ちょっと、信じられないくらい長くなってきてしまいましたが、いろいろ思い出すこと、当時は書けなかったな、と思う事もあったし、メディアはほとんど五輪に関することしか書かないだろうし、個人のブログくらい、こんなことしてもいいかな、ということで。
フィギュアスケートのジャッジに対する不信感というのは今に始まったことではありません。スケートに詳しくない頃から、ミシェル・クワンが金を取れなかったのはアジア系だからだと思ったし、スルツカヤが取れなかったのも、開催地がアメリカだったからだと思っていました。
高橋クンの偉業の1つは「大怪我でも夢は諦めなくていい」という実例を見せたことだと思う。
高橋大輔の芸術性と技術について。それは曲想に合った、腕の洗練された動きと首の動きがある。足ではジャッジの要求に応えた正確なエッジさばきをしながら、腕は音楽にエレガントに寄り添う。それは自然なことに見えるが氷の上でスケート靴を履いてみると、普通は腕はバランスを取る必要がある。昔はロシアの選手は手首を動かすことでしか表現していなかった。バランスのためだと思う。しかし、高橋大輔は首をぐるぐる動かしながら、縦横無尽な腕の動きを振付ける。恐らく可動範囲が広いから表現と曲想がしっくりくるのだと思う。卓越した技術があるからこそ可能な音楽解釈と芸術性なのだと思う。
世界選手権を終えて、すっかり引退すると思い込んでいた私。
ただ、翌年は東京ワールドだったんですね。
この年のSPはマンボ。FSはブエノスアイレスの春。今だから言えば、両方共あまり好みではなかった。とにかくマンボは曲が好きじゃなかったので、今でもアンコールで「マンボ」が流れると「お腹いっぱいです」としか思えません。ただ、CaOIのアンコールで魅せたマンボステップだけは、常人じゃない!今でも驚愕してしまう。
ブエノスアイレスは彼の最後にしては暗すぎる、と思った。ただ、失った女性を思う切ないスローパートが本当に美しかった。こういうのって、男子だとあとできるのはステファンくらいかなぁ。
EXは「アメリ」僅差でメダルを逃したステファンが五輪直後に高橋選手に声を掛けたのがきっかけで作られたプログラム。
依頼を受けたステファンの狂喜乱舞ぶりが分かる(笑)高橋選手はもちろんステファンが好きだったし、彼の振付師というキャリアの手助けもしたい、という気持ちもあったと思う。しかし、高橋クンの能力の高さが向こう側にいるステファンがよく見えるプログラムになってしまって、観客が自分の向こうにステファンを感じるのがちょっと精神的につらかったのではないかと思う。
シーズンが開けてみると右肩上がりによくなっていくだろうと思った足の怪我の影響が再発。大変なシーズンとなった。
結局のところ、引退まで、いつどのような影響が出てくるか分からない印象を受けた。
世界選手権前にまさかの変更。ロシアへ。そして、あのFS。高橋選手はソチまでの現役続行表明をする。
この時、トリノ五輪からトリノワールドへのドラマのようにロシアワールドからソチ五輪へのドラマがあるのではないかと頭で思ってしまった。
翌年。デービッド・ウィルソン氏の言葉を借りれば「やっと、やっと、やっと、来てくれた。でも、SPだけだった。」デービッドと高橋選手の初タッグ。
「In The Garden Of Soul」は競技プログラム史に残る名プログラムではないかと思う。
スケート・カナダからNHK杯の短期間の間で同じ作品とは思えないほど、劇的の変わった。オリエンタルな音楽の解釈が研ぎ澄まされた。
そして、尊敬するオリビエに習った研ぎ澄まされたスケーティングで魅せたプログラムはカート・ブラウニング氏が解説を忘れてしまうほどの演技だった。
ただ、この時、小塚選手の「インナー・アージ」も傑作だった。もし、高橋選手と同じNHK杯ではなく、他のGPだったら、このプログラムはもっと注目されたのではないかと思う。
「ブルース・フォー・クルックス」が進化を遂げたのは、GPF。3試合目にして、ブルースがウィスキーのように熟成された。
ブルースで大切な事は腰の位置だという。それを体得した上、そして、彼はクラッシックやタンゴとはまた別の綺麗すぎないけど洒脱な腕の動きとcoolな表情で表現をしてみせた。
