!いきなり気温が氷点下に下がるな。写真撮ってると手が冷気に触れて痛いぞ!」
帰りのきっぷを買おうと、線路際の小屋の窓を開けて「トラムバイ、カルテ頂戴」と手を差し込むと「違う違う!あっちのキオスクで買ってくれ!」どうやらループ線のポイント切り替え室だったらしい。失礼しました。

折り返しのトラムをベオグラード駅前で降りて、適当に乗り換えながら市内をグルグル回っているうちにスラヴィア広場の前まで来たので下車。トラムのきっぷは引き返さない限り乗り換え自由なのでこういう遊びが出来て楽しい。
スラヴィア広場のマクドナルドで世界共通の味のビッグマックを頬張りながら、日本で留守番中のUSACOに電話してみる。
「…うん、今ベオグラード、何とか無事。昨日からホテル・スラヴィアに泊まってる。部屋は殺風景だし寒いし朝メシは死ぬほどマズイし、たまらんホテルだよ。スタッフは感じいいけどね」
「ねえ、殺風景で朝食がマズイって、そこきっと米原万里さんが本に書いてたホテルよ!旧共産主義時代の外国人専用ホテルで、部屋が箱に閉じ込められたみたいで食事がまずくてスゴイって、前に読んだことがある」
「ああ、きっとそこだ!間違いないよ。」
「米原さん、最初は外資系のホテルに泊まったけど快適すぎてつまらないから、わざと社会主義時代のユーゴスラヴィアらしいホテルに移ったんだって」
「…成程、ユーゴらしいホテルねえ。。。僕は出来れば堕落した西側資本主義経済圏らしい快適な外資系ホテルに移りたい気分だけどな。今夜も寒さに耐えながら震えて寝るんだぜ。明日は朝の国際列車でクロアチアのザグレブに出発するから、寒い部屋で夜明け前に起きないといけないし」

とか言いながら、実はホテル・スラヴィアのいい加減さが妙に気に入ったりしてるんだけどね。でもさすがに部屋が寒いのだけは勘弁して欲しいけど。


明日はベオグラードを離れる。
凍てついた夜の街並みを、凍えながらそれでも名残惜しく歩いた。

さようなら、僕の大好きな美しい白い街。

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COUNTER from 07 NOV 2007


2 コメント

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雪の行軍 (bbsawa)
2008-01-21 17:11:10
雪の中のホテル探しは大変そうですね。冬は暖かい所と暖かい食べ物がごちそうです
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♪雪の降る街を~ (mitsuto1976)
2008-01-22 00:12:54
今回の旅では簡単に空いてるホテルが見つかったけど、2軒3軒4軒と続けて断られると、疲れるやら情けないやらでホントに泣きたい気分になりますよ。
最初から予約していけばいいんですけど、それだと旅先で柔軟に予定を変更したり出来なくなるし…

雪の降る街をうろついた後、久し振りに日本式にお湯を張った風呂で暖まるあの心地良さ、堪らんですね。思わず「ああ~日本はいいなぁ」とか呟いたりして。。。
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