ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第733号 蝦夷箱館の豪商・高田屋嘉兵衛資料館

2012年06月23日 | 教育施設
天気のよい日は、スニーカーを履き、市電、バスの一日乗車券で、
西部地区を散策。
素晴らしい意匠や歴史ある建物に目を奪われ、しばし佇む。
私にとっては、至福のひとときだ。

この建物は、正式名称を、「箱館高田屋嘉兵衛資料館」という。
公設ではなく、私設だから運営費捻出に、ご苦労されているようだ。
建物の概要について説明。
左が1号館、右が2号館。
両館とも、前号でご紹介した海産賞「ヤマ田・田中商店」の昆布倉庫。

 

これが1号館。明治36(1903)年建築の石造。

 

こちらは2号館。大正12(1923)年建築の鉄筋コンクリート造。

 

この場所には、文化元(1804)年に、高田屋の造船所が造られた。
そんな歴史的結びつきと、建物が持つ雰囲気が、資料館開設に相応しいと
考えたのだろう。

多くの函館市民は、嘉兵衛の人物像や功績について存じている。
それは、宝来町に威風堂々たる銅像が建立されているからだ。

でも、今一度、嘉兵衛について勉強をしてみよう。
彼は江戸時代(1769年)、淡路島に生まれた。
国内政界では、この3年後に、田村意次が老中職に就いたころである。
28歳のとき、北前船・辰悦丸で来箱し回漕業を営み、財を成した。

事業の本拠地を箱館に置き、北洋漁業の開拓、本州各地との交易で財力を
より巨大なものとした。
一方で、湿地帯、港の埋め立て、生活困窮者の救済事業にも心血を注ぎ、
単なる実業家にとどまらなかった。

やがて、幕府からその功績を認められ、苗字帯刀が許された。
その後、ロシアとの外交交渉にもあたったのだから、
「スーパー民間人」の第一号と言える。

1827年、波乱とロマンに満ちた59歳の生涯を閉じた。
もったいない年齢と思わざるをえない。

この資料館には、嘉兵衛の足跡と北方開発にまつわる資料約500点が展示されている。

所在地=函館市末広町13番22号 赤レンガ倉庫群の裏
電話=0138-27-5226
開館時間=9:00~17:00
入館料=大人(高校生以上)300円、小人(小中生)100円
休館日=木曜日(祝祭日のときは翌日。冬期間)

ウリの展示品=日本初のストーブ(復元品)

嘉兵衛のスケールの大きな性格に感動して、明治・大正期に多くの篤志家が
現れ、函館の町のために尽くしてくれたことに、感謝、感謝。


下の写真は、資料館とは直接関係はない。
明治政府が、同11年に高田屋の自宅屋敷跡(宝来町・銀座通り北側)に
開設した「女紅場(にょこうば)」。
女子専門の教育施設であった。

  


ミカエル


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