この2つのプログラムの成功で「アーティスト・高橋大輔」の世界的評価は大げさに言えば前人未到の域に達したと思う。4回転に失敗しても、カナダのお客さんはスタンディング・オーベーション。私はパトリックより、高橋選手の方がよかったと思った。
高橋選手のSP。4-2で転倒。しかし、そのあとのオリヴィエ氏(彼のノーブルなアイスダンスもぜひ見てください)と作り上げた圧倒的なスケーティングは彼の競技生活史上最高の1つだと思っている。
そして、FS。スケート史に残る傑作。
彼はただ一人だけ観客に「作品」を見せていた。
「SWAN LAKE」は傑作と言われ、男子スケーター達に大きな衝撃を与えたにも関わらず、これほど踊るスケートを他のスケーターが真似できなかったことと同様、このブルースの後に、ブルースをここまで魅力的に表現するスケーターは現れないだろうと思う。
結果は銀メダル。あれが銀?プラチナだ、と私は思う。
この時、会場では長いブーイングが起きる。テレビから見ていて、パトリックがかわいそうだった。スケーターは自分の精一杯を出し切っただけだ。多分、日本のファンは同じように思ったのではないか?直後の国別でパトリックには暖かい声援と拍手が送られ続け、この時からパトリックは日本で演技を終えた後はまず観客席に挨拶、そして、ジャッジに挨拶するようになった。ライバルでありながら、高橋選手と小塚選手に対していつもリスペクトを忘れない、日本の観客の気持ちをきちんと受け取ったパトリックの態度には好感が持てる。
同じ試合で高橋選手は久々にSPとFSをクリーンに滑り、FSの後、他の国のスケーターやスケート関係者が自然と彼の周りを取り囲み、大きな拍手を送り続ける。今まで見たことのないような光景だった。
これは、観客がどの国のスケーターのどの演技にも一生懸命応援し、楽しんだからこそ、スケーターは国の垣根をなくし、高橋大輔というスケーターに対し、純粋にリスペクトしたいという気持ちが素直にこういう瞬間が生んだのだと思う。(ただし、国別対抗戦はいまだに反対。選手を疲弊させるだけ)
彼の競技人生の中で最高の瞬間の1つではないだろうか?
よく「スケーターズ・スケーター」という敬称があるが、私は「高橋大輔はフィギュアスケーターズ・フィギュアスケーターになった」と、思ったものです。
フィギュアスケートのジャッジに対する不信感というのは今に始まったことではありません。スケートに詳しくない頃から、ミシェル・クワンが金を取れなかったのはアジア系だからだと思ったし、スルツカヤが取れなかったのも、開催地がアメリカだったからだと思っていました。
高橋クンの偉業の1つは「大怪我でも夢は諦めなくていい」という実例を見せたことだと思う。
高橋大輔の芸術性と技術について。それは曲想に合った、腕の洗練された動きと首の動きがある。足ではジャッジの要求に応えた正確なエッジさばきをしながら、腕は音楽にエレガントに寄り添う。それは自然なことに見えるが氷の上でスケート靴を履いてみると、普通は腕はバランスを取る必要がある。昔はロシアの選手は手首を動かすことでしか表現していなかった。バランスのためだと思う。しかし、高橋大輔は首をぐるぐる動かしながら、縦横無尽な腕の動きを振付ける。恐らく可動範囲が広いから表現と曲想がしっくりくるのだと思う。卓越した技術があるからこそ可能な音楽解釈と芸術性なのだと思う。
世界選手権を終えて、すっかり引退すると思い込んでいた私。
ただ、翌年は東京ワールドだったんですね。
この年のSPはマンボ。FSはブエノスアイレスの春。今だから言えば、両方共あまり好みではなかった。とにかくマンボは曲が好きじゃなかったので、今でもアンコールで「マンボ」が流れると「お腹いっぱいです」としか思えません。ただ、CaOIのアンコールで魅せたマンボステップだけは、常人じゃない!今でも驚愕してしまう。
ブエノスアイレスは彼の最後にしては暗すぎる、と思った。ただ、失った女性を思う切ないスローパートが本当に美しかった。こういうのって、男子だとあとできるのはステファンくらいかなぁ。
EXは「アメリ」僅差でメダルを逃したステファンが五輪直後に高橋選手に声を掛けたのがきっかけで作られたプログラム。
依頼を受けたステファンの狂喜乱舞ぶりが分かる(笑)高橋選手はもちろんステファンが好きだったし、彼の振付師というキャリアの手助けもしたい、という気持ちもあったと思う。しかし、高橋クンの能力の高さが向こう側にいるステファンがよく見えるプログラムになってしまって、観客が自分の向こうにステファンを感じるのがちょっと精神的につらかったのではないかと思う。
シーズンが開けてみると右肩上がりによくなっていくだろうと思った足の怪我の影響が再発。大変なシーズンとなった。
結局のところ、引退まで、いつどのような影響が出てくるか分からない印象を受けた。
世界選手権前にまさかの変更。ロシアへ。そして、あのFS。高橋選手はソチまでの現役続行表明をする。
この時、トリノ五輪からトリノワールドへのドラマのようにロシアワールドからソチ五輪へのドラマがあるのではないかと頭で思ってしまった。
翌年。デービッド・ウィルソン氏の言葉を借りれば「やっと、やっと、やっと、来てくれた。でも、SPだけだった。」デービッドと高橋選手の初タッグ。
「In The Garden Of Soul」は競技プログラム史に残る名プログラムではないかと思う。
スケート・カナダからNHK杯の短期間の間で同じ作品とは思えないほど、劇的の変わった。オリエンタルな音楽の解釈が研ぎ澄まされた。
そして、尊敬するオリビエに習った研ぎ澄まされたスケーティングで魅せたプログラムはカート・ブラウニング氏が解説を忘れてしまうほどの演技だった。
ただ、この時、小塚選手の「インナー・アージ」も傑作だった。もし、高橋選手と同じNHK杯ではなく、他のGPだったら、このプログラムはもっと注目されたのではないかと思う。
「ブルース・フォー・クルックス」が進化を遂げたのは、GPF。3試合目にして、ブルースがウィスキーのように熟成された。
ブルースで大切な事は腰の位置だという。それを体得した上、そして、彼はクラッシックやタンゴとはまた別の綺麗すぎないけど洒脱な腕の動きとcoolな表情で表現をしてみせた。
この2つのプログラムの成功で「アーティスト・高橋大輔」の世界的評価は大げさに言えば前人未到の域に達したと思う。4回転に失敗しても、カナダのお客さんはスタンディング・オーベーション。私はパトリックより、高橋選手の方がよかったと思った。
高橋選手のSP。4-2で転倒。しかし、そのあとのオリヴィエ氏(彼のノーブルなアイスダンスもぜひ見てください)と作り上げた圧倒的なスケーティングは彼の競技生活史上最高の1つだと思っている。
そして、FS。スケート史に残る傑作。
彼はただ一人だけ観客に「作品」を見せていた。
「SWAN LAKE」は傑作と言われ、男子スケーター達に大きな衝撃を与えたにも関わらず、これほど踊るスケートを他のスケーターが真似できなかったことと同様、このブルースの後に、ブルースをここまで魅力的に表現するスケーターは現れないだろうと思う。
結果は銀メダル。あれが銀?プラチナだ、と私は思う。
この時、会場では長いブーイングが起きる。テレビから見ていて、パトリックがかわいそうだった。スケーターは自分の精一杯を出し切っただけだ。多分、日本のファンは同じように思ったのではないか?直後の国別でパトリックには暖かい声援と拍手が送られ続け、この時からパトリックは日本で演技を終えた後はまず観客席に挨拶、そして、ジャッジに挨拶するようになった。ライバルでありながら、高橋選手と小塚選手に対していつもリスペクトを忘れない、日本の観客の気持ちをきちんと受け取ったパトリックの態度には好感が持てる。
同じ試合で高橋選手は久々にSPとFSをクリーンに滑り、FSの後、他の国のスケーターやスケート関係者が自然と彼の周りを取り囲み、大きな拍手を送り続ける。今まで見たことのないような光景だった。
これは、観客がどの国のスケーターのどの演技にも一生懸命応援し、楽しんだからこそ、スケーターは国の垣根をなくし、高橋大輔というスケーターに対し、純粋にリスペクトしたいという気持ちが素直にこういう瞬間が生んだのだと思う。(ただし、国別対抗戦はいまだに反対。選手を疲弊させるだけ)
彼の競技人生の中で最高の瞬間の1つではないだろうか?
よく「スケーターズ・スケーター」という敬称があるが、私は「高橋大輔はフィギュアスケーターズ・フィギュアスケーターになった」と、思ったものです。